葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

親しい友の死

2014-05-26 10:30:40 | Weblog

20代後半からの親しい友達だったというより客先の友人だったK氏が突然逝った。あまりにも急でこんな別れ方が世の中には有るのかというほど突然だった。4月中ごろまで元気で酒を飲めていたのだが、5月2日に入院して14日には逝ってしまった。原因は胃がんだった。以前から体調が悪かったらしいのだが、家族にも検査結果を話さなかったらしい。スポーツマンでゴルフや野球、テニスなど何でもやったし、見るのも好きで横浜球場などへはよく観戦に行っていたし、宴会が好きで若い頃からいつもその中心に居た。

M電機の工場で製造管理や外注管理などその経歴は生き字引といわれるくらい、社内人脈が広く元気印が歩いているような人だった。私より三つ年上で納期が遅れるといつもこっぴどく起こられたが、裏では製造現場の工程にはなんだかんだといっては味方になってくれた兄貴のような存在であった。ゴルフの師匠でもあったし一時期テニスも教えてもらったが、いつも当社のことを心配してくれて、担当が替わってもいつも大船や横浜で勉強会と称しては夜中まで飲み歩いた仲間だった。

今ほど管理がきつくない時代だったのかもしれないが、客先と業者という関係ではなく、人間として友人として付き合える唯一の友達だった。5万人居る会社と30人の零細企業とでは勝負にならないが、規模ではなく人間として協力をしてくれる人間を大切にするという彼のポリシーが多くの外注先の人達からも慕われ、社内的にも人望があり、今でも彼が中心だった月に一度の飲み会がM電機のクラブで行われている。

人生最大の関心事は人は死んだらどこに行くのだろうかという事ではないだろうか。無になるということはどういうことなのだろうかとつくづく考えさせられる。信じないかもしれないが、彼が14日に亡くなりまだ知らせが来ない時に私の所には別れの挨拶があったのです。15日朝9時40分に玄関のベルが押され出てみると誰も居ないことがありました。瞬間、もしかしてK氏に何かあったと思ったのですが、仕事に出てしまいました。ベルはきちんと押さないと鳴らない方式ですし、下から上に押さなければ絶対に鳴らないのです。家内も確認しているのでそう信じているのです。

今、この年になってお迎えの準備をしなくてはならなくなってきましたが、悔いなく人生を終わる為には今日のことは今日やるという想いで、これから歩いていきたいと願っています。誰かが云ったように記録ではなく記憶に残る人間になって死んで生きたいと思うのです。誰でも死ぬのは嫌ですが、多分その時がくれば感謝して『お先にバイバイ』と言えるような逝き方がベストかなと思います。K氏の場合も家族に看取られ、愛する孫の看護師の勤務する病院で眠るように旅立ったとの事なので幸せだったのかもしれません。

只、親しい友人を失うのは本当に切ない、悔しい、それ以上に家族を失うのはもっと辛いであろうから、これからの人生家族友人を大切にして有意義な残りの人生を歩んで生きたいと願っています。

年に一度の検診は必ず受けましょう。そしてその結果は家族で共有しましょう。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関心事(自衛権について)

2014-05-17 10:08:50 | Weblog

あまり政治的なことをこのブログには書きたくは無いのだが、やむなく取り上げることとした事を残念で仕方が無い。5月15日の安倍首相の記者会見での国民への集団的自衛権の議論を開始したいという説明について、まず反対の意見を言わせて貰う。

安倍氏の早口のしゃべり方と同じ前のめりな説明は良く分からない。まずその根拠は一昨年の当時の野田首相との党首討論で解散する代わりに国会議員の定数削減をやるという、司法からの違憲判決があるにもかかわらず、何もやっていないこの事をどう言い訳をするのだろうか?違憲状態の国会議員が自民党総裁を首相に選び、公約に無い集団的自衛権の解釈変更で行えるようにするという、歴代首相のやらなかったことを押し切ろうとしている。

恐らく国民はしまったと思っているに違いは無い。あまりにも民主党がお粗末な故に自民党という悪弊を導き出してしまったのであるが、その責任は愚民であった国民に大いに帰する。従って今からでも遅くは無いので立ち上がりましょう。このままでは孫子の時代には徴兵制から戦争賛美国に必ずなるので、今のうちにその芽を摘まねばなりません。

安倍氏の説明ではアメリカの船に日本人が乗っていて、その船を攻撃されても自衛隊は攻撃できないと言っていますが私はそうは思いません。何故なら自国民の乗っている船であれば正当防衛として個別的自衛権として戦うことが出来ると思うのです。物であれ人であれ日本国民に属するものが襲われた場合(国内、国外問わず)、その事を守り救出するのは個別的自衛に属するのではないでしょうか?

例えば北朝鮮に拉致された日本人救出に自衛隊が出動しても邦人保護、救出という名目でその事だけが目的ならば個別的自衛手段=正当防衛で許されるのではないだろうか?例え北朝鮮と戦闘になったとしても安倍氏の言う国民を守るということはそれは理解されるのではないだろうか?これは救出作戦であって戦争ではないのです。もしその後相手が仕掛けてくれば今度は同盟国のアメリカが日本を守るという義務が生じてくるのです。

私は日本の自衛隊の強さを詳しくは知らないが、見聞きした事を総合的に判断した所、恐らくアメリカの次くらいの戦闘能力を持っていると思っている。只、国民に知らされていないだけで自衛隊幹部も政治家も知っているのではないかと思っている。特に安倍さんは例えば中国に『来るなら来て見ろ』と思っているのではないだろうか?日本のイージス艦のすごさは中国の改造空母などと比べたら赤子の手をひねる様なものだと思っている。だから怖いのです。日本はほぼアメリカと同じ装備でしかもアメリカ人より緻密で勤勉でより正確な仕事が出来るからなのです。

この内閣で憲法解釈を変えるというのは全く正しくない。仮に改憲をするにしてもきちんと議論を数年するくらいの熟度があってしかるべきと考えますが、来年終戦から70年になる節目の年なので良い機会だから国民を二分する位の大議論をしたら良いと思います。特に国民投票法案で18歳からの投票が可能になった若い人達の意見を聞いて、年寄りの知恵と経験を踏まえた戦争回避の道を探るべきと考えます。

朝日新聞の声欄に戦争経験が時々投書されるが、殆どが悲惨なことばかりで二度と戦争を起こさないようにしたいとの願いだ。しかもその語り部は殆どが80歳以上だ。家内の父が中国を転戦したという話は生前聞いていたが、その内容は絶対話さなかった。辛くて思い出すのも苦痛のようであった。まだその苦痛を話せる人はいいのかもしれない。本当は話せないほど自分を苦しめていたのかもしれない。反面良き家庭人であった。前にサイパン島へ行った折、最北端のバンザイ岬を訪れたが、峻厳な岬から飛び降りた人達を思うと万感胸迫るものがあった事を思い出す。

いずれにしてもきちんと手続きをして、改憲なり現行維持なり正統的な国会議員の論議でこの問題を国民のコンセンサスを得ることが一番だと思えるのだが、匙は国民一人ひとりに投げかけられた事を肝に銘じたい。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする