震災や津波などから四十九日が過ぎ、段々落ち着いてきましたが、未だ避難所生活を強いられている人達が10万人を超えると言う、原発と言い後どれだけ時間が掛かるか政府や東電にはしっかり対策を立てて欲しいのだが、ここに来て新たな問題が聞こえてきた事を報告いたします。
古くからの郡山の友人が(今は仕事の関係で鎌倉に住んでいるのだが)震災後原発立地の大熊町から友人に頼まれて郡山の自宅を1週間の約束で避難所として貸したそうだ。知りあいでもあり当時は何が何でも協力をと言う事でその友人に鍵を預けたらしい。そうこうしているうちに時間が経ち近所の人からの連絡でお宅に知らない人達が7~8人くらい出たり入ったりしていると連絡があったそうです。調べてみたらその大熊町の友人の近所の人達が2家族くっついてきていて、福島では郡山は都会なので是非連れてってくれと言う事でやむなく同道したとの事。
此処まではお互い様と言うことだったのが、本来の友人がその後家族のいる所に移り、見も知らない人たち2家族が居座ったそうです。その間地震で倒れたサイドボードや家具類、今年改造をするために整理をしていた電化製品など散らかしたままで生活し、地震で割れたガラスや壊れたものなどは庭に放り出したまま、石油ストーブの石油は使いきり、洗濯機は勝手に使い洗濯物を庭に干してまるで自分の家のように使っていたとの事です。
親戚がその現状を見て如何に避難者とはいえ、郡山には行政が用意した場所もあり、個人の家をまして顔も見たことのない人の家を借りて、約一ヶ月居座ったようです。その間生活用品は使い放題、電気は勿論布団や毛布など片付けもせず出て行ったようです。家の前にはタバコの吸殻やゴミが散らかり掃除した後など何もなく、一応電気代など払いますと言ったと言う事ですが、住所不定の家族は探しようも無いとこの際大熊町の町長に手紙を出そうと思っているそうです。
このように何か大事が起きるとこれが葵の紋のように何をやっても周りが認めてくれるという甘えが出て、親切が仇となるようなことが恐らくあちこちで起きているのではないかと思われます。報道では美談ばかり報じられますが、自然災害に打ちのめされ、その上、人からも厭な仕打ちをされたら、まして大事な自宅をそんな風に扱われたら怒るのは当然と思います。
芭蕉が奥の細道の中で言っているように『一夜仮寝の宿とても、立つとき感謝の念抱き』といっているように旅たつときには、今まで以上にきれいにするのが当たり前なのだが、、、、
ボーイスカウトは野営地に別れをする時に『残すものは何もなし、只この地に感謝のみ残すべし』といって、感謝の黙祷をして帰ってくる。この精神は困難時にも通じるのではないだろうか?
親切を裏切る事のないように各地の受難者の方たちにも是非考えていただきたいものです。政府も東電も現場で頑張っている人達も夫々の矜持を持って戦っている事だと思いますが、葵のご紋だから何をやっても良いということではないので、誇りある受難者であり、誇りある救助者になって欲しいものだと思います。
古くからの郡山の友人が(今は仕事の関係で鎌倉に住んでいるのだが)震災後原発立地の大熊町から友人に頼まれて郡山の自宅を1週間の約束で避難所として貸したそうだ。知りあいでもあり当時は何が何でも協力をと言う事でその友人に鍵を預けたらしい。そうこうしているうちに時間が経ち近所の人からの連絡でお宅に知らない人達が7~8人くらい出たり入ったりしていると連絡があったそうです。調べてみたらその大熊町の友人の近所の人達が2家族くっついてきていて、福島では郡山は都会なので是非連れてってくれと言う事でやむなく同道したとの事。
此処まではお互い様と言うことだったのが、本来の友人がその後家族のいる所に移り、見も知らない人たち2家族が居座ったそうです。その間地震で倒れたサイドボードや家具類、今年改造をするために整理をしていた電化製品など散らかしたままで生活し、地震で割れたガラスや壊れたものなどは庭に放り出したまま、石油ストーブの石油は使いきり、洗濯機は勝手に使い洗濯物を庭に干してまるで自分の家のように使っていたとの事です。
親戚がその現状を見て如何に避難者とはいえ、郡山には行政が用意した場所もあり、個人の家をまして顔も見たことのない人の家を借りて、約一ヶ月居座ったようです。その間生活用品は使い放題、電気は勿論布団や毛布など片付けもせず出て行ったようです。家の前にはタバコの吸殻やゴミが散らかり掃除した後など何もなく、一応電気代など払いますと言ったと言う事ですが、住所不定の家族は探しようも無いとこの際大熊町の町長に手紙を出そうと思っているそうです。
このように何か大事が起きるとこれが葵の紋のように何をやっても周りが認めてくれるという甘えが出て、親切が仇となるようなことが恐らくあちこちで起きているのではないかと思われます。報道では美談ばかり報じられますが、自然災害に打ちのめされ、その上、人からも厭な仕打ちをされたら、まして大事な自宅をそんな風に扱われたら怒るのは当然と思います。
芭蕉が奥の細道の中で言っているように『一夜仮寝の宿とても、立つとき感謝の念抱き』といっているように旅たつときには、今まで以上にきれいにするのが当たり前なのだが、、、、
ボーイスカウトは野営地に別れをする時に『残すものは何もなし、只この地に感謝のみ残すべし』といって、感謝の黙祷をして帰ってくる。この精神は困難時にも通じるのではないだろうか?
親切を裏切る事のないように各地の受難者の方たちにも是非考えていただきたいものです。政府も東電も現場で頑張っている人達も夫々の矜持を持って戦っている事だと思いますが、葵のご紋だから何をやっても良いということではないので、誇りある受難者であり、誇りある救助者になって欲しいものだと思います。