葉山の海と森

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『政治の堕落』を考える。

2015-05-13 10:30:13 | Weblog

先日の官房長官と沖縄県知事の会談で知事が最後に『日本の政治の堕落』とまで言い切ったことに関して政府はどのように感じたのであろうかと思うのだが、まさにカエルの顔に小便というような反応のようだ。

就任して4カ月以上も会わず、アメリカに行くためにポーズだけ会ったというようなパフォーマンスを国民は見抜いている事を理解できないとでも思っているのか。不思議な人種である。官房長官は横浜が選挙区だがもっと横浜らしくスマートにスポークスマンを務めることができないのか。あらゆる面で横浜ファンの小生はがっかりである。

国の組織の中で各省庁の名前が法務省、外務省、財務省、総務省と務めるという字の付いている省庁が本当に務めているのかと疑う事が山積みである。法務省といえば憲法問題、外務省は安全保障問題、財務省は財政再建問題、総務省は放送法にかかわる許認可の問題等々どれ一つとっても大問題ばかりである。もし頑張って務めていますと言うなら結果を見せて欲しいのだ。

おそらく他の省庁は務という字が付いていないのだから、あまり務めてはいないのだろうなと創造に難くない。私の知り合いに国家公務員がいるがなんと上から目線で喋ることが多いのだ。自分が国を動かしているという自負がそうさせているらしいが、民間企業で汲々と食いぶちを稼いでいる我々とは全く違う人種なのである。

260年続いた徳川幕府の鎖国と身分階級制度のお陰でお上は正しく、間違いないものだとの刷り込みがDNAとしてこの身体に染みついているのだ。これは何とかしなくてはと思うのだが警察や役所に行くとなんとなく敬語を使う自分に嫌になることがある。戦後の民主主義が根付いてきたと思ったら、またぞろ軍靴の音が響いてきそうなこの頃である。

安保法制が議論されているが、自衛隊がそのうち志願制から徴兵制に移るのは目に見ているが、その際の徴兵は国会議員や官僚の子息、公明党の支持母体の創価学会の青年部から優先徴兵を同法案に盛り込んだら如何なもんだろうか?私は戦中派だが戦後の物のない時期を経験しているし、父や兄をまた家族を戦火で亡くした人たちが友達の中に沢山居たので、決してこの惨禍を国民に味あわせてはならないと思うのだ。

高校生だった1960年にアメリカに行った時にこんな国と戦争をしたなんて、なんて馬鹿な指導者たちだったと16歳の私でも分かる強烈な印象を持っている。それ以来アメリカが好きだし、友人も沢山いる、葉山に住んでいた米軍家族とも仲良く、いちばん長い人で50年以上付き合っている人もいるが、今のアメリカは9.11以来変質したアメリカに追随していいものか、政治家は今一度戦後史を読み返してみて欲しい。

大学紛争の時代まだ力のあった学生と権力との闘争を経て、今やアメリカ的個人主義が跋扈する風潮を心底心配する年寄りの危惧である。大学不要論から専門学校のほうが社会に出てすぐに役立つという現代の要請もあるようだが、設計図が良ければ製品が良いものが出来るというのは自明の事ではあるが、折角の4年間の社会人の基礎づくりという視点で勉学に励んでほしいものだ。

政治の堕落から日本社会の堕落にならないように、今の国会、政治、経済、社会、それぞれの病理を解決する力をつけて欲しいと思っている。葉山町の町議会にも新しい風が吹いて来ているようである。その風を絶やさないように、堕落したと云われないように頑張って欲しいものである。安保法制は是非とも国民的議論のうえで行うべきもので、アベチャンの遊び道具ではないはずで心して注視しましょう。 

 

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