葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

鎌倉懐古4

2012-01-28 16:37:45 | Weblog
鎌倉のボーイスカウトの事に触れる前に前回書き忘れた事があるので書き加えます。
小学校2年の時に自転車を買ってもらって嬉しくて旧市内を乗り回していた頃、由比ガ浜の通称鉄管橋を自転車に乗って渡ろうとして橋の上から滑川にまっさかさまに落ちた事がありました。今でも鉄管橋は海岸橋の北側にありますが、その橋は太い水道管の上に板が敷いてあるだけの危険な橋でしたので、踏み外せば川に当然落ちる危険な橋で自転車で、渡れるはずも無くまさにこの頃からやって見ようの性格がもたらした事故でした。その時川向こうの人が川に入って助けに来てくれました。その時助けてくれた人が当時関脇か小結の大相撲の若瀬川関で家から子供が落ちるのを見てステテコ姿で飛び込んできてくれて関取の回しで橋の上に引き上げてくれました。
後年テレビで『私の秘密』という番組に出ろ出ろと皆に言われましたが、関取が引退されたかと言う頃で実現はしませんでした。しかしそれから不思議な大相撲との縁で父が高島部屋(横綱吉葉山、大関三根山在籍)の後援会に入り以来巴潟親方が亡くなるまで長い事お付き合いが続き今でも時たま両国を尋ねることがあります。(現在でも部屋跡でチャンコ『巴潟』は営業されています)

さて鎌倉のボーイスカウトですが、これは鎌倉と言う地域特有の文化と言いましょうか新し物好きというのでしょうか、ボランティア精神の発露で出来上がった社会貢献活動の始まりでありました。
昭和31年(?)の神奈川国体の時に奉仕をするということがきっかけでカトリック雪ノ下教会の鎌倉第3隊という団に1隊、2隊が吸収される形に集約され、第2隊に入っていた私は友達とカトリック隊に移籍致しました。

ボーイスカウトは元来英国生まれで青少年育成の為のボランティア団体でアフリカのボーア戦争の英雄のベーデンパウエル卿が戦争ではなく青少年を野外活動を通じてその個性を重んじ公民教育をやろうとしてのが始まりです。
その後イギリスからアメリカやアジアなど世界に広く青少年活動として広がって行きました。
この鎌倉は多くの理解者が居られたので比較的早くからこの運動を始めておりましたし、スポンサーとなった企業や指導者が沢山輩出いたしました。特に功績のあった人を上げれば第1隊の鈴木さん、第2隊の松田さん、第3隊の谷さんそしてスポンサーになって頂いた富岡さん、稲葉さん、そしてカトリック教会の神父様達でした。

日本が復興を始める時期の鎌倉は山は深く海は青く本当の意味で山紫水明の土地でした、山に行けばキャンプは出来るし今の鎌倉霊園の朝比奈峠はまだ開通していなくて野営が出来るほど深山幽谷の素晴らしい自然が一杯でした。今回世界遺産に立候補した中の常盤亭御所跡などは素晴らしいキャンプ地でした。
カトリックのボーイスカウトは東勝寺橋の奥の腹切やぐらの手前に大きな訓練場を持っていたので、カトリック教会の力が如何に大きかったかを今にして思えば驚きでした。後年ベトナム難民が亡命してきた時に受け入れたのが隣接する『黙想の家』という教会の施設でした。いわば此処は日本で始めての難民受け入れの場所であった訳です。

成小(御成小学校の事を我々はこう呼びます)を卒業して関東学院六浦中学に入ってもボーイスカウト熱は冷めず毎日曜日に本部に行って訓練の日々を過す事になります。学校以外の良い先輩が沢山居て本当に良い勉強をさせてもらいました。中でも鬼隊長として近隣では知らない人は居ないと言う谷千春氏、その辺のヤクザもびびるほどの軍隊帰りの強面で口さえ利けないほどでした。後に銀座通り(今の御成通り)に鎌倉で唯一の運動具店を開き繁盛を極めました。この鬼隊長の下、後に栄光学園の園長になったT神父や松竹の名カメラマンK氏、ブラジルに雄飛したS氏M氏など多彩な人達が輩出しました。
我々の同期で言えば映画字幕の第1人者W氏、鬼籍に入ってしまったがプロデューサーとして電通で辣腕を振るったS氏など面白い人材が沢山居ました。今でも75歳の先輩が小町の紅灯の巷を元気に闊歩しています。

ボーイスカウトのお陰で鎌倉を隈なく歩き街中は勿論山も海も知り尽くしていくのですが、現在のようにお金を取って入る寺などは皆無でしたから自在に歩き回る事が出来ました。
今では中々入れる所が難しいところですが特に私のお勧めは覚園寺の百八やぐら、宝キョウ印塔、十二神将など又極楽寺の奥の忍性の墓や月影地蔵などはお勧めです。この辺は最新情報として別途お知らせいたします。

ボースカウト活動は年々盛大になり、我々も世界ジャンボリーに参加するほどに成長していきました。
昭和36年(1960年)夏の一ヶ月アメリカのコロラド州のコロラドスプリングスに派遣される事になります。
高校2年で当時のアメリカ大統領はアイゼンハウアーでした。

















































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鎌倉懐古 3

2012-01-08 16:11:39 | Weblog
御成小学校では低学年は女性の大須賀コマ先生と高学年は小関邦衛先生が担任であった。小関先生はご健在でこの正月も年賀状を頂いた。なんと嬉しい事で我々が還暦になっても同窓会に何度も出ていただいた。是非長生きをして頂いてこの先も同窓会に出ていただきたいものです。この年代は子供の人数が多くて確か7組か8組まであったような気がします。やはり戦時中の生めよ増やせの時代だったのかと思われます。

同級生の思い出の中で近所に引っ越してきた松竹の女優月丘夢路の妹というHYという可愛い女の子が居まして、何度か遊びに行った記憶があります。彼女の家は妙本寺の門前にあり大きなお屋敷でした。確か卒業までは居なかったと思いますが今どうなさっているか会って見たい気もします。又、韓国の大学教授をお父さんに持つ周鄭華さんという色白の美人でした。まだ対日感情も悪い当時でしたし、李承晩大統領の頃で帰られてからどうなっているのかも分からず同窓会でも話題の人でした。クラスでいつも1番の北里大学の教授になったS君、河童の漫画家清水昆の息子のS太郎は画伯となり、航空自衛隊の航空指令になったO君など多彩な人達が居ました。
又女性たちも凄くて目黒雅叙園の社長夫人にもなったMHさんや銀座の老舗バーマリのママのIKさんなど自立したり大手企業の重役婦人になったりと多士済々の面々でした。

鎌倉は年中行事が多くて八幡様の祭りは学校が休みになったり、大きな行事があると半日だったりと結構ゆるい学校生活だったように思います。今のゆとり授業よりゆるく、遊んでいてそれでも社会に出て社会的地位の高い所で活躍をした人が多いのはどういうことかと今の教育に疑問を感じます。子供の成長期は人生の土台作りだと胆に銘ずべきと思います。我が家にとっては母が信仰心のある人だったので、巳の日は弁天様、27、28日は荒神様、6月の茅の輪くぐりと大払いは八幡様(札納め)、8月10日は覚園寺の黒地蔵、10月15日は光明寺のお十夜など数え切れない程の寺参り、墓参り、神社回りがありました。でもそのお陰で神や仏に守られたのかもしれません。ついでに言えば母の葬式は仏式と教会で2回行いました。

自慢と言えば母が丈夫に産んでくれたので健康でいられ御成小学校で2年生から6年生まで毎年健康優良児の表彰を受けいつも乳業メーカーから一杯賞品を貰ってきたのが唯一の自慢です。
これには訳があるのかもしれないと思えたのは大人になってからですが、家の斜め前には小児科の大塚医院、裏には秋庭医院、道路に出ると楠医院、前田眼科、無論針ガ谷産婦人科も近くにあり、その全ての病院とも父が親しかったので一寸出来すぎかなとも思いました。中でも前田医院の女医先生はいつも行くと子供がいないせいもあって抱きしめてくれるのです。遊び場にもなっていました。又家の前の大塚医院は養老静江という日本でも女医の草分けの先生でいつも和服でエプロン掛けで診察し、夜はご飯を食べさせてくれるほど身内のような先生でした。
この先生の往診が駅前から人力車の車夫が迎えに来るのですが、その車夫も当時としては背の高い格好良い人でした。今たむろしている観光車夫とは比べ物にならない粋なオジサンたちでした。ちなみにこの養老先生の息子が日本の頭脳と言われる『バカの壁』を書いた彼です。子供の頃はよく一緒に遊び山に昆虫採集に行きましたが、楽しい時代でした。

小学校4年生の時に八幡宮の平家池の森でボーイスカウトの神奈川連盟のキャンポリーというキャンプ大会が開かれました。私の長兄と次兄が入っていたのでまだスカウトにはなれなかったのですが、翌年5年生になり鎌倉第2隊というところに入隊致しました。これがある種自分の人生を変えたように思えます。
ちなみに鎌倉は横須賀に近いせいもあって進駐軍の援助が受けやすく、戦後すぐにボーイスカウト運動が発展してきました。当時材木座の鈴木さんが第1隊、小町の松田さん第2隊、カトリック雪ノ下教会の第3隊の3隊が昭和25年位から活動していました。青少年教育の大事な事が言われ始めた頃だと思いますが、その頃のスカウト運動は金持ち坊ちゃんの遊び場的な認識しかありませんでした。確かにその面ではバックに居た大人は大物でしたが決して内容的には遊びではなかったのです。
次回鎌倉のボーイスカウト運動についてお話いたします。
























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おめでとうございます。

2012-01-03 14:23:05 | Weblog
2012年の新しい年が始まりました。皆様にはお元気にお過ごしでしょうか?
昨年の大震災や津波そして原発事故、千年に一度の遭遇にもめげず東北の方たちの忍耐と復帰力には頭が下がります。どうかこの年も勇気と知恵を持って乗り越えて歩んで行って下さい。無為無策な政治家よりも皆さんの方がよっぽど国や地域の事を考えておられる事に敬意を表します。微力ながらお手伝いが出来ればと念じております。

さて、この小さな町に4年に一度の政治の季節がやってまいりました。昨年の4月の統一地方選挙において町議会の構成が大きく変わり新しい風が吹き始めたようですが、結局のところ首長が変らなければ実は何も変わらないと言うのが実情のようです。このブログを書くきっかけになったのは我が家の隣の千坪の森が売却され、分譲地になると言う環境破壊から町をナントカしたいと言う事から始まりましたが、あれから4年この町は何一つ変っていないように見えますがストレスのマグマは爆発寸前のようです。

1月15日投票の町長選挙があります。現在のところ2人プラス現町長の出馬らしいですが、実際のところ現町長の応援団は見当たらず、実質議会からの2人の立候補という現役弱しという構図になっています。普通現役の2期目というのがそのまますんなりと言うのが、世間の常識でしょうがそこは葉山町、常識では考えられない事が起こっていると言うのが普通の町ではない所以でしょう。町長不人気の件は皆さんご存知でしょうから書きませんが町議2人が辞職して立候補というのからして葉山町始まって以来前代未聞の選挙が行われるのです。

所謂、地元っ子と移住派、40代と30代、守旧派と改革派、山派海派の戦いなどと揶揄されますが、地方自治の本来の姿をどういう風に行うのか、今の世の中、国政も地方も誰がなっても苦労するのは同じですが、この3万人の町をどう引っ張って行くのかを示してもらいたいものです。
マニフェストと言う言葉は以前三重県の北川知事が選挙のときに初めて使ったと記憶しているが、これはただ『表明する』とか、『行く手を示す』とか言う事で約束ではないのです。どこかで解釈が『約束事』と言う事になり金科玉条の憲法になってしまい、守らなければ選挙民に申し訳が立たないという変な解釈が横行しているのです。
もし選挙民との約束事ならば『契約書』(Testament)の形にしてもっとシビアーに語るべきです。

この町に住んでいない方たちにはコップの中の嵐と笑わないで頂きたい。今この町は結構深刻なのです。
数代前からの首長のミスリードから昔からの住民が洗脳されて、お上意識が植え付けられ、従順に選挙や仕事、町の行事などで素直に従ってきたのですが、ここに来て新住民の方が増えて又多くのテクノクラートが移り住んできて守旧派の人達の存在価値や利権が脅かされるようになってきたのです。ですから誰か町長選には出さなければ自分達の存在意義が無くなってしまうという危機感から年恰好も良い40代の町議に白羽の矢が立ったのです。
この人は人柄はとても良いそうで議会でも余り発言しない、本当に良い人らしいです。本人も順番なので僕やりますと言ったそうですが、こんな良い人を役場の妖怪や魑魅魍魎の中に入れたら可哀想じゃありませんか。

そこに若くてかっこいい青年が立候補すると言う。これで町は分断されてどちらが勝ってもあちら側とこちら側になると言う構図が出来上がりました。それでもどちらが勝っても町の借金150億円や下水道問題、ゴミ問題、役場改革特に給与改革など山済みの問題があるわけで、この問題をどうすれば良いのかというディベートを公開でやって当然質問も参加者から出してもらって行うべきと考えます。民間会社でも地位が人間を造るという事が言えます。今回は恐らく自民党や民主党、みんなの党等多くの政党から応援や横槍が入る事が予想されるので、この選挙は黙って見ていて欲しいと思います。地方選挙はその土地特有の状況があり、政党の及ばない部分がありまして既成政党のだらしなさを地方に持ち込んで欲しくないと思うのです。(大阪の状況を見れば分かると思いますが)

今の役場は手のひらに首長を乗せ、躍らせて自分の有利な方に引っ張って行く官僚主義で運営されています。
これを断ち切り地方自治法の中で特に地方公務員法をよく勉強し、信賞必罰をはっきりさせてあめと鞭を使い分ける首長が必要です。その周りを本当の意味のテクノクラートを結集して住みよい町を作って行きたいと自分の責任を果たしながら、今年一年を健康で歩みたいと思っております。
東北の復興と皆さんのご多幸を心から祈ります。

























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