久しぶりに休みが取れたので、十年ぶり位に富山県の八尾の『風の盆』に行って来ました。前回が年寄り連れだったので今回は家内と二人自由に動き回れるように、車を現地調達をして規制の始まる前に八尾に入り夜まで町中を歩き回り良いところをリサーチ、その甲斐あって諏訪町の町流しの会場では椅子に座って目の前の踊りを堪能できた。
有名になりすぎてはいても、何十万人という観光客が押し寄せその雰囲気を味わいに来ているのだが、祭りの意義や町の人々の思いとは別のところに祭りが変質してしまっているように感じてしまったが、それでもこの情緒は日本人の美意識や文化意識、宗教観が良く現れているのが伝わってきて、それは素晴らしいものであった。
ここで感じた事は北陸の片田舎の町の坂だけで余り産業もない(養蚕が盛んだったようだが)、300年も続いているこの祭りの意味は何だったのだろうと思うと地方の底力ではないかと思えてならない。それは各地方で守られている祭りや習慣、習俗などが色濃く残っている町(村)こそが実力を持っているだと思いました。
小、中、高の学校は9月1日から3日まで休み、企業もそれに合わせ殆ど休業、そうして町全体が一年の頂点をこの3日間にターゲットをおいて活動するのだそうだ。当然学校のカリキュラムの中には『豊年踊り』などの練習が入り、中学生になると完璧に踊り手になっているという、そして高校以上になると男踊り、女踊りといういわば大人の踊りに変っていくのだそうだ。男も女も笠の中の顔が見えず、うつむき加減に踊るその色っぽさはまさに日本人の艶で粋であると思える。欧米人のようにハグしてキスしてという直接的なことではなく、心の秘めた美しさが夜の帳と共に一層幻想的に演出されると、この町に住みたいと思った人は私一人ではないと思うくらいです。
そして何よりも凄い事が11町内会の自治が殆ど役所や警察が出ていなくても、持ち場の人達の努力で整然と行われている事でした。警察は交通規制だけでその内側は全て各町内会の人達が運営し、客をもてなすという事を考えているその姿勢(本来は盂蘭盆の送りのためと豊作感謝の身内のお祭りなのに)、雨が降れば町内会館を会場にして200人くらいをすぐに決定し、来てくれた人達への対応は素晴らしかった。無論お祭りだから値段は高めなんだろうけど、踊りの指導も熱心だし、輪踊りにも入れてくれるし非常に接待が上手い八尾の人達であった。
翌日、八尾から小一時間の南砺市(なんとし)の井波という町を訪ねたのだが、ここもまた落ち着いた良い町であった。以前NHKの番組で見た彫刻師の町で、日本の彫刻のルーツとも言う京都東本願寺の仏師の流れを汲む所謂彫刻、仏像、欄間、寺社の装飾の彫師の集積地で、多くの中央の展覧会に入選している人達を輩出している町で、瑞泉寺前の八日町通りという通りには多くの彫刻師の工房があり、仕事しながらでも話しかけても気さくに大対してくれる美術好きには一日居ても飽きない居心地の良い町でした。
総じてこの旅で感じた事は、富山の人達はあたたかいと言うことでした。聞いたところでは全国に散らばった富山の薬売りがもたらした処世術でもあるし、人の話をよく聞くというつまり情報を大切にするというこんな県民性が表されているような気がします。薬で言えば広貫堂、富士薬品、ファスナーのYKK、機械の不二越、回転寿司の鈴茂、アルミの立山アルミなど世界に冠たる企業があるのも越中の自慢かもしれない。例の越中ふんどしでも名を残しているくらいだから、PR上手なのかもしれない。
いずれにしても地方は頑張って伝統を守り、人々が仲良く共生し小さなコミュニティーでも子供たちを皆で育てている現場を見ていると、この国の中央に居る人達は何をやっているのだろうといつもの腹立たしさが湧いてくる。
今度のどじょう内閣は何かをやってくれすかもしれないが、期待感無しに少し待ってみましょう。
300年の伝統には及ばずとも、良いものを慣習付ければ必ず後世に残るものが出来るはずだ。増税ばかりが能ではない。被災地の一日も早い復興で伝統行事が復活し、見学に行かれる日が早く来ればと願うものです。
有名になりすぎてはいても、何十万人という観光客が押し寄せその雰囲気を味わいに来ているのだが、祭りの意義や町の人々の思いとは別のところに祭りが変質してしまっているように感じてしまったが、それでもこの情緒は日本人の美意識や文化意識、宗教観が良く現れているのが伝わってきて、それは素晴らしいものであった。
ここで感じた事は北陸の片田舎の町の坂だけで余り産業もない(養蚕が盛んだったようだが)、300年も続いているこの祭りの意味は何だったのだろうと思うと地方の底力ではないかと思えてならない。それは各地方で守られている祭りや習慣、習俗などが色濃く残っている町(村)こそが実力を持っているだと思いました。
小、中、高の学校は9月1日から3日まで休み、企業もそれに合わせ殆ど休業、そうして町全体が一年の頂点をこの3日間にターゲットをおいて活動するのだそうだ。当然学校のカリキュラムの中には『豊年踊り』などの練習が入り、中学生になると完璧に踊り手になっているという、そして高校以上になると男踊り、女踊りといういわば大人の踊りに変っていくのだそうだ。男も女も笠の中の顔が見えず、うつむき加減に踊るその色っぽさはまさに日本人の艶で粋であると思える。欧米人のようにハグしてキスしてという直接的なことではなく、心の秘めた美しさが夜の帳と共に一層幻想的に演出されると、この町に住みたいと思った人は私一人ではないと思うくらいです。
そして何よりも凄い事が11町内会の自治が殆ど役所や警察が出ていなくても、持ち場の人達の努力で整然と行われている事でした。警察は交通規制だけでその内側は全て各町内会の人達が運営し、客をもてなすという事を考えているその姿勢(本来は盂蘭盆の送りのためと豊作感謝の身内のお祭りなのに)、雨が降れば町内会館を会場にして200人くらいをすぐに決定し、来てくれた人達への対応は素晴らしかった。無論お祭りだから値段は高めなんだろうけど、踊りの指導も熱心だし、輪踊りにも入れてくれるし非常に接待が上手い八尾の人達であった。
翌日、八尾から小一時間の南砺市(なんとし)の井波という町を訪ねたのだが、ここもまた落ち着いた良い町であった。以前NHKの番組で見た彫刻師の町で、日本の彫刻のルーツとも言う京都東本願寺の仏師の流れを汲む所謂彫刻、仏像、欄間、寺社の装飾の彫師の集積地で、多くの中央の展覧会に入選している人達を輩出している町で、瑞泉寺前の八日町通りという通りには多くの彫刻師の工房があり、仕事しながらでも話しかけても気さくに大対してくれる美術好きには一日居ても飽きない居心地の良い町でした。
総じてこの旅で感じた事は、富山の人達はあたたかいと言うことでした。聞いたところでは全国に散らばった富山の薬売りがもたらした処世術でもあるし、人の話をよく聞くというつまり情報を大切にするというこんな県民性が表されているような気がします。薬で言えば広貫堂、富士薬品、ファスナーのYKK、機械の不二越、回転寿司の鈴茂、アルミの立山アルミなど世界に冠たる企業があるのも越中の自慢かもしれない。例の越中ふんどしでも名を残しているくらいだから、PR上手なのかもしれない。
いずれにしても地方は頑張って伝統を守り、人々が仲良く共生し小さなコミュニティーでも子供たちを皆で育てている現場を見ていると、この国の中央に居る人達は何をやっているのだろうといつもの腹立たしさが湧いてくる。
今度のどじょう内閣は何かをやってくれすかもしれないが、期待感無しに少し待ってみましょう。
300年の伝統には及ばずとも、良いものを慣習付ければ必ず後世に残るものが出来るはずだ。増税ばかりが能ではない。被災地の一日も早い復興で伝統行事が復活し、見学に行かれる日が早く来ればと願うものです。