葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

イスラムを考える。

2015-01-31 11:57:31 | Weblog

今年も始まったばかりの一月に日本を揺るがす大きな事件が起きていた。昨年来イスラム国に捕われていた日本人二人が一人は殺害され、一人は交渉中のため真偽の分からない状況が続いている。この時期に戦争地帯に行くこと自体が間違っているとはいえ起きてしまったことは仕方ないのだが、ここで問いたいのは日本の政府の外交実力がどれだけあるのかと言うことが試されているのだろうと考えるのです。今まではイスラムと言う遠い外国の宗教を中心とした国々が勝手に戦争をしていると言う、対岸の火事が火の粉ではなく直火が降って来たのである。

思い起こせば北朝鮮の拉致問題も一向に解決せず、先方の言いなりに回答をお待ちしますと言う姿勢、昨日の報道で朝鮮総連のビルも賃貸が出来るようになるとか、ここには政治家が介在したようであるが、これで北朝鮮の心証が良くなって拉致問題が進展すればこれはこれである種外交の勝利なのかもしれないが、何も情報がないところで全てが動く世の中になってきたような気がする。恐らく秘密保護法の故に今後も何も出てこないかもしれない。

ところでイスラムだが、この問題は対症療法では駄目で根本を解決しなければ、未来永劫戦争状態が続くことになるという認識を持たなければ解決はしないだろう。そして何よりも彼等の歴史を知ることに尽きる。報道などでは今の国境線を敷いた第一次世界大戦後の英仏の責任を問うているが、私はそれだけではなくもっと遡って理解をしなければならないと思っている。それは一気に紀元前まで遡るのである。キリスト教もそうだが、イスラム教も一神教であり唯一絶対の神への信仰は彼等の生きる糧なのだ。

これらを理解するには旧約聖書を読めば大体の事は理解できる。すなわちイスラムはユダヤ教とほぼ同じ戒律を持っているからだ。キリスト以前の旧約聖書は神話的なこともあるが、天地創造の部分を除いてはほぼ歴史上の人物や習俗、習慣など現代に通ずる常識、非常識が読み込めるのだ。イスラム国が言っている『目には目を、手には手を』の法則もハムラビ法典にあるのと同じことが聖書に書かれているのだ。奴隷制度も然り、戦争で勝った方が負けた国民を奴隷にするという、彼等にとってはいわば昔の法典に沿った行動をしているのだと言う理論なのだ。

中東地域で国民の父と言われたのがアブラハムで、今のイラクのウルで生まれ神の啓示によりイスラエルに移住してきた。そこで神との契約(旧約)がなされ、カナンの肥沃な土地を彼に約束をしたのだ。しかし生まれた長子イシュマエルは母が奴隷の為、長子の権利を後から生まれたイサクに取られ東の方(アラビア方面)に追いやられてしまう。又イサクの長子エサウもヤコブにその権利を取られてしまう。つまりユダヤ民族はアブラハム、イサク、ヤコブの血統であるのだが、他の追いやられたイシュマエル、エサウの末裔が所謂イスラムになっていったので、基本ユダヤ民族(ヤコブから分かれた12部族)とはある種恨みが連綿と続いていると言う認識を持たねばならないということだ。

翻って日本の対応はどうすれば良いのか、政治家たちにもっと歴史を学んで(当然近代史も)、戦争を起こさせない日常の人間としての付き合いをし、お互いの理解を深めておくことが大事なのではないか。駐在大使館ではあまり現地人と付き合わず日本人商社マンの情報で本国に報告をしていると聞いたことがあるが、現地の人達の中に入って、その生活の中からお互いを理解し会えることが出来るようにすべきである。

こんな人質事件が起きればアベチャンはチャンスとばかりに軍事力や秘密保護法などで国民を締め付けてくるだろう。自衛隊には国内の災害派遣のような人助けに海外に出て行き、感謝される軍隊になってもらいたいものだ。

時間のある方は旧約聖書のダビデの物語かソロモンの物語くらいまで読まれると面白いと思いますのでお勧めいたします。

 

 

 

 

 

 

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葉山人は常識人

2015-01-25 16:21:15 | Weblog

先日、横須賀線が鎌倉駅であった人身事故のために大幅に遅れ、10時過ぎまで混雑している時に逗子まで帰ってきたが、当然長井方面行きや海岸回りも長蛇の列で、待っていても遅れるだけだと思い混雑バスに久しぶりに乗り込んだ。逗子駅でほぼ満員、私も一番奥の天井のつかえそうなところまで押されて立っていたが、新逗子では大丈夫かとの思いを抱きながらバスは走り出した。

やはり新逗子では多くの人達が待っており、数人無理やり乗り込んだところで超満員、運転手もドアーを閉めるというやむをえない案内をした。同時に乗ってきた50歳前後のサラリーマンが『こんな寒いところに長い間待たせて増発しないのか』といきなり運転手を怒鳴りつけた。満員であるにも拘らずしょうがないだろうと回りの人たちは知らん顔をするしかないのだが、身動きできないところでは車内ではどうする事もできずにいたが、40代後半の人が『混んでいるんだか、しょうがないだろう、皆我慢をしているんだから』と、その親父をたしなめた。少々の口論があったが、どう見ても恫喝親父のほうが分が悪い。葉山やその先の秋谷、長井方面までの人は横須賀線が遅れると、その影響はバスダイヤに影響があることぐらいは織り込み済みでこの地域に住んでいるはずだろうと思うのだが、、、

世の中には自分の尺度で物事を考える人が大半だと思うが、この地区に住んでいる事の認識が浅いと本当の喧嘩になってしまうんだなと、つくづく考えさせられた。恫喝親父にも言い分はあるだろう。寒いところ長く待たせられて、満員でドアーぎりぎりの所で乗せられて、仕事疲れで怒鳴ったのかもしれないが、一寸考えれば分かる事に思いが至らない、ここが問題だと思うのだ。つまり乗れなかった人達はまだ寒風吹く寒空に待つと言うこと、葉山で混むのはせいぜい葉山小学校までで、その先は殆ど空いてしまうのだという事、高々10分~15分程度我慢をすればお互い様ですんだのにと思うのだ。

たしなめた人は風早橋で降りて行った。恫喝親父は葉山公園に着く頃には席に座っていた。つまり葉山の人間ではなかった。横須賀の人達を悪く言うつもりはないが、折角、気候風土の良いこの地域に住んで京浜急行のバスに世話になって、葉山を通ってJRや京急に乗っているのだからもう少しおおらかな交わりをしましょうと言いたい。横須賀は人口も減ってきている現実もあり、人を呼ぶのは西海岸通しかないのだから住んでいる人の魅力で頑張って欲しいと思いますね。タイトルの『葉山人は常識人』、自分も含め反省の意味も込めてそうしたのだが、常識が通じない人達が多くなってきた現在、他人の子供でも、大人でも理不尽を叱る常識人になりたいと思った次第です。

満員バスの中で恫喝親父をたしなめた貴方は葉山の常識人です。

 

 

 

 

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明けましておめでとうございます。

2015-01-12 11:43:12 | Weblog

七草も過ぎ、どんと焼きもすみましたが改めておめでとうございます。

今年がどんな年になるかはアベチャン次第のようですが、またまた民度を下げるような事になるような気がしてなりませんが、選んだ以上諦めるしかないのか、フランスのようなテロリストが現れるのか、予断を許さない世の中になってきたようです。せめて終戦後70年と言う節目の年にふさわしい穏やかな年になってくれればと願うばかりです。

ところでLEDの普及がこの葉山町にも訪れて来ました。昨年暮れに町内の街灯が今までの白熱電球から高輝度のLEDに変りましたj。町の試算だと年間700万円位のコスト削減だそうです。つまり議員一人当たりの報酬をひねり出したわけです。こういう地道なコスト削減をやっていけば財政再建が出来ると言う良いお手本になるのではないでしょうか。次は何をやるか楽しみにして待っていましょう。

私の住んでいる下山口と言う地区は葉山の端っこ、御用邸から長者が崎の間の地区だが、建設ラッシュが続いていて周辺でも旧日経新聞社寮も分筆され数件が建築に入り、旧京急ビラも新しい工事が始まっている。葉山公園前にはパナホームがマンションを建てるといって反対運動がはじまっている。この地区は葉山の端っこではあるが、バス便の良さ、海岸回りと山手回りが約10分おきくらいにダイヤが組まれているし、車なら15分で逗子駅まで行かれる便利さだ。しかも殆ど座って行かれるからだ。多くの新住民が増えることも喜ばしいが中々難しい面も出てきているようだ。

最近テレビでよく湘南の番組でよく取り上げられる葉山は確かに東京の人達や地方の人達にとっては憧れのようであるが、住んでいる我々にとってはその有難さが分かっていないのではなかろうか。そんなテレビで取り上げられる番組で昨年葉山の新名所と言われるところができたのをご存知だろうか。NHKBSのチャリダーという番組があり、これはひたすら自転車で急坂を乗りこなすと言うものであるが、以前同じNHKで小樽の励ましの坂という番組を見たがほぼそれと同じで、葉山のそれは坂としては短いのだが、何せ急坂には違いない。

その坂は木下通りにある葉山教会に通じる『激坂(通称決心の坂)』といわれる約30度の坂である。ここを一気に上ると言うのをNHKBSで放送したので、マニアックな愛好家が訪れているのだ。この間の日曜日にも数人のライダーが坂下に居たのを目撃した。車でもローで上がるのが精一杯、途中で止まったら一度下らないと女性ドライバーでは難しいところだ。これを自転車で2分程度で上がるらしい。自転車人口が増えてくるのはECOに対しては良いことだが、危険なこともあることはよく理解しなければいけないだろう。

気候が良くなって、温かくなったら私も一度挑戦してみたいと思っている今年の一つの目標でもあります。また、もう一つの目標は鎌倉の社寺めぐりを昔の記憶を辿って歩いて見て、帰りに小町の路地で一杯やって帰るのを月一位でやってみようと思っています。健康第一の念頭の思いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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