葉山の海と森

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ヴィーナス問題

2024-12-07 16:19:24 | Weblog
ヴィーナス問題って何と言われるかと思うが、少しさかのぼってお話ししようと思う。何度もこのブログで書いているが私は鎌倉の小町生まれが
自慢である。今は観光地として京都、奈良に匹敵するほどの観光地になっているが、私の子供のころは未だ鄙びたまちであった。昭和30年代
高校生の頃、自動車免許をとって(当時は16歳で免許が取得できた)そしてドライブをして立ち寄るのが坂の下のヴィーナスであった。
昨今の報道によると鎌倉市から市有地だからだ立ち退けと迫られているらしい。しかし私にとってはあの店は青春の思い出のアルバムの
1ページの店であった。前にも書いたがボーイスカウトの打ち合わせ会議のあとには皆でお茶を飲みに行ったり、食事ををしたりと、
 思い出の場所であった。今の建物の所有権は誰だか知らないが、少なくても30年代の神奈川国体の頃には無かったかと思うが、
免許を取った後だから昭和30年代の後半には店ができていたとおもうのだ。客として行っているのだから土地の所有が誰だかわからないが
今は昭和でいえば90年代だろう、もしその間せめて昭和40年から50年代に交渉していればいいのに、今更市の土地だから解体して明け渡せというのは
無理な話しだろう。私は土地の所有者ならもっと早くに立ち退きなど必要な法的な手続きをすれば良かったのではないか? 役所の先送りの
怠慢こそが責められるべきだろうと思うのだ。私は前にも書いたが、小町で生まれ、鎌倉を愛している。そして思い出の店も愛している。
ヴィーナスだけではないが、愛した店が段々無くなっていくのが、寂しいのだ。今、小町の小さな川の上にある数軒の小さな店も違反だとして
ここ一年ぐらいで撤去されるそうだ。行政にはそれなりの理屈があると思うが、もっと知恵を出さないかと思うが、知恵者はいなのか。
余計なことだが市長にもう少し考えてみて欲しい。所謂大船地区に生まれ育った人間にはわからないと思うが、今の旧市内にいる人たちが
私は鎌倉人と思っている。大船地区出身の未だ若い市長では鎌倉を愛する気持ちは分かってもらえないかもしれないが、私に言わせれば大船は
鎌倉ではありませんから。大船は産業地区で企業の集約地で地勢的に鎌倉になっているだけの事を考えてみて欲しい。
市役所移転の事ももっと利口になって考えてみて欲しい。言わばヴィーナス問題も同じだと思うのだ
時代とともに変わるのは仕方がないが、無理して禍根を残すようなことはやめて欲しいのだ。鎌倉生まれの鎌倉を捨てた老人のたわごとだ。
  

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