大内宿に立ち寄ってみたが、今ひとつ旅
情がわかない。
江戸時代の宿場の景観を残しているうえ、
お国なまりで在所の人々が応対してくれる。
重厚なかやでふかれた家々に圧倒される。
それはそれで、とてもいい。
この地の大昔の風景を、思い描くことが
できる。
だが、何か足りない。
わたしが気むずかしいのだ。
ほかの家族は、せがれの車から降りると、
いっせいに思い思いの方向に行ってしまい、
わたしだけぽつんとその場に残された。
ぼんやりとたたずみ、さてこれからどう
しようかと考えてしまう。
ふいにひばりの鳴き声がして、わたしは
空を見あげた。
空が青い水をたたえた巨大な井戸のよう
に思え、そこに落ち込んでしまう。
そんな恐れを感じた。
自分の中の何かが、群衆の中にいるのを
避ける。それは小学生の低学年のころから
の癖だった。
もよりのお宮さんがわたしの遊び場。
春は蝶、夏ならセミをとる。
セミのぬけがらも。地表近い木の幹をゆっ
くりとだがしっかりした足取りで這ってい
るのを見つけたときなど、わくわくしたも
のだ。
ふいに通行人のひとりの体が、ボンとわ
たしの肩に当たった。
わたしはよろけそうになるのを、両足を
ふんばってこらえた。
あわてて、視線を地上にもどす。
山の雑木林。
うす茶色の葉ばかりの中に、淡い色のさ
くら花を見つけた。
いっぷくの絵画を見るようで、得をした
気になる。
ブオッ。
車の排気ガスが突然、わたしの鼻のあた
りを直撃してしまい、わたしは気持ちがわ
るくなる。
次々に観光バスが到着しはじめ、人がそ
こからわさわさ降りて来る。
わいわいがやがや、人の話し声を聞くの
がいやだ。
わたしは静かなところを求めて、宿場外
れに向かった。
自然と、細い山道をたどり始める。
「どこさ、行きなさる?」
大きな竹かごを背負った年配の女の人が
わたしに声をかけた。
わたしは思わず笑顔をつくり、
「ちょっと静かなところに」
と答えた。
「あんまし、奥へ入らんがええ。あぶね
えこともあるで」
「あぶないこと?」
「んだ。クマが出よる」
わたしは怖気づき、顔色がさっと変わっ
た。
「時間があるんなら寄っていかっせ。茶
でもよんでくれっから」
彼女は南会津町の住民。
もっと土地の言葉がきつかったように思
うが、北関東の田舎なまりに訳すと、だい
たいこんな調子だった。
茶は実にうまい。
それもそのはず、彼女の手づくりだった。
しばらくして、空気のうまい草の生い茂
る場所から、ふいに広い空間にでた。
「どこへ行ってたのよ。心配したわ。あ
ちこちみんなで探しまわったのよ」
かみさんが怒った顔でいう。
「ちょっと山へ行ってたんだ」
「ひとりで?」
「ああ。人がいっぱいのところがきらい
なの知ってるだろ?」
「でもここまで来て、それはないでしょ。
みんなで楽しんだらいいでしょうが」
せがれたちが、うんうんと首を振る。
「ところでさ、あんた、何もってんのよ、
手に?」
「ああ、これ?わらび、とかね。あと名
前の知らない山菜やら。もらったんだ。地
元のおばあさんにね」
かみさんは山のほうに向きなおると、ふ
と表情を変えた。
木々がじゃまをして、年配の女の人の家
はまったく見えない。
「あんなところに人がいたんだ?」
「いたよ。熊がでるからってね。注意し
てくれたりもしたよ」
「世の中にはめずらしい人がいるもんね。
あんたったら、冗談ひとついえない、気む
ずかしい、人間なのに」
かみさんはちょっとの間、青ざめた顔で
もの思いにふけったが、
「まあいいわ。あんたが無事で帰って来
てくれたんだから」
そう言って、口もとにえくぼをつくった。
情がわかない。
江戸時代の宿場の景観を残しているうえ、
お国なまりで在所の人々が応対してくれる。
重厚なかやでふかれた家々に圧倒される。
それはそれで、とてもいい。
この地の大昔の風景を、思い描くことが
できる。
だが、何か足りない。
わたしが気むずかしいのだ。
ほかの家族は、せがれの車から降りると、
いっせいに思い思いの方向に行ってしまい、
わたしだけぽつんとその場に残された。
ぼんやりとたたずみ、さてこれからどう
しようかと考えてしまう。
ふいにひばりの鳴き声がして、わたしは
空を見あげた。
空が青い水をたたえた巨大な井戸のよう
に思え、そこに落ち込んでしまう。
そんな恐れを感じた。
自分の中の何かが、群衆の中にいるのを
避ける。それは小学生の低学年のころから
の癖だった。
もよりのお宮さんがわたしの遊び場。
春は蝶、夏ならセミをとる。
セミのぬけがらも。地表近い木の幹をゆっ
くりとだがしっかりした足取りで這ってい
るのを見つけたときなど、わくわくしたも
のだ。
ふいに通行人のひとりの体が、ボンとわ
たしの肩に当たった。
わたしはよろけそうになるのを、両足を
ふんばってこらえた。
あわてて、視線を地上にもどす。
山の雑木林。
うす茶色の葉ばかりの中に、淡い色のさ
くら花を見つけた。
いっぷくの絵画を見るようで、得をした
気になる。
ブオッ。
車の排気ガスが突然、わたしの鼻のあた
りを直撃してしまい、わたしは気持ちがわ
るくなる。
次々に観光バスが到着しはじめ、人がそ
こからわさわさ降りて来る。
わいわいがやがや、人の話し声を聞くの
がいやだ。
わたしは静かなところを求めて、宿場外
れに向かった。
自然と、細い山道をたどり始める。
「どこさ、行きなさる?」
大きな竹かごを背負った年配の女の人が
わたしに声をかけた。
わたしは思わず笑顔をつくり、
「ちょっと静かなところに」
と答えた。
「あんまし、奥へ入らんがええ。あぶね
えこともあるで」
「あぶないこと?」
「んだ。クマが出よる」
わたしは怖気づき、顔色がさっと変わっ
た。
「時間があるんなら寄っていかっせ。茶
でもよんでくれっから」
彼女は南会津町の住民。
もっと土地の言葉がきつかったように思
うが、北関東の田舎なまりに訳すと、だい
たいこんな調子だった。
茶は実にうまい。
それもそのはず、彼女の手づくりだった。
しばらくして、空気のうまい草の生い茂
る場所から、ふいに広い空間にでた。
「どこへ行ってたのよ。心配したわ。あ
ちこちみんなで探しまわったのよ」
かみさんが怒った顔でいう。
「ちょっと山へ行ってたんだ」
「ひとりで?」
「ああ。人がいっぱいのところがきらい
なの知ってるだろ?」
「でもここまで来て、それはないでしょ。
みんなで楽しんだらいいでしょうが」
せがれたちが、うんうんと首を振る。
「ところでさ、あんた、何もってんのよ、
手に?」
「ああ、これ?わらび、とかね。あと名
前の知らない山菜やら。もらったんだ。地
元のおばあさんにね」
かみさんは山のほうに向きなおると、ふ
と表情を変えた。
木々がじゃまをして、年配の女の人の家
はまったく見えない。
「あんなところに人がいたんだ?」
「いたよ。熊がでるからってね。注意し
てくれたりもしたよ」
「世の中にはめずらしい人がいるもんね。
あんたったら、冗談ひとついえない、気む
ずかしい、人間なのに」
かみさんはちょっとの間、青ざめた顔で
もの思いにふけったが、
「まあいいわ。あんたが無事で帰って来
てくれたんだから」
そう言って、口もとにえくぼをつくった。