幅一メートル、人ひとりやっと通れるくら
いの道幅しかない路地裏の薄暗がり。
肩を寄せ合うようにひっそりたたずんでい
た店たちの看板の灯り。
それらがぽつぽつと点りだした。
修と洋子の足音が響くとすぐに、店たちが
驚いたように目をさまし、武者ぶるいした。
ドアというドアが、ふわりとほんの少し動
いた。
その隙間から露地に向かい、洋子が聞いた
こともないような音が流れ出す。
なんの楽器だろう。若干空っぽの胃をもて
あましていた洋子のおなかにやけに響く。
聞きなれた歌謡曲とはちがう。そんな単純
な旋律とはまったく異なっている。
これがジャズっていうものなのかと、洋子
は不安になった。
洋子はしばらく足をとめた。
「どうしたの?入らないの」
修の声にわれを取り戻す。
「あっどうも。びっくりしたんです」
洋子は正直にいった。
「こんなに間口が狭いんですよ。中に入っ
ても大丈夫なんですか。こ、こんなとこ、人
でいっぱいに、すぐになっちゃいます」
洋子が顔をあげ、眉をひそめた。
きゅっと身を収縮させ、神経をぴりぴりさ
せた洋子が、修はとてもかわいいと感じた。
「きみは馴れないからね、そう思うのもむ
りはないけど。心配ないんだ。目をつむって
てもいいから、ぼくのあとについて来て」
ほんの少しねこ背気味の背を、修は洋子に
見せた。
えらそうに言うが、修だって、真底、ジャ
ズにはまっているわけではない。まだまだ序
の口、月に一度来られれば、御の字である。
生粋の関西人はジャズに向かない。むしろ
浪曲、せいぜいが歌謡曲だった。
修はドアを押そうとした手をとめた。
「どうなさったのですか。気おくれされて
るんじゃないですか。人のことばかりおっしゃ
って」
ふり向いた修の瞳に、洋子の顔が映った。
かぼそさが影をひそめ、たくましさがそれ
と代わっている。
女って、すごい。
修の口もとに、苦笑いが浮かんだ。
「そんなことはないがね、まあ、どうやっ
てきみを楽しませようか、なんてね。ちらと
考えたんだ」
「あらそう、わりと意気地なしなんですね、
課長って。こんなのこうやって、エイって押
せばいいんですから」
洋子は自分の体を横向きにして、ドアを押
した。
店内に充満していた気配が、わっと、ふた
りに襲いかかった。
鳴り響くサキソフォンの音と、酒の香りで
たちまち酔いそうになった。
「いらっしゃいませ。予約をなさっていらっ
しゃったでしょうか」
案内係の若い男性に声をかけられ、修はう
ぬと、首を縦にふった。
「にしはたです」
と一言。
「こちらへどうぞ」
丁重に席に案内された。
色とりどりの光が交錯するのか、目がちら
ちらし、足もとがおぼつかない。
そばに誰がいるか。そんなことに気を向け
ている余裕もない。
ステージからいちばん遠くて明かりが乏し
い席だった。
洋子とふたり対面しても、互いの顔がじゅ
うぶん判別できないように思われた。
いの道幅しかない路地裏の薄暗がり。
肩を寄せ合うようにひっそりたたずんでい
た店たちの看板の灯り。
それらがぽつぽつと点りだした。
修と洋子の足音が響くとすぐに、店たちが
驚いたように目をさまし、武者ぶるいした。
ドアというドアが、ふわりとほんの少し動
いた。
その隙間から露地に向かい、洋子が聞いた
こともないような音が流れ出す。
なんの楽器だろう。若干空っぽの胃をもて
あましていた洋子のおなかにやけに響く。
聞きなれた歌謡曲とはちがう。そんな単純
な旋律とはまったく異なっている。
これがジャズっていうものなのかと、洋子
は不安になった。
洋子はしばらく足をとめた。
「どうしたの?入らないの」
修の声にわれを取り戻す。
「あっどうも。びっくりしたんです」
洋子は正直にいった。
「こんなに間口が狭いんですよ。中に入っ
ても大丈夫なんですか。こ、こんなとこ、人
でいっぱいに、すぐになっちゃいます」
洋子が顔をあげ、眉をひそめた。
きゅっと身を収縮させ、神経をぴりぴりさ
せた洋子が、修はとてもかわいいと感じた。
「きみは馴れないからね、そう思うのもむ
りはないけど。心配ないんだ。目をつむって
てもいいから、ぼくのあとについて来て」
ほんの少しねこ背気味の背を、修は洋子に
見せた。
えらそうに言うが、修だって、真底、ジャ
ズにはまっているわけではない。まだまだ序
の口、月に一度来られれば、御の字である。
生粋の関西人はジャズに向かない。むしろ
浪曲、せいぜいが歌謡曲だった。
修はドアを押そうとした手をとめた。
「どうなさったのですか。気おくれされて
るんじゃないですか。人のことばかりおっしゃ
って」
ふり向いた修の瞳に、洋子の顔が映った。
かぼそさが影をひそめ、たくましさがそれ
と代わっている。
女って、すごい。
修の口もとに、苦笑いが浮かんだ。
「そんなことはないがね、まあ、どうやっ
てきみを楽しませようか、なんてね。ちらと
考えたんだ」
「あらそう、わりと意気地なしなんですね、
課長って。こんなのこうやって、エイって押
せばいいんですから」
洋子は自分の体を横向きにして、ドアを押
した。
店内に充満していた気配が、わっと、ふた
りに襲いかかった。
鳴り響くサキソフォンの音と、酒の香りで
たちまち酔いそうになった。
「いらっしゃいませ。予約をなさっていらっ
しゃったでしょうか」
案内係の若い男性に声をかけられ、修はう
ぬと、首を縦にふった。
「にしはたです」
と一言。
「こちらへどうぞ」
丁重に席に案内された。
色とりどりの光が交錯するのか、目がちら
ちらし、足もとがおぼつかない。
そばに誰がいるか。そんなことに気を向け
ている余裕もない。
ステージからいちばん遠くて明かりが乏し
い席だった。
洋子とふたり対面しても、互いの顔がじゅ
うぶん判別できないように思われた。