雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

久々に

2007年10月26日 | 回想録
 回想録といきますか。

 高3になると志望大学別にクラスが編成されたのです、1組2組の家政科は別として、3~5組は私立文科系、6~8組は国立文科系、9・10組は理科系と。

 私は、理数科が苦手だったので私立文科系を選び、3年4組となったのです。
 私文のクラスには変わった奴が多くいました、国語・数学・理科・社会・英語という主要5科目のうち、理科と数学に対して著しくアレルギー反応を起こす、総体的なバランスに欠けている輩の集まりですので、他のクラスの人間から見れば、単なる落ちこぼれ集団に見えたはずなのです。

 そんな3年4組の担任は英語を担当する女の先生でした。

 ある日の英語の授業の前に、クラスの委員長が「机を反対側に向けようぜ」という提案したのです、普段は全く纏まりの無いクラスだったのですが、そういう時だけは妙に一体感が生じて、誰も文句をいうこともなく机を反対にして先生の来るのを待ったのです。

 担任英語教師が、普段どおりに教室の前の扉を開けて入ってきました、皆は後ろを向いている状況です。

 私達は先生がどんなリアクションを見せるのか、笑いをこらえて神妙にしていたのです。

 するとその担任先生、一瞬固まりましたが、瞬時を置かず何も無かったように、教室の後ろの扉から入りなおして、教室の後ろに掛けてあった連絡用の小さな黒板を使って、淡々と1時限の英語の授業を終えて去っていきました。

 その先生の心の広さと柔軟性に、全員が拍手で応えました。

 その後も何のお咎めも無し、、、一本取られたと誰もが感じた、先生の気合でした。

 そんなどうしようもないクラスでしたけれど、慶應や早稲田、立命館に合格したやつらもいたのですよ。

 立命館に合格した奴は、毎日遅刻してくる男で、ゴロワーズを吸っていた奴でした、大学に進んで1年も経たずに消息不明になってしまいましたが・・・

 そんな環境が、「変人倶楽部」の誕生に繋がっていったのです。

 そのうちまた、続きを書きましょう。