40代も後半を過ぎてようやく、自分の人生もいつか終わるということが実感となってきた。考えてみれば人生は残酷で空恐ろしい・・・。しかし考えなければ何でもない。幸か不幸か、人間は忘れることができる。でないと生きてられない。
10年位前だったか、映画「メメント」を観たときはただ面白い映画だと思った。記憶が10分だか15分しか続かない主人公だったが、今思えばあれは自分のことだと気付いた。悲しい、辛い、キツイ出来事があっても、いつの間にか忘れている。相変わらず、愚かな行為を繰り返している。
結局、目の前の現実しかない。過去は夢で、未来は妄想だ。
とは言っても夢を見、妄想するのが人間だから、問わざるを得ない。いつか終わるこの生に意味はあるのか?死んだらどうなる?残された者の悲しみを癒す言葉、物語が欲しい。だから各地で宗教が生まれたんだろう。リチャード・ドーキンスだって、愛する人の病床で、神や仏、あるいは御先祖様に祈りたくならないだろうか?いくら人間を含む動物の存在は進化論の結果であって、髭面爺さんが創造したんじゃないと普段言い張っても、やっぱり親や友人の墓標に時には膝をついて花を手向け、頭を垂れたくなるんじゃないだろうか?それはただ、故人を偲んで悲しむという、人間として普通の感情に身を任せているだけで、神の存在は信じていないと言うかも知れない。慰めの作り話は要らないと言うのかもしれない。しかし、多くの人は慰めを必要としている。何らかの説明が欲しい。そして、科学はあんまり慰めにならない。
この本What's So Great about Christianityの著者Dinesh D'Souza氏は以下のように主張している。
ドーキンス、カール・セーガン、S.ワインバーグ等の科学者は宗教、特にキリスト教を攻撃している。攻撃の理由の一つは宗教の名において行われる殺戮や弾圧だが、実際は共産主義者や国家主義者らのatheistによる悲劇の方が規模が大きい。
ガリレオが異端審判で有罪になったのは天動説を唱えたことが直接の理由ではない。
agnosticsは一見慎ましい態度だが、死後裁きを受けて天国に行けないのだから、実質的にatheistである。
世界的に宗教人口は増えており、必要性が高まっている。
キリスト教は理性的な宗教で、理性的に考えれば宇宙の存在を説明するためには神の存在が必然である。
理性は限界がある。奇跡は無いとは科学で証明できない、科学は仮定であって現実の一部を説明しているに過ぎない。
世界から悪は無くならないが、それは神が人間の自由意思を重んじているからだ。善人も苦難に遭うが、そもそも命は神のものだ。
進化論と創造論は矛盾しない。
等々。
成程と思う部分も多いが、よく分からない部分も多い。
例えば、「神とは髭爺さんではなく、"That than which no greater can be thought"である」。
これ、正直よく意味が分かりません。仮に「思考を超えた存在」と訳すとなんとなく分かったような気になります。著者はこう言いたいのかな~?と:
「神の定義は「思考を超えた存在」 である。したがって、理知的な人が考えれば、この宇宙の存在理由、原因を説明するためには神は必然的に存在する。だって、神は「思考を超えた存在」であって、まだ我々の思考、科学では宇宙の存在理由、原因等に明確に答えられないから、神の存在を前提にしないとそれらを説明できない。」
でも、"that than which no greater can be thought"ってことはThatまでは思考の範囲内のはずで、それを超えては考えられない存在のはずだ。つまり神は「思考できる究極の存在、思考の頂点にある存在」であるはず。著者もその意図らしい。
さらに著者は続けて、というか昔のAnselmという人の理屈の説明で、"if 'that than which no greater can be thought' exists in the mind, then it must also exist in reality"だそう。「そんな究極の存在が頭の中で考えられるなら、現実に存在するはずだ」、なぜなら、"What is possible and actual is obviously greater than what is merely possible"。神の上記定義からして、神は「必然的に」現実に存在するんだよ~。
さっぱり分からない・・・。この主張に対してChristopher Hitchensという人が"it is childish reasoning to infer the object from the mere idea of it"として反論しているというが、確かにそう思う。想像できるからって、どうして現実に存在すると言えるの?神は「思考の究極の存在」であるはずで、だからこそ思考、想像できる訳で、でもどうしてそれが必然的に実在につながるの?
どうも私の頭では分かりません。
しかし大体その他の点は私の多くの疑問に真っ向から答えてくれる。全体的に理性に訴える内容で、必ずしも納得いきませんが面白い本でした。
でもやっぱり仏教の輪廻転生の方が受け入れ易い。