小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

スリランカの交通事情

2014年02月14日 | 社会

 前回、キャンディの街などは、昭和50年代初頭の頃を思わせる風情である事を書きました。その訳は、オート三輪車がタクシーの主流で、180CCのバイクを改造したもので観光客を運んでいたり、耕耘機に荷台をつけて路上を走行したりという風景が、普通に見かけられます。

 それに、前首都のコロンボは別として、キャンディの街等には、国道に信号機が全くと言っていい程ありません。その上なんと、使われず電光を発していない信号機があります。混雑する交差点は、警察官が交差点の真ん中で手信号による交通指導を行なっているのです。あの大都会で。

 右側通行は、大枠のルールとしてはあるようですが、一般道路での追い越し行為は、観光バスに乗車している我々が怖さで身構える程に頻繁に行なわれています。その危険度はつい目を覆うほどでした。

 公共交通機関として、バスと鉄道があるようです。鉄道は限られた地域に運行されているようですが、路線バスは頻繁に行き交います。しかも、前述の一般道路での追い越し行為は、路線バスも小型乗用車と同じ頻度でこれを繰り返します。

 また、バスの形状や品質たるや、清掃整備があまり行き届いておらず、運転席のドアや乗車口のドアが開いたまま走行している車両も頻繁に見かけます。だからか、停留所に止まる前、まだ動いている状態でも乗客が下車する様子も頻繁。

 なんだこれはと思う様な運行状態ですが、バスの利用者の数は相当数ある様で、日本の様に、ガラガラで運行している路線バスは数える程。逆に利用者はかなり多く、山間部を走行した際も、所々に乗客らしき人の姿がたくさんありました。発展途上の国の様子としてそれは当然なのでしょうか。

 最終日、旧首都コロンボ市内を視察した際、車の数はさすがに元首都。特に夕方の四時過ぎからの交通渋滞は、日本の大都会なみの混雑。3車線を「オート三輪」(タクシー)を含め4台並んで走行する状態も頻繁。どうなってるのこの状態。それに、割り込みや走行車線変更も想像を絶するやりかた。この状態、日本では必ず喧嘩になる。

 ところで、視察途中で立ち寄ったレストランの駐車場に到着して、不思議に思った事がひとつありました。「排ガス規制」を示すシールや関連するシールが張ったままの日本車(中古車)を相当数見かけるのです。

 スリランカ全土の車両総数のうち、80%が日本車らしい。だからでしょうか国道を走行中、前を走る運送トラック荷台の後部面には、「高速道路は80㎞、一般速度は制限速度を守ります」との表示を張ったまま走っている車も見つけました。それは、日本車である事を示すことに大きな意義があるらしく、わざと剥がずに張ったままにしておくらしいのです。

 このように、スリランカの交通事情は様々に、信じられない光景を数多く目の当たりにして、この状態であれば自分は運転できないなと思いつつ、交通ルールを取り締まる交通公安当局も大変なのではないかと、同情しきりでした。

スリランカ事情

2014年02月12日 | 社会
 長年の積み立てが一定金額になったこと、それと、もう一つの事情からスリランカ国を(2月8日から)訪問する事となりました。

 もう一つの事情とは、APUに在学していたスリランカの前留学生(現在、日本国内で就職)が、スリランカ(人口約2033万人)で野球(野球人口約2000人程度)を振興できればという思いを我々の同僚に伝えていました。

 これを聞きつけた同僚が、であるならば余っている野球道具等があれば集めて送ってあげたらどうだろうと思い立ち、県庁内を中心に募集したところ、何と段ボール箱約30箱にも及ぶ野球道具類が集まりました。

 これを送付するにはお金も大量に必要ですが、それにしても、スリランカという国がどのような国情にあるのか、一度訪ねてみようとなり、所属する県民クラブの有志で、これまでの積み立て金を活用し訪問する事となったものです。

 当初の日程では、スリランカのチームと親善交流試合や交流を計画しようとしましたが、旅行日程の都合と相手方の都合が折り合わずそれは叶いませんでした。しかし、今回の訪問でスリランカの国がどのような国であるか、改めて知る事ができました。

 ご承知の通り、以前は「セイロン」と呼ばれていた国で、首都は「スリジャヤワルダナプラコッテ」です。我々が社会科で習った頃の「コロンボ」から30年くらい前に遷都しており、通貨は、スリランカ・ルピー。日本円の0.8程度の通貨。

 ギリシヤやダンラップ黄金寺院、ピンナワラの象の孤児院など、世界遺産にその数多く(12地域)が指定されており、国際的に観光客の多さではびっくりする程です。

 中でも「キャンディ」は、キャンディ市街そのものが世界遺産になっており、その賑わいも相当なものがありました。街そのものに活気があって、発展途上国特有の雰囲気がありましたが、日本の昭和50年代初頭(日本のバブル経済前)の頃を思わせる感じがしました。    つづく

食文化

2014年02月06日 | 社会
 巷では、炭水化物ダイエットが流行しているとか。私も、過日上京中に、とある本屋で「炭水化物が人類を滅ぼす」と題した書籍を発見し読んでみましたところ、納得行く点が多くあり、それをこの数週間恥ずかしながら実践していました。

 ところが、最近発行された週刊誌で、炭水化物ダイエットに関し「65歳以上の高齢者は寝たきりになりますよ」という警告が発せられており、ショックは隠せませんでした。

 この週刊誌の記事は記事で、そうした意見に整合性がなくもありませんでしたが、高齢者が炭水化物を何年もとらないとなれば、高齢の身体には少なからず影響はあるでしょう。そこは、加減というものがあると思います。

 読んだ本にも、やり方として、①プチ糖質制限(夕食のみ主食抜き)②スタンダード糖質制限(朝食と夕食のみ主食抜き)③スーパー糖質制限(三食とも主食抜き)とありましたが、前述の週刊誌の記事もあるので、今後は、③から①に変更しようと考えました。

 これまでの成果として、読んだ本に記載の通りの実例を実感しましたので、マイペースでこれを継続していく、要するに暴飲暴食をしない事だという事なのですよ。きっと。

 これから、木質バイオマスの研修です。良い報告ができればと思います。

お見合い

2014年02月04日 | 社会
 ブログを再開しました。これまで通り、徒然ブログです。ご笑覧の上、ご批正下さい。
 ご意見等に一つひとつお答えや反論を行うことは一切ありませんが、今後の参考にさせて戴きますことは申すまでもありません。

 ところで、昨日(2月3日)、友人の娘さんと知人の男の子を合わせ「お見合い」の真似事をしました。年恰好も背格好も丁度いい二人でした。「うまくいくといいネ」と、一緒に居た女房が言いました。私もそう思います。

 年恰好と書きましたが、丁度、現在の男女共の平均結婚年齢に二人とも達しています。これを機会にお付き合いが始まるとありがたいと思います。

 先日の日曜日に、友人の息子さんの結婚披露宴に招かれました。彼は、何度かお見合いも経験していたようですし、私も一人紹介しましたが、その際はうまくいきませんでした。

 今回は、バッチリ決まり、ご両親も大喜びでしたし、とても落ち着いた素敵なお嫁さんでした。「とても良いご縁があったものだ」と、一緒の来賓テーブルで皆さん口々にそう言っていました。

 何人かから、「うちの娘にいい人はいないかなぁ」とか、「うちの息子に良い娘さんはないかなぁ」など伺っています。これからも良い縁結びに一役と思っています。
                                    大分県議会議員 小 嶋 秀 行

お知らせ

   「新春の集い」(兼)「県政報告会」

  日 時  2014年2月15日(土曜日)11時30分開会
  会 場  ホテル キャッスル大分(大分市府内町)
  参加費  2000円(昼食代)
  記 事  当日は、釘宮 磐大分市長にご講演頂きます
  連絡先  大分県議会議員 小嶋秀行事務所 
        kurashinianshin@gmail.com までメールでお申込み下さい。

防災対策・・・。

2011年09月19日 | 社会
 『今回の東日本大震災後に、「絆」という言葉が改めて強調されている事については、ご承知のとおりです。申すまでもなく、その心は、「いざ災害の時、助け合える環境を整えておく事が重要だ」と言い換える事ができると思います。

 ただ「絆」は、叫ばれるだけで深まるものではありません。「絆」が深まるためには日常的活動が必要であり、そのためには仕組みが充実していなくてはなりません。

 自治体では、「コミュニティーの再生・再興」との観点から、一連の取り組みを行う場合もあり、その「担い手」作りにも力をいれています。

 この場合の「担い手」とは、まさしく「いざ地震や水害が発生した」という時のいわば「防災リーダー」でもあり、日頃から地域で認知されていなければなりません。

 そこで、提案ですが、県庁で働く公務員の皆さんはじめ、地方公務員の皆さんは既に地域で様々な活動に参加をしているとは思いますが、その地域活動参加をさらに充実させると言う観点から、県庁職員及び、市町村職員全員を大分県版「地域防災リーダー」として任命するための仕組みづくりに取り組まれては如何かと考えますが、御見解をお聞かせください。

 併せて、既に公式には「防災士」という地域「防災リーダー」の先駆者的な認証制度も、阪神淡路大震災の経験から生まれており、大分市では、既に約670ある自治会に、日常的に一人以上の「防災士」が配置されるに至り、すでに活動しているものと思います。

 ただ、この「防災士」の認証には多額の費用も必要であり、県も助成制度を設け、これまでに150名程が認証されていますが、直ちにこれを拡充という訳にはまいりません。従って、これも提案となりますが、この際、「防災士」と同程度の情報量と研修制度を併せ持つ、大分県独自の「大分県防災リーダー認証制度」を確立しては如何かと考えます。

 既に、防災士として認証を受けている方々のスキルアップも狙いに併せ持つものとして発足させては如何かと考えます。

 いわずもがなのことですが、大分県が一つの国と考えれば、必ずや備えてなければならない制度とも言えますから、この度の様な東日本大震災並びに紀伊半島の台風12号による想定外の大規模災害が発生した場合、地域にしっかりとした“無数”の「地域防災リーダー」の配置は、時をおかずに実施すべきだと思います。如何でしょうか、御見解を伺います。』

 ・・・・と、これが、今回の一般質問の要旨の一部です。
 9月20日14時以降に予定しています。ネットでも大分県議会にアクセスすれば『傍聴』できます。約一時間程度の論議になると思います。

「脱原発」ということ

2011年09月04日 | 社会
 今朝のニュースで、四国電力伊方原子力発電所で定期点検のため原子炉を止めたという報道がありました。定期点検で約15ヶ月程度停止することになると思いますが、今のところ、定期点検が終わっても、よほどのことがない限り運転再開は難しいといわれています。

 先日、所属委員会の所管事務調査で伊方原子力発電所と愛媛県庁に訪問しました。伊方発電所では、3.11の福島第一号機の教訓を生かし、十分必要な対策が施されていました。また、岩盤の上に立地しているだけに、耐震性も万全だと思うほどの発電所でした。

 愛媛県庁では、大分県側として「安全協定」の締結などを求める声があることを伝えに赴いたわけですが、愛媛県としては、「情報交換は行うが、安全協定を締結する程のことは無い」という感触でした。大分県知事も「安全協定」までは求めていなかったと思います。

 確かに、安全性はこれ以上ないと確信するほどの対策が採られていましたから、海を隔てた隣国から、ミサイルでも放り込まれない限り、また、日本海側で3.11東北大震災規模の地震と津波が発生しない限り『安全』なのでは?とも感じました。

 私は、究極的に『脱原発』ということに反対していません。ただ、原子力発電技術の導入は、化石燃料の使用を極力控えると共に、CO2の排出を削減しようということに趣の一つがあります。

 今回の伊方原発の休止炉を含めて、全国に54ある原子力発電所で、これまで総電力需要量の約4割を担っていた訳ですから、これを休止・廃止するとなれば、当面、火力発電に頼らざるを得ません。それが問題だと思います。水力やメガソーラーの開発も少しずつ進んではいますが、今のところ原発の代替がいつごろになるか分かりません。

 国際的な約束事であるCO2の削減をどのように担保するか、また、総需要量をどのように確保するかなどを総合的に政策化しない限り、脱原発だけが先行しても、家庭生活はおろか、中小企業をはじめ産業部門への電力供給が滞ると、雇用の確保もおぼつきません。

 そのような観点から、「脱・原発」もいいけど、代替エネルギーをどのように確保するか、その方向性の一つに、『脱・化石燃料』ということも並行して十分考慮すべきだと思います。

 先日来、民主党代表選挙が行われる中で、脱原発に関していくつかの特徴的な意見も交わされていました。中でも、『原発の寿命が40年であれば、これから、新規建設で運転開始しなければ、40年後には原子力発電はなくなる計算だ』という意見がありました。

 分かりやすい話でした。したがって、どうするかは、これからこの世に生を受ける子どもたちのために、そして今を生きる子どもたちのために、今、われわれ大人が結論を出さねばなりません。

 日常的な生活に欠くことのできない電力だけに、脱原発ならば、繰り返しになりますが、「代替エネルギーをどのように確保するか」という点を明確にすべきだと思いますし、私は、ストレステストをしっかり実施し、これに耐えられた原子力発電は、当面、40年の寿命が到来するまでは、活用するという方針でも良いと思っています。

稼動できなくなった原発の代替に、早速、かつて使用していた火力発電を再開するということも報道の中にありましたが、私は、それは絶対に間違っていると思っています。





春の運動会

2011年06月01日 | 社会
 早いもので、もう6月です。しかも、早い地域では梅雨に入ったとも言われていますから驚きです。ただ、九州の中で、大分を中心に中部地域は、先の台風2号の後にといわれていましたが、まだ、梅雨入り宣言は出てないと思います。

 台風2号襲来の前、渇水状態が続く農業用水用ダムの調査に行ったことは書きましたが、臼杵市での調査時、貯水率が15.9%だったダムで、既に放水(給水)をストップしたところでは、台風2号の雨で、貯水率は微増し、30%までにはなったそうです。

 ただ、400ミリの雨がなければ100%にならないであろうといわれていましたが、先ごろの雨量は、トータルで200ミリに満たず、結果として、給水開始にはいまだ至らないということのようです。

 台風一過の昨日、再び晴れ間が覘き、三日遅れの運動会が小学校で行われました。学校側からすれば、土日に降って運動会が延期となるも、火曜日にはできると決めていたようで、関係者は胸をなでおろしていることと思います。

 その運動会ですが、平日の開催ということもあり、保護者の応援席は、いつもと違い閑散としていました。仕方のないことですが、それでも休みを取って応援しようと、お父さんたちも少しですが見かけました。ご苦労様でした。

 ところで最近は、春に運動会を行う小中学校が増えています。その昔は、秋の大運動会が定番でしたが、秋には学校行事が重なることが多いらしく、児童生徒の負担を軽減するとの考え方のようですが、学校側や、教師の側の都合もあるのではないかと・・・。

 特に、小学校の場合、一年生は入学してわずか50日程度で、もう運動会への参加となるわけで、学校生活に慣れることと、運動会の練習が重なることから、逆に子ども達には、精神面でも体力面でも負担になりはしないか、不安が残ります。

 さりとて、秋にやらないとなれば、タイミングは、本格的な梅雨入り前の5月が最適となるのでしょう。梅雨明けから9月にかけては日差しが強くなり、子供の体力消耗が激しいわけで、対象外。

 であれば、やはりこの時期しかないという結論になるのでしょうが、それにしても、新学期の立ち上がりと同時に運動会の準備で、担任の先生はじめ、学校中が極端な多忙化になってはいないかと、地域に居て心配になるのは、私一人ではないと思います。

 私がPTA役員をしている間、13~4年前には秋の大運動会でしたから、子どもたちもしっかりと学校に慣れ、練習も充実していたように感じます。この点、最近のこうした動きについて、保護者やPTAにはどのような説明が行われているのでしょうね。

 中学校の場合、言われているように、新学年の始まりと同時に体育大会を取組むことで「クラスづくり」に役立たせるという、側面的な目的があるといえば否定するものではありません。ただ、小学校にそれが適応できるか疑問ですね。

 いまから、秋に運動会シーズンを戻すための論議を開始すべきという訳ではありません。が、子どもたちの情操を育むこと、教育効果を高める観点で言えば、じっくり準備できることを願わずにはおれません。いわば「行事消化」に終わらないよう願うばかりです。

朝の風景

2011年05月24日 | 社会
 久しぶりの長雨。九州南部では梅雨に入ったとも。この二日間の朝は「もうそろそろかナ」と思わせるような降り方。

 さすがに今朝は、みんな一様に傘をさしている。小降りの日などは、時として傘を片手に濡れて通学する小学生もある。「おいおい!風邪ひくから、ちゃんと傘をさしなさい」と声をかける。どういう訳か、そのまま通り過ぎる子もある。

 ほぼいつもの時刻になると、「おはよう」と声をかけてくるアンちゃん、今日は欠席か?「もう行った?」と、モモちゃん。「うーン!おじちゃん、今朝は少し遅れたからなぁ見かけなかった」「じゃぁもう行っとく」「うん分かった。行ってらっしゃい!」

 同じクラスの子らしく、いつもの交差点で待ち合わせするこの二人。これに、以前はカナちゃんも待ち合わせのメンバー。新学期のクラス替えがあったのか、カナちゃんは、シノちゃんたちといくことが多くなった。(名前は、もちろん仮名)

 「おはよう!」「おはようございます。」「行ってらっしゃい。」何気なく交わすあいさつに、最近、大きな意味があることに気付いた。「おお、元気そうだ」「家で何かあったのかな」「いつも通りだな」と子どもの様子がわかる。朝交わす「あいさつ」そのものが、社会教育の一つだということ。

 「今、何時ですか。」「はいはい、えーっと、7時37分。」「ありがとうございました。」「いいえ、行ってらっしゃい。」「行ってきまーす。」こうして、何人もの児童が通過時刻を尋ねる。ほとんど決まった子たちが聞くが、その数が今ではずいぶん増えた。

 毎朝交差点にいる「緑のおじちゃん」の“信頼度”が増したのか、児童たちの朝の通学路の風景に溶け込むことができたのか、自己満足なだけかもしれないが、今ではこの子たちの顔を見ないと一日が始まらない。

 小学校と中学校の通学路は、丁度交差点でクロスする。中学生は、中学校になってから初めて顔を合わせる生徒が多い。小学生は、中学生になると顔を合わせなくなる子ばかり。不思議な発見の二つ目は、中学生になるとほとんど同じメンバーで通学すること。

 しかも、歩くパターンも必ず右左の位置取りも常に一緒。二人で通学する女子生徒は、いつも同じように並んで歩く。右と左の位置は、これまで一年間全く変わらない。それがなぜかわからないが、何か法則めいたものを感じないでもない。これも不思議な朝の風景。

 今年の三月に、二回目の「感謝の寄せ書き」をもらった。六年生一同と書いてあった。おそらく、先生か保護者の誰かが、アドバイスしての事かもしれない。それでも受け取る方は、うれしい。何にも変え難い「勲章」のようなものだ。

 中には、「進んであいさつができるようになった」とか、いくつもの寄せ書きがあった。毎朝「おはよう!」「おはようございます」としか言葉を交わさない。それ以上の言葉や余計な声をかけたりしてはいけない。が、今も緑のおじちゃんに「遣り甲斐」を感じるの何故だろう。

 今年の四月で、正味七年間継続していたことが、安全協会地域分会の会議で判明した。ただ、交通安全協会は、指導的立場にあらず、あくまで「啓発」が旨という。一方、交通指導員は、行政が委嘱し、指導的立場。ピッ!ピッ!ピッ!と笛を吹くこともある。

 単に、児童生徒の通学路の安全を確保することのみが目的で、他のドライバーを指導しようなんて考えてもみない。一時も早く右折を済ませようとするドライバーの心理も理解しないではないが、「歩車分離式」交差点は、歩行者を最優先にしないと意味がないではないかと思うことが多い。

 寒い時期や雨の多い時期、真夏のギラギラする天気の下では、つらい日も少なくないが、ほぼ毎日の「朝の風景」の中、元気な子ども達の顔を見ることで、実は、自分がたくさんの元気をもらっていることに、最近気づいた。

防災は日頃の備えから・・・

2011年05月02日 | 社会
 3月11日の東日本大震災以降、新聞各紙はもとより、マスコミ各社の報道に災害対策関係の記事が連日掲載されています。特に、東京電力の福島原子力発電に関連しても多くの記事があります。

 先日、政府の原子力被害の考え方が「場当たり的」と、内閣府参与に任命されていた大学院教授が辞任したという記事も、掲載されていました。未曾有の災害だけに、いろんな方がいろんな立場で活動されていることで、行き違いも多くあることでしょう。

 しかし、こういう原発の問題は、とにかく一元的な対応をお願いしない限り、一般国民には何が何か分かりませんから、政府の対応と専門家の東電の方々の発表に頼るしかありません。もし誤報があるとするならば、早く正しい報道をしてほしいと思います。

 原子力関係は、詳しい方が少ないでしょうが、以前、原発の事故が発生した折、各関係団体に対する説明と称して、電力企業の労働組合の責任者が、説明に来訪された事がありました。その際、「原発は、基本的に電力会社の責任だが、国としての政策責任も大」と・・・。

 一国の責任者である菅総理の対応に批判が集中している昨今ですが、国会審議の中で、同じ民主党内から対応に対する批判が出るのは、頂けない事だと思いました。ならば、言う方も党内で意見を進言する手法を検討すべきでしょうに。なんと情けない限り。

 原子力関係については、これくらいにし、本題の今回の選挙で、災害対策について課題に挙げ取り組みました。主張した点の一つは、地域のコミュニティーを再活性化する事。二つは、防災士など防災の担い手育成、三つ目は、自主防災組織の設置と充実です。

 なぜ、防災に「地域コミュニティーの活性化」が必要か。それは、地域の底力が必要だからです。地震が発生し、大分市の場合などは海岸に面している地域が広範囲ですから、地域でも互助体制が無ければ助かる住民も助かりません。

 日頃から、なにがしかの交流事業を行いながら、地域で顔見知りを作ることや、いざとなったら互いに助けあう「絆」づくりを行う事に大きな意義があると感じています。最近は、「向こう三軒両隣」とも顔見知りでない地域がとても増えていますから。

 二点目の「防災士」など「防災リーダー」を一人でも多く自治会の中に育成しておくことが必要です。防災士は、災害に関する専門的な知識を常に持ち続けている人で、言ってみれば、いざとなった時の非難の仕方や逃げ道などを熟知している方です。

 こういう防災リーダーが自治会のなかで丁目毎に複数人いると、高齢者など「要援護者」の把握も常に出来ていますから、いざという時に大活躍するばかりか、次に掲げる三点目の「自主防災組織」のリーダー役としても重要な任務を担う事になります。

 そこで三点目の「自主防災組織」の設置と充実ですが、自治会の役員がその中心を担うのは当然の事として、前述したとおり「防災士」が複数人いれば、こういう方々で自主防災組織を常に動かしていくことが重要だと考えています。

 動かしておくという意味は、たとえは誠に妥当な例えではありませんが、昔戦時中に自治会の方々が先頭になって、地域で竹槍などでの「戦闘訓練」が日々行われていた光景をテレビや映画で見た事があると思います。実際に経験した方もあると思いますが・・・。

 このような「戦闘訓練」のように、日々、防災の為の訓練を行う必要性は毛頭ありませんが、自主防災組織は、意外と出来てからそのままの状態で、地域の住民を対象に、何ら会議も訓練も研修もやっていない事が多いのが傾向ではないかと思うのです。

 ですから、せめて半年に一度か、三カ月に一度、願わくは月に一度程度、何らかの会議や研修、訓練などが常時行われていれば、住民の危機管理意識というものが常に働くという事になりはしないでしょうか。意外と住民の防災関係の意識は高くありませんから。

 今回の東日本大震災の折でも、小学校と中学校では日頃避難訓練をしていたおかげで、ほぼ全員が難を逃れたばかりでなく、ある一人の中学生の機転が利いて、「もっと高いところに避難しよう」と小学生を連れて逃げたことで助かったという記事を見ました。

 つまり、そういう状態を各自治会で其々の自治会や町内会のおかれた地理条件、物理的ななどに応じて、常に準備しておくということの重要性が今回の東日本大震災の教訓の一つとも言えるのだと思います。

 一方、今回の大震災で、東日本の特に被災し被害の大きい地域で、日頃も地震が多く、その都度津波の警戒情報や避難勧告が発令されており、結果的にそれ程大きな被害が無かった事で、今回も大したことはないだろうと考えた住民もいたのではないかと思われます。

 それも犠牲者を多くした原因ではないかとの記事もありましたが、30年間1200億円かけて建設した防潮堤が、一瞬にして津波に飲み込まれ破壊したとの記事も見ました。しかし、この防潮堤で、津波の高さを4メートルも防いだとも書かれていました。

 こうした例の様に、これまで、防災対策としては、公共事業の内ハード事業で防波堤や防潮堤、護岸工事などが主流で行われてきましたが、ハードの建設だけでは限界があることも、今回はっきりした事だと思います。

 その意味では、ソフト事業をこれまで以上に充実する事が大切なのではないかと考え、今回の県議会議員選挙で、9日間毎日主な場所数ヶ所で訴えてきました。地方自治体も、防災計画見直しを進めるでしょうが、是非、前述の3項目は重要視して欲しいものです。

 また、もう一つの提案は、大分市のように、海に面した地域が多い自治体は、職員を復興応援団として長期・短期に派遣する「協力隊」を編成してはどうかと考えます。すでに、国会予算委員会などでも論議が行われているようでもありますが、如何でしょうか。

 その心は、自らの自治体と類似する被災自治体地域で、瓦礫の片づけや復興事業に職員自ら携わり、そこで実体験、実際の現場を経験することで、所属する自治体の防災対策の見直しが必要なのかを体で感じて帰ることができると思います。

 既に、被災した方々へのケアを行う事や、飲料水の補給などに各自治体とも職員の短期派遣などは行ってきましたが、述べたとおり海に面した自治体は、今回の大震災が他人事でないとするならば、検討に値すると思います。

 もちろん、自治体としてこうした行動計画を執る事が決まれば、派遣職員の募集は、手挙げ方式で、自ら進んで取り組んでみようという気概を持った者でなければ、長期の支援作業では根を挙げてしまいます。

 特に九州の西側・太平洋側の自治体は、東海、東南海、南海、加えて大分市場合、日向灘沖地震が統計上では約40年以内に、しかも最悪の場合この四つが連動して発生する事すら想定されていますから、各自治体防災計画の見直しは、「想定外」では済ませません。

 備えが常に取り組まれておれば、いうならば、『日頃の人の営みで被災者を限りなく「ゼロ」に近づける事が出来る』と確信します。その為には、それぞれの自治体のそして自治会町内会の地理的条件や物理的条件などを常々研究検討することが求められています。

 そうした観点から、①地域コミュニティーの再生、②防災リーダーの多数の育成、③自主防災組織の設立と活動強化が問われています。もちろんこれだけでは十分ではありませんが、まずこれを取り組む事から手掛けられることを、心から期待しています。

 こうした事業を側面的に支援するため、議会の中でとりわけ大分県内の実情をつぶさに研究しながら具体的な対策や方策を提案型で協議していきたいと思いますし、実際の地域を回わりながら何がどのように必要か、一つひとつはっきりさせられたらと考えています。


卒業式

2011年03月23日 | 社会
 今日は、朝から良い日でした。
 自治体選挙の活動でとても忙しい毎日ではありますが、今日の午前中は、小学校の卒業式に出席する事にしました。

 毎朝、交差点で見守る子どもたちの内、何人かが卒業することになっており、その子等に会うのも今日が最後になるという思いもあり、忙しい中でも今日は必ず出席する事に決めていました。

 校長先生から卒業証書を受け取る児童の顔を見ながら数えてみると、日頃、私が立っている交差点を通過する子が、26人確認できました。なんか、この子たちに明日から会えないのかと思うと、込み上げてくるものがありました。

 それも、この子たちは、私が交差点で「緑のおじさん」を始めた7年前以降に、一年生として入学し今年卒業式を迎えた、つまり、正味6年間ずっとこの子達を見守り続けたことで、何か情が移ったというか、わが子のようにその成長が嬉しいからです。

 例年、小学校の卒業式は、議会定例会の会期中であることから出席がかなわない事が多いのですが、今年は、市長選挙が予定されている事から、会期が一週間ほど短くなり、出席できました。

 最近の卒業式は、送辞や答辞という形式ばった格好の卒業式ではなく、在校生を代表して5年生が参加し、卒業生を送るという内容です。卒業生が151人もいると、全校生徒と卒業生の保護者全員が体育館に入りきれませんから、5年生が代表参加です。

 卒業式の次第は、①開会の言葉、②卒業証書授与、③校長式辞、④来賓を代表してPTA会長が挨拶。その後に続く⑤お別れの言葉は、151人全員の児童が、各学年時の思い出をつづったお別れの言葉を、ワンセンテンスずつ、一人ひとりが発言する。

 その中に思い出の場面や校歌を歌い込み、教師や家族、地域の方々、在校生への感謝の気持ちをちりばめるという趣向で式が進みます。在校生5年生からも、さながら「送辞」として、ワンセンテンスずつの送る言葉がほぼ全員から発せられるというものでした。
 
 この雰囲気の中で、来賓席から見える「その子等」の顔を一人ひとり見ていて、「込み上げない方がおかしい」と、自問自答しながらハンカチで顔を何度も拭う羽目になってしまいましたが、今日は、朝からとても良い日になりました。

 追伸・・・・・・・。

 そうそう、今年も「6年生一同」から「寄せ書き」の綴りをもらいました。その中に、『最初は、恥ずかしくて大きな声で朝のあいさつが出来ていなかったけど、毎日、おはよう!の声を掛けてくれたので出来るようになりました』と書いてありました。

大震災

2011年03月16日 | 社会
 予期せぬ出来事とは、こういう事を言うのでしょうね。あらかじめ分かっていればやりようもあったのでしょうが、なんとも今回の大震災は、言いようのない大惨事となりました。

 大惨事から何日が経過して、連日のテレビ放送が被害の状況を伝えていますが、マスコミは一部を除いて、聞きづらい報道が多いのに嫌気がさす事もしばしばです。まして、某地元紙は、官房長官の記者会見模様を批判めいた表現で□西南□していました。
 
 もし、この大震災が我々の住む地域に発生していたらと考えると、身震いするのは私一人ではないと思います。被害に遭われた方々に衷心よりお見舞い申し上げますと共に、犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。

 今回の大震災ではっきりしたことは、想定はあくまでも想定であり、想定は超えられるということでした。数十年かけ、しかも、1400億円かけて築いた堤防が、ただ一度の津波で脆くも崩壊した事を考えると、これまでの危機管理の概念もまた崩壊です。

 これまで、東南海・南海地震が数十年後までには必ず発生する事を想定し、様々なシュミレーションも行ってきましたし、そのシュミレーションに沿って対策も検討・実施されてきました。

しかし、今回、マグニチュード9.0という地震を想定していなかっただけに、これが実際発生し、地獄絵まきに等しい惨状をもたらし、かつての関東大震災に並ぶ人的被害が発生した事実を考慮すれば、今後の危機管理とその対策のまとめ方も想像がつきません。

今回の大地震がもたらしたそれぞれの地域の被害たるや甚大なものであることは言うまでもありませんが、これが、完全に復興するまでには、10年を単位とする時間と莫大な費用が必要になるものと推測されます。

ただでさえ財源に乏しいこの国に、新たな国難が発生したとあれば、これは「挙国一致」でこの国難を克服するしかないと思いますし、政治がしっかりとした力を発揮しなければならないと思います。

そのために、色々ありますが、民主党菅政権による早期の復興を期待する以外に道は残されていない事は事実ですし、それを大いに応援したいと思っています。耐乏生活を求められれば、みんなでそれを実行するくらいの覚悟も持たねばなりませんね。



友人の死

2010年08月10日 | 社会
 また、同年輩の友人が、癌で亡くなりました。昨年の健康診断で初めて肺に異常が見つかり、その後、昨年の秋口から入院退院の生活になっていたそうです。

 昨年の四月に新しい職場に異動して、半年しか仕事していませんが、葬儀には職場の同僚が大勢参列していました。

 亡くなる二か月前、「終末医療」から自宅療養に変え、家族が見守る中で息を引き取ったわけですが、葬儀場で奥さんへご挨拶した折、そのお顔に言い知れぬご苦労を感じました。

 55歳という年齢で亡くなるなんて、本人は、思い残した事が多いのではないかと思います。ただ、幸いというべきか、二人の息子は、既に自立しているらしく、ご長男の遺族・親族のご挨拶は、とてもしっかりしたものでした。

 これで何人目?同年輩の死は。その都度自らの健康状態への気がかりが増すことになります。実は、身内にもほぼ同様の状態にある者があり、その意味でも、今回の葬儀はどうも他人事に思えない心境でした。

 葬儀の帰り、私の車に同乗した友人の「その後どうなの」との声が聞こえましたので、「その後は快調そのもの」とは伝えましたが、半年に一度の検査(血液検査を中心に)と、年に一度の健康診断は欠かしません。
 
 とは言え、「体調回復期」の昨年の体重と比べると、このところ3キロ「増量」しており、「健康に注意」と言いつつ、平生の健康管理は、このままでは落第点です。今年の健康診断が、9月8日に決まったので、不摂生な生活から脱皮しなければと思うこの頃です。

 しかし、なぜ彼の病状は、会社が毎年行う定期健康診断で発見できなかったのだろうか、それが悔やまれてなりません。おそらく、毎年しっかりとしたチェック項目で健診しているはずなのに、そう思うと自然目が潤んでしまいます。

 その上、葬儀の終わりに、彼が好んで歌ったサザンの曲がかかりましたが、曲の途中で、泣き崩れる奥さんの姿に、私も目頭をカンカチで押さえざるを得なくなりました。

 葬儀が終わった後、会場を離れる人も少なく、参列した方のほとんどが、彼の出棺を見送る様子に、自分の時はどんな感じなのだろうかと、そんな事がフッと頭を過ぎりました。何となく、そんな事を考えてしまう年齢層になりつつあるのだと、改めて思いましたし、もうこれ以上同年輩の葬儀はゴメンだとも思いました。

八ツ場ダム

2010年05月29日 | 社会
 大分市議会建設常任委員会で、八ツ場ダムの視察を行いました。目的は、鳩山政権で国土交通省が、本体工事にとり掛っていないダムについては「中止」という判断をしたことから、大分市でも、大分川ダムがそうした考え方に該当することから、今後の対応について、どのように考えているかを含めて、調査に赴きました。

 八ツ場ダムは、これまで56年間かけて工事を行っていますが、未だ本体工事に取り掛かっていないのはなぜなのか、個人的には大きな関心がありましたが、それが良く分かりました。

 この八ツ場ダム建設の目的は、「地域の生活再建」という事がメインであることでした。普通、ダム建設となると、「治水」や「利水」がメインです。もちろんこの地域にも「治水」という目的はありましたが、「治水」という観点では、工事を始める前を含め、それ以降56年間洪水など起きていないことからすればその目的も、本当にそうなのか疑問でした。

 また、「利水」という目的もありますが、実はこの地域は、温泉保養地として名だたる地域が多く、全国的にも有名なところで、水質と言えば「利水」に適しない酸性の水質。その対策として、ダム上流に「蒸留」する施設が必要なことが分かり、これを追加建設したということも説明の中にありました。したがって、4600億円という莫大な工事費になっているのだと思います。

 「利水」は、東京都、埼玉県、千葉県の3都県が出資して「水確保」ということらしいのですが、これも、これまで工事を開始して56年間、水の問題で大問題が発生している訳ではないので、これらを総合して考えれば、実は、このダム工事に乗じて、持続的に土木工事を大企業に出し続けることに目的があるのだと言えなくもありません。

 現地の担当者(国土交通省の職員)が、ダム建設の場所をバスで案内してくれましたが、地形からすれば、「ダム建設に適している場所」で、大分川ダムのように山と山の間の谷が深く、「こうした地形を見れば、ダムを造りたくなるよなァー」と一緒に行った議員と、顔を見合わせて笑いました。

 前述の通り、4600億円という巨費が投じられていますが、予算の執行率は75%だそうです。湖底に沈む予定の集落(民家)を移転させるための代替地の造成、流域約5Kの河川に3本もの大きな橋を建設する。JR吾妻線も湖底に沈むことになることから、山の中腹に新たな架線のためのトンネルを掘っていました。県道も国道も湖底に沈みますから、全て「付け替え」工事を実施しています。

 八ツ場ダムがテレビで話題になるとき、映像に出る(象徴的な)大きな橋は、第2番目の橋で、その橋もあと少しで完成するところまで来ていました。いろいろなことを説明していましたが、何処を聞いても、これだけの巨費を投じてのダム建設が、本当に必要なのかどうか、ますます疑問がわいてきました。

 この八ツ場ダム建設の目的は、冒頭述べたとおり、表向きは「生活再建」が主ですが、実は、持続的に土木工事を出し続けることに大きな意義があるだけの、大型プロジェクト以外の何物でもないことを見て取ることができました。

この点、大分川ダムに関して、人口減少の現在、「治水」も「利水」も、かねて主張している通り、周辺の山間地域において、山林を涵養し「保水力」の高い山を作るための公共工事の方が安くできるし、それこそ「持続的」に工事を出し続けられるのではないかと感じました。

今回の八ツ場ダム視察で、国土交通省の職員からは、ダム本体工事中止に伴う、その後の対策について、詳細な説明は聞くことができませんでした。というより、「政策的な事は、説明できないのです」とのことでした。

規模の差はあれ、大分川ダムの本体工事建設に取り掛かれるのかどうか、瀬戸際ですが、今後、情報収集を含めて、しっかり対応していかねばならないところですが、社会的な評価の中で無駄な公共工事となれば、税金の無駄遣いは避けねばなりません。

 平成22年度、国の予算では、公共工事の前年対比18%が削減されています。この中に八ツ場ダム建設が入っています。前政権では、継続して行う公共工事に対し、何の疑問も持たず「官僚主導」で予算を構築してきた弊害が、こういうところに出ているのだと、改めて確信を得ました。


ツイッター

2010年05月24日 | 社会
 最近は、ブログの更新をサボってしまいました。主な原因は、参議院選挙で「足立信也」の取り組みが忙しくなった事、それに、「ツイッター」に一時関心を持ったからかもしれません。

 「ツイッター」は、ご承知の通り140文字以内の「つぶやき」を書くことで、いろいろに活用している方々が全世界にいるそうです。でも、最近感じることは、なんだか「訳のわからない人」も書いていますから、今は、実際に関心が減衰しています。

 でも、仲間うちでやりとりするには、便利な場合もあります。互いに「フォロー」しあうことで、それぞれの「ツイッター」が直接やり取りできることもできます。これを利用しない手はないと、逆にブログに関心が薄れていました。

 それに、考えてみると「ツイッター」を活用しようとして、140文字以内の「つぶやき」を何回も書いて、五段、六段と書き続けると、「ウゼェーナァこれ」と思うほどに、長文が続いて、迷惑千万。これが「ツイッター」の善し悪しかな。と思うようになった。

 全世界では、これをビジネスに、政治に、経済の活性化に国際関係に使う人もあるとか。オバマ大統領も「つぶやいて」いますから、これがどのように発展していくか、衰退していくか・・・・。これを活用する方々の資質に因るのではないかと思う次第です。

 内閣総理大臣はじめ、総務大臣や、内閣の要人も様々にこの「ツイッター」を活用しています。しかし、これを使えば使うほど、疑問を感じるのは私一人ではないと思います。実に、大変な作業になるからです。本当に責任が持てるのか疑問だからです。

 「ツイッター」を活用するいろんな方々の傍に「寄り添える」こと良い事として、140文字以内に語りつくせない事って、この世の中多いですよね。でも、これがもとで、社会の「世論」を形成されるということになるとしたら、本意ではありません。

 これからは、基本をこの「ブログ」において主張し、たまに「ツイッター」で「つぶやく」ことにしたいと思います。そうすることで、自分の考え方を少しずつ整理していけたらと思っています。

 これから後は、政治や経済の事、更には日常で感じていること、私の政策に関することなどを、(A4一枚分に)定期的に書きたいと思います。乞うご期待!! 下さい。

人出が少ないですネ

2010年03月30日 | 社会
 先日、「スペシャルオリンピックス日本・大分」(以下、SON大分)のチャリティーバザーが、竹町のドーム広場で開催されました。毎年この時期に団体の活動資金を調達するためにこの場所で行っています。

 もう10年過ぎましたが、私もこの団体の理事を引き受けています。理事といっても、年間に一度の総会とその前の理事会に出る事と、サマーキャンプのサポーターで手伝いに行けるとき参加すること、また、SON大分の夏季スポーツ大会の際の開会式や、プレゼンターとして出席するくらいでしかありません。

 ボランティアは、スポーツプログラムに参加する知的障害のある競技者(以下、アスリート)に対して、技術指導したり世話したりすることが一つの役割ですが、これを永年続けている方々(コーチ)には頭が下がる思いです。私にはこの役割がいまだ担えません。

 SON大分の活動については、ずいぶん前に書きましたから詳細は省きますが、先日のチャリティーバザーによる収益金は、年間の重要な活動資金になります。品物は、アスリートの家族(ファミリー)や支援しているボランティアスタッフ、そして、周りにいる方からのいわば家庭の中の「余剰品」を拠出して戴いているわけですが、今年もたくさんあつまりました。ちなみに目標数値には達したそうです。

 しかし、昨年くらいから感じる事ですが、竹町のドーム広場を通過する市民が少しずつ少なくなっていますね。先日、3月20日は、天候は悪くなく人出が多かろうと想定していましたが、人通りの少なさに、「人出が少ないですネ」とボランティアスタッフが「嘆いて」いました。

 そういえば、このところ大分市内の繁華街や商店街の人通りが、心なしか少なくなっているような気がします。パルコが、あと一年で賃貸契約の期限が来るとかで、過日撤退を発表しましたし、既にサティーが撤退しました。メインストリートのトキハ大分店も以前のような景況ではないようです。

 こうした事が背景にあるのか、大分市の中心市街地の人通りが少なくなってしまっていますが、これは、日本全国の景気が低迷している事と、もう一つあるならば、大分市のまちづくりの計画にも起因するのではないかと思います。

 議会でも何度か論議になりますし、私も質問した事がありますが、今になって「中心市街地の活性化」を言い出してはいますが、政策的背景もゼロではありません。それも実は、10年程度前から、松岡に「パークプレイス」、稙田地域に「トキハわさだタウン」はじめ、大型のショッピングモールを、ある意味で政策的立地に動いたともいえる事情があるからです。

 だから、人通りが「少なくなるべくして少なくなった」とも言えるわけですね。知っての通り、平成17年をピークに、人口減少傾向が既に判明していた時期の計画でしたが、独自の商い方で実績を上げる計画だったのかも知れませんが、それまでの中心市街地に集まる顧客を、大きく3地域に分散させた訳だから、止むを得ない面もあります。

 今となっては、問題はそんなに単純な事だけではないとも思いますが、いずれにしても、これから、中心市街地はもちろん、地域のショッピングモールにも賑わいを創出すために何をしなければならないか、これから真剣に検討しなければとも感じています。

 個性ある店には行列ができます。消費者のニーズを的確に掴んで商売をおこなうこともひつようです。ネームバリューだけでは、これからは無理だし、強い商店街を商店街関係者だけではなく、第三者の声を取り入れて検討すべきではないかと思います。