小嶋つうしん(号外)

(元)大分県議会議員 小嶋秀行の徒然ブログ

おかげさまで

2010年03月26日 | 社会

 むかしは、久しぶりに会う人に「ご無沙汰しています。お元気でしたか。」などとあいさつすれば、即座に「おかげさまで…。」という返事が返ってきていたような記憶があります。

 この二つの会話を聞いていると、久しく会ってもないのに「おかげさまで…。」とは何か矛盾するようにも感じるが、この「おかげさまで…。」とは、地域の人たちに対してであったり、家族に対しての思いであったり、友達や子ども達の「おかげ」なのかもしれません。

 先日、久しぶりに「おかげさまで…。」という言葉を、私の所属する交通安全協会の地域の会議で聞きました。会長職にある方が、会議の冒頭のあいさつで「私も、『おかげさまで』一年間の任務を全うできました。」というものでした。この場合は、役員各位に対して述べたものであることは明瞭です。

 一年前彼が、全くの初任でしかも会長職につき、会の仕組み・ルールも前会長からの引き継ぎ程度しか理解していなかったでしょうから、永年築き上げられてきた他の役員の人間関係や、地域的なこだわり、さらには、会計に関する考え方、役員間の軋轢を含め、ほとんどが手探りの状態であった会長職からすれば、まさに「おかげさまで…大過なく」という心境だったのかもしれません。

 このところ、交通事故が多く中でも高齢者が6割含まれることから、これに地域の協会は危機感をもち、その対策を講じていますが、その結果として他の住民の皆さんにもよい影響を及ぼし、少しでも安心・安全な街であり続けられることが、「おかげさまで…。」を実感するきっかけになっているとのことでした。

 実感してきたこの一年の経験から、地域のなかでもっと活動を広め、この言葉を「復活」させたい思いに駆られているのだと思いました。つまり、交通安全の活動は、もともとボランティアが主体の活動ですから、その活動の結果が安全・安心の地域づくりにつながっているとすれば、文字通り「おかげさまで…。」ということになります。

 交通安全の活動や取り組みはもちろんですが、地域での様々な活動が結果としてその地域で暮らす人々にとって、本当に「おかげさまで…。」という会話が復活し交わされるようになれば、この上ないことだと、感じながら会議会場を後にしました。


泣かせてくれるなぁー

2010年03月24日 | 社会
 今日、3月24日は、市内全小学校の卒業式です。私は、卒業式と同時間帯に3月議会の委員会審査が予定されていた為、今年の卒業式には出席できません。楽しみにしていましたが、公務となれば、議会を欠席してまでとはいきません。

 今年の卒業生は、私が地域の交通安全協会の理事になった年の入学生ですから、約6年間見守ってきた児童達です。この間の成長著しい事に、地域の一人ではありますが、他人事ではありません。とてもうれしい気持ちがわいてきます。

 ひと月位前でしたか、「私は、6年生の○○○○ですが、名前を聞かせていただけますか」と二人の児童が近づいてきました。名前だけ伝えておきましたが、何のためか皆目見当がつきませんでした。

 前にも少し書きましたが、今も毎朝小中学校の児童生徒の「安全指導」をしています。「横断中」という旗を持ち、「緑の腕章」と黄色い帽子をかぶっています。児童生徒の内、小学校の児童には、通学路の通過時刻を知らせてあげる役割も果たしています。

 毎日、同じ顔を見ないと、「風邪でも引いたのかな」とお節介を焼いてみたり、あいさつ行動があるから今日は早めに登校したのかな?など、一人ひとりの子どもたちの顔を見ることを毎日楽しみにしています。

 元気な声で「おはようございます」と声をかけられると、こちらも「おやよう!いってらっしゃい」と声かけして応えます。約40分長くても60分間ですが、気持ちがしゃきっとする毎日です。子どもたちから毎日元気を貰っていると言ってもいいと思います。

 そんなある日、前にわたしの名前を聞いてきた6年生の児童二人が、また私のそばに来て、「いままでありがとうございました!」と書いてある「寄せ書き」を手渡してくれました。「なに?これ!」と聞き返しながら中身を見てみましたところ、ちょうど私が毎朝立っている交差点を通過する6年生男女23名の有志による「寄せ書き」でした。

 「毎朝、あいさつしてくれてありがとうございます。いつもちょっと話をしたり、時間を教えてくれたりして、小嶋さんがいないときは、『あれ?どうしたのかな?』と、いつも思いました。残り少ないこれからも、安全を見守っていてください。」という内容を中心に書かれてあります。

 どの子の発案かはわかりませんが、児童達の中で「こんなのを作って小嶋さんに渡したらどうか」という事が話し合われ、それに23名もの子どもたちによる「寄せ書き」となったという、この子どもたちの優しさが何よりうれしい事でした。

 泣かせてくれるナァー!「こんなのもらって、涙が出るよ」と、照れくさそうに、受け取りながら、その時思ったのは、「この子たちが、これからも安全で安心して学校に通えるよう、微力だけど続けて頑張ろう」「こんな良い事があるなど、寒い日も、暑い日も、雨の日も、雪の日も続けてきてよかったなぁ」と、その子たちの成長した姿を見ながら思いました。

 でも、こんな良い子たちの顔、この四月から見れなくなるのかと思うと、寂しいという思いも、同時に湧いてきました。

 今朝は、真新しい洋服に身を包んだ6年生が通りかかるたびに「卒業おめでとう」と声をかけました。笑顔で応えてくれた子どもたちに、恥ずかしながら、わが子のように涙ボロボロになりました。

 これからも元気で成長してほしいと思います。

休日の分散化

2010年03月23日 | 社会
 最近、国土交通省(観光庁)が「休日の分散化」を具体的にしているようで、先日のNHKニュースにその一部が報道されていました。

 内容は、2010年度、全国7~8地域で休暇分散化制度の導入に向け実証実験を行い、実施後に、観光需要の拡大や混雑緩和につながったかどうかなどを調査し、効果や課題を検証するというものです。

 特に、ターゲットとしては、小中学校の児童・生徒と家族を中心に地域単位で独自の連休を取ってもらう計画。これは、政府の観光立国推進本部で、3月3日、実際に協議されたものです。

 全国5地域ごとに春秋2回、日にちをずらして大型連休を分散させ、混雑緩和による観光需要の増大を目的としている。これに対し、企業からは、様々に賛否の声が既に挙がっています。

 自治体では、既に石原東京都知事が、「頭の悪い政治家が思いつきで考え出した事だろう」と、まともに受け止めていないコメントを発している場合や、「これを機会に観光需要の増大を狙う」と表明している場合など様々ですが、訪れるお客さんが平準化してほしい観光業界は、歓迎の意を表している様でもあります。

 実証実験は、1地域当たり、小学校2校と中学校1校を含む範囲で、子ども1000人とその両親2000人以上の参加を想定しており、自治体や企業、学校などの関係者で実行委員会を組織してもらうという事のようです。

 夏休みを1~2日削り、春と秋の連休にそれぞれ連続させるという計画内容のですが、全国を5ブロックに区分け、これまで一時に動いていた長期の休暇が、ブロックごとに違う動きになるという事のようです。

 企業や事業所など業界の場合は、これまでと変わる事に抵抗があるようですが、観光業界は、訪れる客が平準化すれば、これまで以上の集客が見込めることで、観光業者もそこで働く人々も歓迎なのではないでしょうか。

 国土交通省は、実証実験で、観光需要に与える効果や企業活動への影響、有給休暇取得の関係など、課題を明確にし、平成25年度頃までには休暇分散の本格導入を目指したい考えのようです。来年は実証実験を拡大する見込みです。

 これまでの政権では、様々にしがらみがあり、こういう大胆なことは打ち出せなかったと思われますが、政権交代の成果として、こうして、「観光」一つをとっても構造的に転換させることで、社会や経済にインパクトを与え刺激する中から、次なる成長を図ろうとする意図がありますから、私は、様々な課題や問題点はあるにしても、前述の石原東京都知事の考え方とは全く違い、この試みや実証実験について、大いに論議し良い方向性を導き出してほしいと、期待をしている一人です。


御苦労さまと言ってあげたい・・・。

2010年03月03日 | 社会
 カナダのバンクーバーで開催されていた、冬季オリンピックが閉会し、フィギアスケートで銀メダルに輝いた浅田真央さんを中心に、選手団が帰国したというニュースがありました。

 今回は、前回に比べメダルの数が増えたといいますから、それぞれの選手の皆さんには、悔しかったり、情けなかったりと、いろんな思いはあるでしょうが、日本国民にとっては、大きな飛躍として歓迎できるのではないでしょうか。

 特に、最終日前々日に行われた「女子パシュート」という競技では、日本全国のファンに「金メダル」を思わせる戦いを展開してくれて、日本国中が興奮したのではないでしょうか。

 結果として、0.02秒差の二位で銀メダルにはなりましたが、ハツラツとした三人のお嬢さん方には、大きな拍手を送りたいと思います。競技当日の決勝戦には、テレビ前で大きな拍手を送りました。

 また、彼女たちに感動したのは、その陰で、若くして命を落とした同僚選手への思いを込めて渾身のレースをしたこと、彼の「形見」を身につけてレースに臨んだという選手の思いに、スポーツ選手の素晴らしさを改めて感じ、思わず涙しました。

 また、期待されながら、本人としてはふがいない成績に終わったという顔をしていた現役中学生の高木美帆選手にも、大きな拍手を送りたい。「大丈夫だよ」「よく頑張った」。これからが大変だろうが、これにめげず、是非、これからの日本の女子スケート界を背負ってほしい。そう思います。

 女子フィギアの三選手にも、「よく頑張った」と讃えたい。三選手とも入賞という快挙でしたから、これまでにない成績なのではないでしょうか。2006年に荒川静香選手が優勝した時の得点より上位にありながら、銀メダルにとどまった浅田真央選手には、自信を持ってほしいと思います。

 女子ばかりでなく、高橋大輔選手の銅メダルも大したものだと思います。また、ジャンプ競技はじめ、他のクロスカントリーなどの選手にも拍手を送りたいと思います。冬季オリンピックの種目に対して、選手層が厚くない日本にあって、各競技で健闘したことに、日本の国民は、清々しい後味を感じているのではないかと思います。

 また、予選敗退とはいえ、カーリング女子の選手にも「ご苦労様」と言ってあげたい。これからまた、技術はもとより、戦略・戦術を柔軟に駆使できる「チーム力」を磨いて、再度挑戦してほしいと思います。皆さんのおかげで、カーリングのファンも年々増えていますよ。

 これまでになく、興奮の冬季オリンピックが終わりましたが、友人の中には、朝三時までカーリングにハマってしまった。負けたと思い床に入ったが、翌朝のニュースでは逆転勝ちの速報があって、「カーリングは深い」と言ってました。

 選手諸君ご苦労様でした。今後の活躍に期待しています。

古いものから・・・・。

2010年02月04日 | 社会
 日本相撲協会が話題になっています。
 今のところどのような意図で理事に立候補したか、貴乃花親方の行状と態度は、マスコミ報道でそのすべてを知りえることはありませんが、何か変化の兆しがありますね。

 「後悔はしていませんが、反省しています」という貴乃花と同世代の親方が、投票したのを加え、結果として貴乃花親方が当選したことは知られています。が・・・。「犯人」といわれるこの親方は、「一門」を離脱するというより、廃業に追い込まれそうになったといいますから、日本相撲協会は俗世間と全く違う「世界」なのでしょうね。信じられません。

 貴乃花親方が、半ば強引に理事選挙に立候補した事から察すると、とてもじゃないけど封建的な、しかも古い体質のままの理屈で協会が運営されているからではないか。大半の方はそう感づいています。

 朝青竜が起こしたといわれる「事件」には、どの理事も声を挙げていない、かばう親方も批判する親方も見受けられないことに、怖い組織実態を感じたりしますが、こんな感じで、相撲協会が運営されてきたことに、大勢のファンは裏切られた気持ちだと思います。

 そうは言うものの、今のところ朝青竜の人気に大相撲の全てがかかっているという実情が、相撲協会の沈黙の原因かもしれません。こうした今日の大相撲が抱える「難局」に貴乃花親方の「再登場」が一定の功を奏し、日本古来の大相撲が「復活」してくれることに期待したいものです。

 ただ、いまのところ「一人では何もできない」と他の親方連中は言っていますし、「改革改革と言っているらしいが、何をどう変えるというのか」とも、貴乃花親方に対し批判的な親方衆もあるようです。

 それはともかく、協会の中で「封印」されてきた「タブー」が破壊され、古いものから順に改めて行くことを、ファンは求めているし、古いものを大切にするにしても、協会の中の「しきたり」を打ち壊して「情報公開」されるようになれば、ファンは戻ってくるのではないかと思います。

 そういう観点では、貴乃花親方が当選は難しいと言われた理事選挙に、「一門を離脱してまで」立候補した、そして、見事当選されたということは、単なる偶然ではなく相撲界を取り巻く環境の中で、「歴史的必然性」があったのかもしれません。

 日本の歴史もこれに似て、古いもの(しきたり)から順番に改められていく、また、改めなければならないのではないかと思います。その為の議会や我々議員の資質も問われているのだなぁと、改めて感じる次第です。



もしもしラーメン

2010年02月02日 | 社会
 あまり旅先の事でプライベートな事を紹介することはありませんが、今日は特別に書いてみたいと思いました。

 昨日から佐賀県玄海町と武雄市にお邪魔しています。玄海町では、これからの電力需要と地球環境の保全などを総合的に研究(勉強)する目的で、原子力発電施設を視察しました。

 日本が唯一の被爆国であることから、原子力開発や利用について、抵抗のある国民が多い事は良く知られていますが、それはそれとして、玄海町に立地している原子力発電施設では、既に九州管内の30%の電力を供給しており、これに、薩摩川内市に立地している原子力発電施設(これから3号機を建設予定を含め)を加えると、40%を賄う予定であるとのことでした。

 一度説明を伺ってみたいと考えていましたが、電源開発には原子力発電と、風力、地熱、水力、太陽光など自然エネルギーによるものの他、火力やLNGなどが実施しされていますが、原子力発電のようには安定的供給が難しいようです。

 また、地球環境への負荷も他に比べて極めて有力だし、発電コストからみても、巨額な設備投資が必要なわりには、原子力発電はコストが低いことも説明にありました。問題は、安全性をどのように確保するかということです。

 約二時間に亘る説明と施設見学の中で、世界各国で原子力発電が長年実施されている件数や規模、施設数でみれば、これまでの事故はごく少数であることや、管理瑕疵による人為的な事故が多いということも見ることができました。

 もっと詳しい事は、別の機会にできればと思いますが、以前から一度は視察しておきたいと考えてきたことから、今回、武雄市の視察に抱き合わせで施設見学を含めて実現できたので良かったと思います。

 ところで、玄海町を後にして昨日は武雄市内に宿泊しました。今回は同僚議員三人で視察に来ていますが、この三人で夕食をとる処を探していましたところ、ありました、「もしもしラーメン」。武雄市内のJA会館前の「餃子会館」の中にありました。

 もともとラーメン好きな私でしたが、この餃子会館の前を通りかかって、自然に店の中に入っていました。地元でも評判のラーメンらしく、「もしもしラーメン」の命名は、ラーメン店開業の場所が、電話局の隣だったから「もしもしラーメン」(トンコツスープ)にしたということで、私にとりまして、実に奇遇な出会いでした。

 また、この店での餃子も実にうまい。一度食してみてほしいと率直に思いました。けっこう有名人も来店されていました。色紙にいろんな人がサインしてあり、店内の壁にずいぶん貼られていました。

 ラーメンは大好物ですが、このところ太り気味でしたので極力避けてきたわけです。昨日の夜は、おいしそうな匂いに魅かれてついつい「復活」してしまいました。でも、ご当地自慢の食べ物(たかだかラーメン)ですが、されどラーメンですね。美味しかったです。

 二日目(今日帰ります)は、武雄市役所にこれから行きますが、会派の研究課題でもある、広聴広報機能を更に高めるため、先進的取り組みについて視察・調査することとしています。

 視察先のしかもプライベートな事を書くことはありませんでしたが、今回は特別に書いてみました。もし、武雄市に赴く事がありましたら、一度試してみては如何でしょうか。食べ物の好き嫌いはそれぞれあると思いますが、お気に入りの方は是非どうぞ。

朝の風景

2010年01月30日 | 社会
 仕事で大分にいない場合を除き、毎朝、小中学校に通う児童生徒の顔を見ることにしています。自分から「おはよう!」「おやようございます!」と声をかけて行く子もいれば、こちらから、「おはよう!」と声をかけても、いっこうにあいさつをしない児童もいます。

 さすが中学生は、ほぼ9割がわたしの「おはよう!」というあいさつに応えるように思えます。ただ、自分から進んで、私をはじめ近くで交通整理をしている大人の姿を見てあいさつする生徒は、今のところそのなかの4割くらいに低迷するように思えます。

 声をかけて返事が返ってくることだけでも良しとしなければならないと思いますが、中学校の場合は、毎月1日を「あいさつの日」として、あいさつ指導を行っています。私のいる交差点に教師が2~3人来られ、生徒にあいさつ指導をします。

 良いことだと思いますが、今のところの印象は、生徒の方もその場限りで終わっているように思えてなりません。やはり、あいさつは、心から迸る様に出るものでなければ、互いにあいさつをしあう方もうれしくないというか、そんな気がしますね。

 児童生徒の交通安全のおじちゃん「緑のおじちゃん」を始めて、かれこれ5年になりますが、今では子どもたちの顔を見るのが楽しみです。先日、顔色の悪い児童が私のそばを通りかかったので「どこか悪いのか?おなかでも痛いんじゃないのか」と問いかけたところ、案の定「うん。お家からここまでずっとおなかが痛いまま」という。

 「よし、おじちゃんがお家に電話するから、待ってろ」と、その児童から電話を聞いて、親に連絡をした。すると5分足らずで迎えに来た。そのまま、病院に行ったのだと思っていたら、翌日、「どうした?病院に行ったか?」と聞いてみると、「あれから病院に行った」との答えが返ってきた。

 朝の通学路は賑やかで、「おじちゃん!いま何時何分?」と、時間を聞く子が近ごろ増えてきたのも特徴かな。中学生より小学校の児童が多い傾向にあると思う。必ず聞く子や、スーッと私の方に擦り寄って、顔を見る子もいるが、それは、今何時?とのアイコンタクトのようなものでもある。

 本当に可愛らしい子どもたちに会えるのが今では楽しみになっているのが、偽らざる気持ちで、寒い日などでも「今日は寒いからサボろうかな」など一度も考えたことが無いから自分でも不思議です。だから、子どもの持つ力は偉大だなと思うのです。逆に私が元気をもらっているようなものです。



大切なものは

2010年01月12日 | 社会

 年が明けて、日本の経済が動き始めた4日。新年互礼会が方々で開かれ、経済界はもちろん各企業なども、そして、自治体も御用始めとなりました。

 毎年恒例ですが、経済界のトップの年頭あいさつが続く中で、今年を占う言葉が相次いで発せられ、それぞれ思い思いの事を述べられておられた。

 今年は、政権交代二年目の年でもあることから、特徴的な発言は、政治の動向がいまだ「不安定」ななかで、経済動向が「不透明」ということ、まして、昨年来国際的にも大混乱している事から、国の景気刺激策がどのような動きになるのか、これに関心を寄せる発言があいつだように感じられました。

 ただ一方で、幾人かの方々から、「他力本願ではなく、あくまで自律的に経営を行うことこそ大事」というご発言もあり、これを聞いていて、「なるほど」と思いましたが、これを、私なりに咀嚼して言えば、「個性を発揮し、独自の視点で、攻めの・・・」ということだと理解しました。

 とかく依存体質にある日本の経済や、ある意味では政治の分野もですが、オリジナリティーを発揮してそれぞれに努力すれば、活路は必ず開けるということを、感じた次第です。その証拠に、良いもの、うまいものを提供する「店」は、どんなに僻地にあろうが、行列ができているし、その中身は、「風の便り」で万人の知るところになっています。

 わが国日本が政権交代したという「社会現象」は、なにも政党間の政策に有権者が優劣をつけただけではありません。これは、時代の変化が、日本の政治・経済・社会の構造転換を求めていることの証ですから、厳しい、厳しいとばかりに終始せず、これまでの発想を大胆に転換し、斬新でユーザーのニーズを満たしうるものを作る、提供するという、ごく当たり前の経済活動が実践されれば良いのだと思います。

 何事においても、本年はそういう視点、姿勢で臨みたいものだと思います。




がんばれ! トリニ-タ

2010年01月05日 | 社会

 ついに、トリニ-タがJ2にランクダウンすることになりました。極めて残念ですが、スポーツ界でしかも実力主義社会の中では、どのチームもそういう「憂き目」に遭うのはやむを得ないことだと思います。問題は、これからどういう目標をかかげて選手やスタッフが頑張るか、支える人たちが頑張るかにかかっていると思います。

 是非、一年でJ1復帰を果たしてほしいと、県民の多くが望んでいると思いますが、今のところ、2010年シーズンの戦績が復帰できるランクにあっても、財政的な面で復帰できる状態になければ難しいといいますから、この問題をどのようにクリアするかが、大きな課題だと言われています。

 財政面での問題点は、いろんな方がいろんな事をいいます。金額的なものも、表に出ていない額が相当数あるとも言われています。何が、どこの見解が正しいのか知る由もありませんが、そんな中で最近では、釘宮大分市長が市民に呼び掛けるために、街頭宣伝活動を行いました。

 大分市として、大分市のシンボルである「トリニ-タ」を復活させようと、年末の12月24日に市内三か所で呼びかけ運動を行い、同時に、市内の各企業などにも呼びかけ「社員へのカンパを呼び掛けてほしい」旨のメッセージを発しました。すると、何と2週間で650万円もの浄財が集まったといいます。

 トリニ-タの選手達は、成績不振に伴う社長解任などで、フットボールクラブの行く末を案じ、一時、大変暗い気持ちになり、また、J2へのランクダウンが影響してか、有力選手の何人かが他のチームへ移籍することになったりして、ずいぶん落ち込んでいましたが、釘宮大分市長及び大分市の呼びかけで市民の皆さんがそれに応えてくれようとしていることに、今ではずいぶん元気を取り戻しているといいます。

 街頭演説で呼びかけた釘宮大分市長は、「この呼びかけで、一人が一度に多額の寄付をして頂けるのもありがたいが、どれだけの大分市民が『寄付をしよう』という気持ちになってくれるかが大切だと思うよ」と語っていましたが、本当にその通りだと思います。一人でも多くの市民がこの運動にかかわってくれるかによって、これからのトリニ-タの「運命」がかかっていると思います。

 今のところ、新たなフットボールクラブの体制になりはしましたが、この場合でも、『市民協働』でなければ、問題は解決しないことを肝に銘じて頑張ってほしいと思います。
 ガンバレ!トリニ-タの選手達! 全力で戦おう! 大分トリニ-タ!!





高速道路

2010年01月04日 | 社会
 正月の「恒例」と言えば、妻と妻の実家に出かけることです。今年は、二日から三日にかけて「正月歩き」に出かけました。三人の子どもたちが小さい頃は、大きなワゴン車を買って、衣類など五人分の荷物を一杯載せて出かけたものでしたが、今年からは、二人だけでした。

 結婚した30年前は、今でいう「大分道」など影も形もない頃でしたから、国道をひたすら二時間以上かけて妻の実家との往復をしたものでした。その後、部分的に高速道路が開通することとなり、もう4~5年前になるでしょうか、私の住む大分から妻の実家までの間は、完全に二車線で高速道路が開通し、いまでは、大変助かっています。

 日本の高速道路料金は高い(1Km≒24円、外国は6円から8円)ので、まだ部分開通の頃は、「行きは、国道で、帰りは高速にしよう」と家族で話し合いながら走ったものでした。が、実際は、行きも帰りも結局高速道路を使うことになりました。特に、三人目の子どもがまだ幼児の頃は、往復の行程で車に乗るとすぐに眠りについてしまい、一時も早く目的地に到着することばかりを考えるようになったからでした。

 このように、今や高速道路は、人々の生活にしっかり溶け込んでおり、特に私たち家族にはなくてはならない存在になっています。そこで、丁度、高塚ICを通過する際、正月ともあって、合格祈願などで初詣でする県外車両ばかり、料金所までの間に1.5Kmほど一車線だけ渋滞している状態を見ての事でした。

妻「民主党は、無料化すると言ってたけど、どうなってるの?」
夫「一部路線を除き、無料化するという方針に変更はない。しかし、政権交代したからといって、すぐに無料化できると思うほうがどうかしている。」
妻「無料化するのは、北海道だけでしょ。だれかがそう言ってたよ!」
夫「これから、社会実験を行いながら、無料化した場合どのような影響がどういうところに出るか調べないとできない。それに、北海道だけなんかありえないだろう!」
妻「九州は無料化にならないワきっと!」
夫「無料化した場合、船舶で荷物を運んでいる事業者をはじめ、様々な所に影響が出ることだってあるだろうから、それらをしっかり見極めないと問題がおおきいからナ。」
妻「ふぅーん」
夫「それに、高速道路の料金徴収所で働いている、全国二万人の人たちのことも考える必要があるし、ICで混雑しないよう、ICとICの間にいくつかのICを建設し、大都市付近など特定のICが混雑しないようにすることだって考えないとネ。」

 もちろん、この数分間の会話で高速道路についての話が途絶えたわけではありませんが、高塚ICでの混雑を見て、「早く料金所がなくならなければ、あの一列渋滞は解消しないだろうという」夫の一言から端を発して、こういうやりとりになった迄でした。

 実際、ここ九州で無料化が実現するのは、今少し先の事だと思いますが、それより一時でも早く、大分県と宮崎県の間の高速道路が繋がるよう願うのは、我々だけではないと思います。現に、この年末、東九州自動車道の早期開通含む高速化という要望書等が、関係自治体からたくさん民主党県連へ届けられました。

 私の所属する大分県連では、これらの要望について、「民主党大分県連の強い要望」として民主党本部(政府)へ提出しましたし、その際、「工事(材料)単価を下げてでも、1mでも長く工事を進めるべきだ」との強い意見を付けておきました。それだけ、関係自治体の意向も強いものがあると考えたからです。

 民主党の政権公約にある、高速道路の無料化について、賛否両論の様々な意見があることは承知していますが、日本の場合、最初から高速道路が有料であって当たり前の中で、暮らしが成り立ってきましたから、いざ無料化となると、疑心暗鬼も含めて賛否が分かれるものと思います。

 しかし、素人ながら私は、この民主党政権公約の「1丁目2番地」ともいうべき高速道路の無料化は、様々な手を尽くして実施することで、日本の経済や社会の「構造改革」の一翼を担うことになるのではないかと期待しています。

 もちろん、これのみ単独で実施しては、前述の通り、関係する各方面に大きな影響を及ぼすことがあらかじめ想定されますから、これらへの影響を見極めながら、付随する政策と同時に実行することが必要でありことは述べるまでもありません。
 
 大分県では、大分市内にある大野川大橋と米良有料、二ヶ所の料金を無料にしようとする動きがあるようですが、この動きも、高速道路が無料になるのに、なぜ一般県道が有料のままなのかという疑問が起こらないとも限らないという判断なのか、それとも、どのような思いで無料にしようとしているのか、いずれにしても、料金所が廃止されれば、他の路線を含め混雑の解消が一層進むことになることから、市民・県民は大いに歓迎するのではないでしょうか。

 同じような意味で、高速道路も早く料金所が廃止されれば、年末年始の渋滞が解消されるのではないかと思いますし、日本全国に車の台数の絶対数は限られているわけですから、高速道路の利用が総体的に増えれば、一般国道の通行での渋滞は緩和されるという効果もあるでしょう。

 さらに、私の車(排気量1.5ℓ)は、市内で13~14/1㍑ですが、高速道路では、19~20/1㍑での走行ですから、この両面からも、排気ガスを中心とした環境対策には効果があるのではないかとみています。国家戦略上からも、高速道路の無料化は、この四年の間に実現すべきだと思っています。

 今日は、妻との何気ない会話を通じて、高速道路の無料化(政策)に、一層その意義を考える一日なっていました。
 
 



久々にいい酒飲めました

2008年11月03日 | 社会
 現在住んでいる団地には、22年前に移り住みました。新興住宅街ともいえるわが街は、全ての居住者がいわば「入植者」です。
 私が転居したのは32歳の年でしたが、当時は私が一番若い年齢層で、私より若い人はほとんどいませんでした。

 長男(1年生)と次男を連れ、長女が生まれたばかりの年の夏に越してきました。あれから22年余りが過ぎ、約450戸の全ての区画に人々が棲みつき、閑静なひとつの自治区が形成されています。

 そんな街に、近頃「ボランティアグループ」が誕生し、町内の美化活動で初仕事を行うことになりました。日頃は鬱蒼としいて、ほとんど人の手が入らない所(子どもたちの通学路)に、我々ボランティアの手が入りました。朝九時から二時間の作業を20人のメンバーが行いました。結果、すごくきれいな場所(通学路)に戻りました。

 そもそも、このボランティアグループは、自治会による清掃作業などで手の届かないところや、子どもたちの安全見守り活動などができないかと、かねてより設立の声が挙がっていたもので、この夏にやっと産声をあげることとなり、本日、祝日を利用して最初の作業が今日行われたわけです。

 今回の作業は、第一回目ということもあり、初めから打ち上げ会を設定していたものですが、二時間の作業の後の景観がメンバーの想像以上に立派にできたことから、それぞれが感動し、達成感を感じてか、夕方5時からの打ち上げ交流会は、これまでの懇親会にはないほど盛り上がり、盛況のうちに行われました。

 参加者は、口々に思いの丈(本日の感動・感想や教訓など)を述べ合い、(全て)持ち寄ったビールや酒、焼酎を酌み交わし、次の作業への意欲を示し、その思いを記録するため、記念写真を何枚も撮りました。

 なかでも、「この前、我が家で一大事があった時、近所の人に応援が頼めて助かりました。こうした地域での共同作業やの交流会があったおかげと思います。これからもよろしくおねがいします。」と発言された方がありましたが、この話を聞いて、会の目的を初回にして実践できた思いがして、何かとてもうれしくなりました。

 こんな話がいくつも聞けましたが、今日は、久しぶりにいい酒が飲めた気がしました。そして、このボランティアの会の発足が、私の目指す「ぬくもりのある街づくり」を一段と加速させるような思いがして、とてもいい気分になりました。




教育とは何だろう

2008年07月10日 | 社会
 このところ、毎朝のNHKテレビニュースにトップ記事で報道されているのが、大分県教育委員会の「構造的贈収賄」事件です。丁度、洞爺湖サミットの開催と重なった7月8日9日などは、この国際的なイベント、日本国にとっても極めて重要なイベントの記事より前に、トップで報道されたわけですから、事の大きさと共に、地元大分県の人間としてなんとやるせない毎日か。そう思っているのは、私一人ではないでしょう。きっと。

 どこの世界にも、子を思わない親はいません。だからといって、自分の子どもだけが良ければいいというものでもないと思います。しかも、金品で「聖職を買う」がごとき行為は、贈賄側もそれにつけこむ収賄側も、およそ「教育を受けた者の行為」とは思えない。

 しかも、容疑者達へ一連の捜査や調査が進むにつれ、完全に合格点の受験者を「不合格」とし、「不合格」の受験者に加点した上、合格にしたことが明らかとなったいま、該当する方々は、やり切れぬ気持ちだと思いますし、本当に「教育とは何だろう」と、私も叫びたい気持ちで一杯です。

 先日、出張に出る前購入した、斉藤 孝著「日本を教育した人々」(ちくま新書)をこの事件と同じ次期に熟読していますが、今は丁度、大分県出身の福沢諭吉先生です。が、福沢諭吉という偉大な教育者が輩出された大分県で、こともあろうか、現職の教員による贈収賄事件が発生(発覚)したとは、諭吉先生、とても嘆いておられることでしょう。

 聞くところによれば、現在、大分県内に相当数のマスコミ関係者が入り、この事件の取材を行っているそうです。テレビもラジオも週刊誌も挙って報道していますから、いっとき、全容解明まで止まるところを知らないほどに、記事となるのでしょう。この大分県が・・・・・。嘆かわしい限りです。

 せっかく、大分国体で大分県や競技開催自治体の大分市など、イメージアップと情報発信に苦労しているにもかかわらず、「これで、大分国体もフッ飛んだ」と嘆く関係者も多いのではないでしょうか。ダーティーなイメージばかりが前に出ていますからね。

 しかし、せめて9月27日の大分国体の開会式までは、この事件も収束しておいてもらわないと、競技の内容や結果、成績などより先に事件が報道されればまずいですから。
 




限界集落

2008年05月13日 | 社会
 最近“限界集落”という言葉が、方々で使われるようになりました。今年に入り、県議会でも市議会でもこの論議がありました。

 この“限界集落”は、明確な定義があるわけではありませんが、『高齢化により65歳以上がその集落の人口の50%以上を占め、自治会など共同体の機能維持が限界に達している状態の集落』を言いうようです。

 国土交通省が2006(平成18)年4月時点で行った調査では、四国、中国地方を中心に7878カ所。人口減などで消滅の恐れのある集落は2643ヶ所に達していると言われています。

 私の育った実家(地域)でも、今ではほとんどの住人が65歳以上です。改めて限界集落という表現を実感として受け止める事ができます。

 今にして考えてみると、私の実家地域では、戦後の昭和20年から30年代に生まれ育った頃がピークだったようです。小学校でも50人学級が1年から6年まで、一クラスずつちゃんと構成できていました。いまでは、全校で15人程度、複式学級が何年も続いています。数年前は入学する子どもが一人も居なかったともいいます。

 若い世代は、その殆んどが就職するため大分を中心に都市に出てしまいます。かく言う私も、一家の長男として生まれたものの、先祖の代から続けてきた小規模農業だけでは、充分生計を立てる事ができないこと、そして、子どもにはこんなつらい思いはさせられないという気持ちも重なり、親達がそれを望んではいませんでした。その上、(昭和40年代にはすでに)高校を卒業したら田舎を出て“都会”で就職するということが、ほとんど常識化していました。

 “時代の流れ”と一言でいってしまえば、それまでですが、「社会の持続的発展」という言葉が、いかにも空虚な言葉に聞えてなりません。一方で、大都市への一極集中が極度に進行しており、方や地方では「限界集落」化が急速に(逆比例して)進むという実態が、今は顕著です。

 ただ、都市化が進む場合は、街づくりの法律を書き換えてでも対策を打とうとしますが、次第に絶えていこうとしている町には、対策が今は全く見当たりません。

 そんなことから、先日、民主党の会議があった折、少子化・高齢化が著しい日本社会の中で、限界集落への対策が国の段階でも必要なのではないかということを提案してみました。

 今の段階で有効な具体策を持ち合わせているわけではありませんが、今後、街づくり全体の問題として、基礎自治体でも、このままにして置いてはならない課題だと思います。


くらしにあんしん

2008年05月10日 | 社会
 最近、「暮らしに安心」と書かれた政党のポスターを見かけるようになりました。総理大臣の顔も入っているA1版のポスターです。「お父さん!同じ様なことを書いたポスターがあるよ」と、妻から知らされました。

 もちろん、他のスローガンを書いているものもありますが、この「暮らしに安心」というキャッチコピーは、私が、12年前に市議会議員選挙に立候補する際、「街にぬくもり、くらしに安心」というテーマを掲げて選挙を戦い、以後も名刺などにも刷り込み、文字通り、“日々の暮らしに安心感が持てる政治”を目指して掲げ続けてきたものです。

 これが皮肉にも、政権政党党首のポスターに標語として使うとは、“誠に光栄の至り”。私の活動テーマに、あらためて確信?を抱いています。

 ところで、私がどういう理由で「街にぬくもり、くらしに安心」というテーマで活動してきたのか、それには幾つかの側面があります。一番大きいのは福祉の側面ですね。次に環境です。そして、教育です。
 
 例えば、この4月に後期高齢者医療制度が発足しました。小泉政権時代に、聖域無き構造改革の一環として政府提案され、民主党を中心とする野党の疑問・質問に対し、しっかり答えることなく「強行採決」した代物です。

 今にして思えば、当時民主党を中心に野党が出している様々な疑問・質問に答えていたら、その時点では大変な物議を醸し、マスコミでも大きく取り挙げられていたのかも知れません。また、今日こんなに問題視されることは無かったと思います。

 また、対象となる75歳以上の高齢者に内容周知もある程度行き届いていたのかもしれません。(論議の程度によっては、もしかして、強行採決の前に廃案になっていたかもしれませんが)

 一方、これを後継政権である福田内閣が引き継いだわけですが、福田総理自身がその問題性を捉えて、こともあろうか発足当初に、「後期高齢者医療制度」現を「長寿医療制度」と急きょ命名し直すというお粗末をやってしまいました。
 
 私は、「暮らしに安心」とポスターにして掲げた政府が、自ら「高齢者・・・は間違っていました」と宣言したに等しい営みとその内容に、あらためて憤りを覚えますし、少なくともこんなお粗末を大分市政でやってはならないと思うからです。つまり、充分な論議を行うことに力を入れるべきだと考えています。

 現在、私も勉強(研究)中ですが、この後期高齢者医療制度を突き詰めてみると、75歳以上の高齢者に「かかりつけ医」制度を導入することにより、対象者への普段の医療を充実するものと言われています。が、その実態は、多くの自治体で従来の老人医療制度で措置されていた「人間ドック」の費用を助成しないようにしています。これは正に、受診抑制を目的とした制度設計が行われているとしか言いようがありません。

 これで、「暮らしに安心」と言えません。一事が万事、国の政治では、官僚が作った法律案を何の疑いも無く「強行採決」するような営みが続いていますが、これを一時も早く改善しなければならないと思います。

 この制度が発足する前に、市民から相談をうけました。『84歳になる、私の義姉のことですが、今入院している病院から、3月31日以降は退院して下さいと言われています。認知症も少しあり、退院後、一人暮らしをさせられる事情にありません。どこか預かってもらえる老人ホームなどに入所できないでしょうか。方々訪ねてきましたが、引き受けてくれるところがありません。どうにかなりませんか』というものでした。

 この背景には、こうした症例の場合、入院させている側の病院として、新たな制度変更でどのような扱いをすればよいか判断できず、長く(社会的)入院している患者には、退院を通告する以外になかったようです。

 私に相談された方(義理の妹・70歳代後半の女性)は、本当に途方に暮れていました。今年に入り、引き受け先を探して方々を訪ねてまわった事が原因で、当の本人も入院するという悲惨な状況まで追い込まれてしまい、次善の策として義姉の入院先の病院に、引き受けてくれる施設が見つかるまで、引き続き入院させてもらえるようお願いせざるを得なかったと言われていました。

 今回の後期高齢者医療制度への変更で、こんな状況に追い込まれた高齢者がたくさんいると思います。だから、私は、政府・自民党のように耳障りのいい言葉や、実態の伴わない単なる標語やスローガンなどは語らずに、真に「くらしにあんしん」をめざして、引き続き活動しなければならないと考えています。




受験生の皆さん 頑張って

2008年02月20日 | 社会
 先日、仕事で上京する機会がありました。宿泊したビジネスホテルで親子連れが目立つので、何故かなと考えてみたら、「そうかそうか大学受験のシーズンなんだ」ということに気がつきました。

 かく言う私も、かれこれ9年前でしたか、長男の大学受験に一度だけ同行した事を思い出しました。
 その頃はまだ勤めていました会社の社員保養所が原宿にありましたから、格安で一泊できましたが、ビジネスホテルとはいえ、それなりの宿泊費用を伴いますから、地方から上京して何校も大学受験する学生さんとその親御さんは大変だなぁと、改めて思いました。

 それにしても、最近の子どもは、おとなしいと言うのか、過保護に育っているのか、どうも“覇気”というものが感じられないように思えてなりませんが、そう感じるのは私だけでしょうか。

 そうかといえば、方や靴の踵を踏み引きずって歩いている子もいれば、裾がボロボロのズボンのベルトを腰下までわざとずらして、見た目すごくだらしない格好をしている子を多く見かけます。そういう時、彼らを取り巻く生活環境はどんな様子なのだろうと、つい考えたりすることがありますが、いまや子ども達の様子も両極端の傾向が顕著です。

 また、先日は三人の女子が屯しているところに出くわしましたが、標準語とはとても思えない、すごい言葉遣いで、しかも、周囲に配慮することなく大声で話していたり、或いは、別のグループは屋外であるにも拘らず、所かまわず食べ物をかじったりする姿を見かけました。

 「この時間帯(夕方5時頃)にそんなものを食べていたら、家に帰って夕食がお腹に入らないだろうに、どうして」なのだろうと、私のような“お節介おじちゃん”は頭を傾げますし、いわゆる「コシパン」がトレンドだとは言われるものの、これも頭を傾げます。

 私は、このような子ども達の状態を批判しようとしているわけではありません。評論家ではありませんから、子ども達の行状についてとやかく言えませんし、言うつもりもありません。それぞれが自分の意思であるからです。

 が、ただ一つ言える事は、後述した子ども達の様子を見ていると、我々が育った頃と(と言えば大げさですが)、今とではどうも「美観」(びかん)に大きな違いがあるのかなぁということを感じる点です。  

 それはおそらく日本の教育が、子ども達の“豊な心”の形成のために、教えなければならないことを、必ずしもしっかりと教えてられていないことの反映に思えてなりません。

 もし仮にそういうことだとすれば、子ども達の教育を単に学校のみに任せず(或いは押し付けず)家庭や地域の教育力でこれを如何にカバーするか、そういう仕組みをどのようにしてつくり出すか、これらを真剣に考えることだと思います。

 私は、そういう研究や調べを改めて始めたいと思っています。