萌黄・浅黄・黄緑・緑・深緑・濃緑・青緑・碧
あふれる新緑。滴るみどり。
鎌倉は緑色に染まっています。時々赤芽が存在を誇示したり、際立たせたり。
その中で、長谷寺には様々な色の牡丹が咲き誇っていました。丹精こめた
牡丹の鉢が所狭しと置かれ、参詣者の目を楽しませて、初夏を彩ってます。
「連休に出かけるなんて、愚の骨頂!」って、ウチの宇宙人に言われた鎌倉詣。
その通り!よ。ぞ~ろぞろ人が出かける時、場所へは行かない主義だけど、
ちょっと鎌倉なんて思ったものだから、ケイコサンとご一緒に藤沢から江ノ電
に乗って、一気に長谷駅へ。
湘南は車で、の私だったので、2~3年前のモルモン教のアメリカ人宣教師達
を連れて、小学校の時に遠足で行った、そして、3回目の電車。ケイコサンに
お任せよ。
長谷寺は階段の多い所で、一番上の小さな広場(?)で見る湘南の海。鎌倉の市
街地は絶景。前面は海、後背は絶壁に生い茂る木々、緑。
シャガの花も地味ながら、木々の下に生い茂るも捨て置けない。アジサイの株
には、やっと小さな蕾をつけたのがチラホラで、あとひと月は待たなければなら
ない。花言葉”移り気”の花は。
どこから涌いたか?人、ひと、ヒト、老若男女、多国籍、カラフル肌、衣装。
あふれかえっているとは思ってたけれど、ぞ~ろぞろ歩く人の多さに今更ながら
ビックリよ。
あちらこちらで見かける、手焼きせんべいチェーン店。出来たてのおせんべいを
ケイコサンは買って、路地の階段にかけて、それのお相伴、ポリボリカキッ!
しっかりとした歯ごたえ。
大仏さんを眺めて、そろそろ昼食へって。その途中の小さなお店。
「不思議な感じのお店が多いですね。エスニックなお洋服がかなり売られて、こ
の辺は」
「ウチが置いたら、あれよあれよって広がったのよ」と中年女性。オーナーかと
思いきや、西武池袋線の江古田から通っていらっしゃるって。湘南ラインで通えば、
1時間とか。その彼女、
「社長は、ちょっと有名なのよ、取材を受けたりって」
「どちらにいらっしゃるの?」
「ほらっ、そこ」
って、指差す方を見れば、外人男性が観光客の相手をしている。
「日本語も、英語もフランス語もスペイン語も」
「なにじん?」
「聞いてみたら?」
絵付けした小さな置物猫や、こまごまとした装身具などの小物が置かれている
そこに、ひげを生やした中年後半(?)男性。
「どちらの方?」
「モロッコ」
「ケイコサン、バトンタッチよ」
モロッコ語独学中のケイコサン。
その男性は、彼の母国モロッコについて話す話す、話す地図を書きながら。
ええ、言語は日本語で。歴史から、鎖国をしていた話、日本との共通点等をね。
このお正月、モロッコへ行って、はまってしまったケイコサンですから、なん
という偶然の出会いでしょう。いいえ、偶然はない必然です全ては。
私にはわからないアラビア語についてやり取りしたりの2人。
スペイン統治の時代を経験しているので、スペイン語が遣えると思ったのに、
その後のフランス統治のせいか、地方によって強い言語が分かれているって。
鎖国時代の長崎の出島に唯一入れたオランダ人。それと同じ経験をしたという
モロッコ。日本の歴史にもちょっと詳しい彼は何者?日本に来て20年以上って。
昔から、大阪商人の凄腕、それに勝る華僑、華僑がかなわないアラブ商人って。
イスラムをバックのアラブ人達は、遠くは隋・唐の時代に波頭を越えて、シルク
ロードを駱駝の編隊で。多くの技術、文化を広めた事実。ヨーロッパの文化は
イスラム抜きには語れないほどね。利息を取らない、つけないイスラムの銀行よ。
往きの江ノ電の中で、外国語のお話。
食わず嫌いだったアジアの言語。アラビア語の文字の面妖さ。
ハングルは少し読めるようになった私だけど、藤沢駅の表示にハングル文字。
それを見てケイコサンはショック。それだけ多い韓国の人ってことよねって。
アラビア語も、わかったら、遣えたら、グ~ンと世界は広がるのしょうが、それは
ケイコサンにお任せするわってね。あの文字は挑戦出来ないわ。そうでなくっても、
ロシア語に振り回されているのですもの。まだ、食いつけない空振り状態よ。
ケイコサンのお手元には、なにやら雑誌が。それを見ながら、こっち、あっち。
ツツジの大株に驚いて、けれど、ちょっと満開には早かったお寺。本堂の裏手にある
北条正子の何やらに詣でて、次のお寺へ。
途中の民家の、道路際の老木の異様な姿に、シャッターを思わずパチリ。
「これは何のお花?」「桃のお花だわねえ。でも、それはもう終わりよ」
紅白に咲き分けている桃の花の写真を見て。桃も杏も桜も、ほぼ同時くらいに咲くの
で、5月に入れば、この南関東のそれらの花はもう過去のものなのよ。
長谷寺や大仏とその界隈、鎌倉駅近くのアーケードは人で埋め尽くされていたけ
れど、それ以外は、意外と静かな寺々の界隈。のけぞるほどの人出はなかったわ。
ケイコサンは、お嬢さんたちへ甘いものをお土産に。
我が家では考えられない甘い物よ。
言ってみれば、庭をそぞろ歩くような気分・距離の鎌倉だけど、やっぱりお出かけ
したら、お土産って必要なのね。私?買わない。
鎌倉夫人達の相続品なのか?不要の着物達か、和服の古着屋が何軒も。
それにはかなりそそられて、次回はアンティーク品、変わった品々の買い物ツアーに
来ましょう!なんて。 ついぞ、モノにはそそられない私なのだけど、最近、いやに
着物に惹かれてね。「景徳鎮のさじですよ、これは」って、ケイコサン。彼女の博学
に又も恐れ入る今回の小旅行。次は、箱根に1泊でスサーナと行きましょうかって。
上げ膳据え膳の旅行は、どんなところであれ、女達には嬉しい休暇なのよ。それが、
たった1泊であったとしてもね。
毎日が日曜日の私と違って、お2人は仕事をお持ちですから、3人のスケジュールを
合わすのはなかなか難しいかも。でも、時々は行きたくなる箱根です。
実現するように、なんとかやってみましょう。
昔々、私1人で、5人の子ども達(ウチの豚児3匹、姪2人)を引き連れて、104の
電話番号調べで箱根観光協会を探して電話で申し込み。
こちらの条件を提示して、探してもらって出かけた箱根。ナントカなるものです。
しかし、私も若かったわね、12才をかしらに5人を1人で引率よ。
緑のシャワーを浴びて、心地いい疲労をお土産に帰宅しました。
しかし、モロッコ人と出会うなんて、ねぇ。
やっぱりもう1度いかなきゃね、ケイコサン!
お別れの挨拶は、"Hasta pronto!"いずれ又ね、の私。
"Hasta luego!"近いうちに又、じゃあね、の彼。スペイン語。
日本もなかなか面白くなってきたようです。
ケイコサン、今日は案内役ご苦労様でした。次回は私の手作りお弁当を海辺ででも
食べますか?それもまた一興でしょう?ええ、その時は、Vino tinto(赤ワイン)
を携えてね。もちろん、磨きこんだワイングラスも2個持って。
博学ケイコサンのお話は楽しい。刺激されます。構えがない、ひけらかしはない、
無用な謙遜もない、とっても自然体の彼女なのです。きっと個としての自信がおあ
りとお見受けします。
やたら、過小評価や誇示をする人は、自信のなさを無意識に露出しているのです。
キャーッ!イヤだ!ウッソー!信じられナ~イ! なんて、薄っぺらな反応は決して
なさらない彼女です。大人ってこういう人のことって、いつも感じさせてくれます。
アラビア文字風英語のお便りをくれたモロッコの彼へ、シャツをプレゼント。
その服選びに余念のなかったケイコサンでした。
「クセの強い英語で、判読に時間がかかったのですよ」って。
「判じ物みたいに?」
「ええ」
「でも、かなりなインテリね」
その彼氏も含んで、モロッコに魅了されたケイコサンは、次回の訪問を念頭に、
モロッコ語を独学中。
「でも、ペルシャも捨てがたいですねぇ」
「行きたい所だらけ、やっぱり宝くじだわねえ」
「ええ。スクラッチもかなり高額になったのですよ」
歩きながら見かけた世界1週のポスター。
船旅は、ランクの開きが大きい。
「ピースボートで150万位からで、飛鳥Ⅱあたりだと2000万位まで。
どうせなら豪華に行きたいものねえ」
「ええ」
世界へ広がる続く会話。
ケイコサンとの逢瀬は、濃密な会話の連続です。
帰りは、鎌倉駅から湘南ラインへ乗って、横浜経由でした。
あふれる新緑。滴るみどり。
鎌倉は緑色に染まっています。時々赤芽が存在を誇示したり、際立たせたり。
その中で、長谷寺には様々な色の牡丹が咲き誇っていました。丹精こめた
牡丹の鉢が所狭しと置かれ、参詣者の目を楽しませて、初夏を彩ってます。
「連休に出かけるなんて、愚の骨頂!」って、ウチの宇宙人に言われた鎌倉詣。
その通り!よ。ぞ~ろぞろ人が出かける時、場所へは行かない主義だけど、
ちょっと鎌倉なんて思ったものだから、ケイコサンとご一緒に藤沢から江ノ電
に乗って、一気に長谷駅へ。
湘南は車で、の私だったので、2~3年前のモルモン教のアメリカ人宣教師達
を連れて、小学校の時に遠足で行った、そして、3回目の電車。ケイコサンに
お任せよ。
長谷寺は階段の多い所で、一番上の小さな広場(?)で見る湘南の海。鎌倉の市
街地は絶景。前面は海、後背は絶壁に生い茂る木々、緑。
シャガの花も地味ながら、木々の下に生い茂るも捨て置けない。アジサイの株
には、やっと小さな蕾をつけたのがチラホラで、あとひと月は待たなければなら
ない。花言葉”移り気”の花は。
どこから涌いたか?人、ひと、ヒト、老若男女、多国籍、カラフル肌、衣装。
あふれかえっているとは思ってたけれど、ぞ~ろぞろ歩く人の多さに今更ながら
ビックリよ。
あちらこちらで見かける、手焼きせんべいチェーン店。出来たてのおせんべいを
ケイコサンは買って、路地の階段にかけて、それのお相伴、ポリボリカキッ!
しっかりとした歯ごたえ。
大仏さんを眺めて、そろそろ昼食へって。その途中の小さなお店。
「不思議な感じのお店が多いですね。エスニックなお洋服がかなり売られて、こ
の辺は」
「ウチが置いたら、あれよあれよって広がったのよ」と中年女性。オーナーかと
思いきや、西武池袋線の江古田から通っていらっしゃるって。湘南ラインで通えば、
1時間とか。その彼女、
「社長は、ちょっと有名なのよ、取材を受けたりって」
「どちらにいらっしゃるの?」
「ほらっ、そこ」
って、指差す方を見れば、外人男性が観光客の相手をしている。
「日本語も、英語もフランス語もスペイン語も」
「なにじん?」
「聞いてみたら?」
絵付けした小さな置物猫や、こまごまとした装身具などの小物が置かれている
そこに、ひげを生やした中年後半(?)男性。
「どちらの方?」
「モロッコ」
「ケイコサン、バトンタッチよ」
モロッコ語独学中のケイコサン。
その男性は、彼の母国モロッコについて話す話す、話す地図を書きながら。
ええ、言語は日本語で。歴史から、鎖国をしていた話、日本との共通点等をね。
このお正月、モロッコへ行って、はまってしまったケイコサンですから、なん
という偶然の出会いでしょう。いいえ、偶然はない必然です全ては。
私にはわからないアラビア語についてやり取りしたりの2人。
スペイン統治の時代を経験しているので、スペイン語が遣えると思ったのに、
その後のフランス統治のせいか、地方によって強い言語が分かれているって。
鎖国時代の長崎の出島に唯一入れたオランダ人。それと同じ経験をしたという
モロッコ。日本の歴史にもちょっと詳しい彼は何者?日本に来て20年以上って。
昔から、大阪商人の凄腕、それに勝る華僑、華僑がかなわないアラブ商人って。
イスラムをバックのアラブ人達は、遠くは隋・唐の時代に波頭を越えて、シルク
ロードを駱駝の編隊で。多くの技術、文化を広めた事実。ヨーロッパの文化は
イスラム抜きには語れないほどね。利息を取らない、つけないイスラムの銀行よ。
往きの江ノ電の中で、外国語のお話。
食わず嫌いだったアジアの言語。アラビア語の文字の面妖さ。
ハングルは少し読めるようになった私だけど、藤沢駅の表示にハングル文字。
それを見てケイコサンはショック。それだけ多い韓国の人ってことよねって。
アラビア語も、わかったら、遣えたら、グ~ンと世界は広がるのしょうが、それは
ケイコサンにお任せするわってね。あの文字は挑戦出来ないわ。そうでなくっても、
ロシア語に振り回されているのですもの。まだ、食いつけない空振り状態よ。
ケイコサンのお手元には、なにやら雑誌が。それを見ながら、こっち、あっち。
ツツジの大株に驚いて、けれど、ちょっと満開には早かったお寺。本堂の裏手にある
北条正子の何やらに詣でて、次のお寺へ。
途中の民家の、道路際の老木の異様な姿に、シャッターを思わずパチリ。
「これは何のお花?」「桃のお花だわねえ。でも、それはもう終わりよ」
紅白に咲き分けている桃の花の写真を見て。桃も杏も桜も、ほぼ同時くらいに咲くの
で、5月に入れば、この南関東のそれらの花はもう過去のものなのよ。
長谷寺や大仏とその界隈、鎌倉駅近くのアーケードは人で埋め尽くされていたけ
れど、それ以外は、意外と静かな寺々の界隈。のけぞるほどの人出はなかったわ。
ケイコサンは、お嬢さんたちへ甘いものをお土産に。
我が家では考えられない甘い物よ。
言ってみれば、庭をそぞろ歩くような気分・距離の鎌倉だけど、やっぱりお出かけ
したら、お土産って必要なのね。私?買わない。
鎌倉夫人達の相続品なのか?不要の着物達か、和服の古着屋が何軒も。
それにはかなりそそられて、次回はアンティーク品、変わった品々の買い物ツアーに
来ましょう!なんて。 ついぞ、モノにはそそられない私なのだけど、最近、いやに
着物に惹かれてね。「景徳鎮のさじですよ、これは」って、ケイコサン。彼女の博学
に又も恐れ入る今回の小旅行。次は、箱根に1泊でスサーナと行きましょうかって。
上げ膳据え膳の旅行は、どんなところであれ、女達には嬉しい休暇なのよ。それが、
たった1泊であったとしてもね。
毎日が日曜日の私と違って、お2人は仕事をお持ちですから、3人のスケジュールを
合わすのはなかなか難しいかも。でも、時々は行きたくなる箱根です。
実現するように、なんとかやってみましょう。
昔々、私1人で、5人の子ども達(ウチの豚児3匹、姪2人)を引き連れて、104の
電話番号調べで箱根観光協会を探して電話で申し込み。
こちらの条件を提示して、探してもらって出かけた箱根。ナントカなるものです。
しかし、私も若かったわね、12才をかしらに5人を1人で引率よ。
緑のシャワーを浴びて、心地いい疲労をお土産に帰宅しました。
しかし、モロッコ人と出会うなんて、ねぇ。
やっぱりもう1度いかなきゃね、ケイコサン!
お別れの挨拶は、"Hasta pronto!"いずれ又ね、の私。
"Hasta luego!"近いうちに又、じゃあね、の彼。スペイン語。
日本もなかなか面白くなってきたようです。
ケイコサン、今日は案内役ご苦労様でした。次回は私の手作りお弁当を海辺ででも
食べますか?それもまた一興でしょう?ええ、その時は、Vino tinto(赤ワイン)
を携えてね。もちろん、磨きこんだワイングラスも2個持って。
博学ケイコサンのお話は楽しい。刺激されます。構えがない、ひけらかしはない、
無用な謙遜もない、とっても自然体の彼女なのです。きっと個としての自信がおあ
りとお見受けします。
やたら、過小評価や誇示をする人は、自信のなさを無意識に露出しているのです。
キャーッ!イヤだ!ウッソー!信じられナ~イ! なんて、薄っぺらな反応は決して
なさらない彼女です。大人ってこういう人のことって、いつも感じさせてくれます。
アラビア文字風英語のお便りをくれたモロッコの彼へ、シャツをプレゼント。
その服選びに余念のなかったケイコサンでした。
「クセの強い英語で、判読に時間がかかったのですよ」って。
「判じ物みたいに?」
「ええ」
「でも、かなりなインテリね」
その彼氏も含んで、モロッコに魅了されたケイコサンは、次回の訪問を念頭に、
モロッコ語を独学中。
「でも、ペルシャも捨てがたいですねぇ」
「行きたい所だらけ、やっぱり宝くじだわねえ」
「ええ。スクラッチもかなり高額になったのですよ」
歩きながら見かけた世界1週のポスター。
船旅は、ランクの開きが大きい。
「ピースボートで150万位からで、飛鳥Ⅱあたりだと2000万位まで。
どうせなら豪華に行きたいものねえ」
「ええ」
世界へ広がる続く会話。
ケイコサンとの逢瀬は、濃密な会話の連続です。
帰りは、鎌倉駅から湘南ラインへ乗って、横浜経由でした。