少し埃をかぶっていました。10年前に買っていた「源氏物語」です。
全10巻の寂聴の本。
アッそうだったのよ!そうだったんだわ。この本を買った時のことを、
まざまざと思い出したのです。
「お母さん、こんどね~え、瀬戸内寂聴、ン?そう元・瀬戸内ハルミって
言って、天台宗かなんかの宗派の尼さんになっちゃった作家。得度に立ち
会ったのは、かの今東光って。その彼女が書き下ろした源氏が出されたか
ら買ったのよ。いっつも難しくて放り出して、最後まで読んでないのよ。
エッ お母さんも?なら、私が読んで上げるわ。そのつもりで買ったのよ」
そうなのでした。
70才の時に脳梗塞で左半身麻痺。その後、横浜の住人になって(私がさら
って)闘病なんかしない母を、もう好きなようにさせてあげようと思ってい
ました。そうさせて上げたくて連れてきてしまったのですから。いいのです。
彼女はもう好きなことをしてきました。その前に、母の意志とは関りのない
所でもみくちゃになった、ありとあらゆる受難の生涯、波乱万丈の、それこ
そ何冊もの本が書けるような時を過ごしてきました。
ですから、もう母に、静かな時間を過ごして欲しくて、こちらの要求はなにも
ありませんでした。母の目を覗くとわかるのです。もう希望の光はありません
でした。時々思い出したように、
「レイコチャン、もう1回タヒチへ行こう」
って、弱々しく言うことがあっても。半身麻痺になった母を私はタヒチへ連れ
て行ったのです。ボラボラビーチホテルの従業員の優しさが母にタヒチを思い
出させていたのでしょう。けれどもそれは言うだけのもので、何が何でも治し
てもう一回行くというまでの強い意志はもうどこにもありませんでした。
まだ、私が若い頃、母によく落語を話してました。古典落語の本を何冊か持っ
ていましたから、その本を読む落語でしたが、それを母は殊のほか喜んでくれ
てました。
転勤で移動の多い私達でした。子どもの休みに里帰りする程度の私達母娘でし
た。母を看取るのは私と、密かに決めていました、とうの昔に。
希望という生きるための鍵を無くした母は、寝たきりになっていきました。
もう、夢うつつの時間が増えて、反応も日増しになくなっていきます。
母のために買った源氏物語は、1巻目の、母が大好きだった「雨夜の品定め」
の所に栞が挟まれていました。ここで母に読んで聞かせていたのが終わって
いたのです。
きょう、十年ぶりに開いたそこから、私は母の写真に話し掛けました。
「お母さん、お待たせしちゃったわねぇ。光源氏・頭の中将・左馬の頭・藤
式部の丞の勢ぞろい、又そこから読んであげるから聞いててね。ええ、もう
じっくり読むわ。期限なしでね」
母への朗読が始まりました。最後まで読みきれなくて、あの世で母はちょっと
肩身の狭い思いをしてるかも知れないのです。
「エーッヒサチャン(母の名)、源氏物語を読んでないの?」
って、猛烈読書家達の兄姉達に詰め寄られてたかも知れません。
そこに触れる必要はありません。
伯父・伯母達が話す内容に加われれば問題ないのですから、娘として、人肌
脱がなくてどうしましょう。
こんな想いの読書が始まり出しました。誰かのためにって、奮い立たされる
感じがします。ええ、もちろんこちらの勝手な解釈です。でも、素敵な理由付
けがあってもいいって、思うのです。
黙読と違って、朗読はかなり体力・気力を必要としますが、決めたことですか
ら、放り出すようなことはしません。それは、母のためと言っても、明らかに
私自身のためなのは、言うまでもないでしょう。そんな思いにさせてくれた母
に、今更ながら感謝する私です。ありがとうお母さん。
全10巻の寂聴の本。
アッそうだったのよ!そうだったんだわ。この本を買った時のことを、
まざまざと思い出したのです。
「お母さん、こんどね~え、瀬戸内寂聴、ン?そう元・瀬戸内ハルミって
言って、天台宗かなんかの宗派の尼さんになっちゃった作家。得度に立ち
会ったのは、かの今東光って。その彼女が書き下ろした源氏が出されたか
ら買ったのよ。いっつも難しくて放り出して、最後まで読んでないのよ。
エッ お母さんも?なら、私が読んで上げるわ。そのつもりで買ったのよ」
そうなのでした。
70才の時に脳梗塞で左半身麻痺。その後、横浜の住人になって(私がさら
って)闘病なんかしない母を、もう好きなようにさせてあげようと思ってい
ました。そうさせて上げたくて連れてきてしまったのですから。いいのです。
彼女はもう好きなことをしてきました。その前に、母の意志とは関りのない
所でもみくちゃになった、ありとあらゆる受難の生涯、波乱万丈の、それこ
そ何冊もの本が書けるような時を過ごしてきました。
ですから、もう母に、静かな時間を過ごして欲しくて、こちらの要求はなにも
ありませんでした。母の目を覗くとわかるのです。もう希望の光はありません
でした。時々思い出したように、
「レイコチャン、もう1回タヒチへ行こう」
って、弱々しく言うことがあっても。半身麻痺になった母を私はタヒチへ連れ
て行ったのです。ボラボラビーチホテルの従業員の優しさが母にタヒチを思い
出させていたのでしょう。けれどもそれは言うだけのもので、何が何でも治し
てもう一回行くというまでの強い意志はもうどこにもありませんでした。
まだ、私が若い頃、母によく落語を話してました。古典落語の本を何冊か持っ
ていましたから、その本を読む落語でしたが、それを母は殊のほか喜んでくれ
てました。
転勤で移動の多い私達でした。子どもの休みに里帰りする程度の私達母娘でし
た。母を看取るのは私と、密かに決めていました、とうの昔に。
希望という生きるための鍵を無くした母は、寝たきりになっていきました。
もう、夢うつつの時間が増えて、反応も日増しになくなっていきます。
母のために買った源氏物語は、1巻目の、母が大好きだった「雨夜の品定め」
の所に栞が挟まれていました。ここで母に読んで聞かせていたのが終わって
いたのです。
きょう、十年ぶりに開いたそこから、私は母の写真に話し掛けました。
「お母さん、お待たせしちゃったわねぇ。光源氏・頭の中将・左馬の頭・藤
式部の丞の勢ぞろい、又そこから読んであげるから聞いててね。ええ、もう
じっくり読むわ。期限なしでね」
母への朗読が始まりました。最後まで読みきれなくて、あの世で母はちょっと
肩身の狭い思いをしてるかも知れないのです。
「エーッヒサチャン(母の名)、源氏物語を読んでないの?」
って、猛烈読書家達の兄姉達に詰め寄られてたかも知れません。
そこに触れる必要はありません。
伯父・伯母達が話す内容に加われれば問題ないのですから、娘として、人肌
脱がなくてどうしましょう。
こんな想いの読書が始まり出しました。誰かのためにって、奮い立たされる
感じがします。ええ、もちろんこちらの勝手な解釈です。でも、素敵な理由付
けがあってもいいって、思うのです。
黙読と違って、朗読はかなり体力・気力を必要としますが、決めたことですか
ら、放り出すようなことはしません。それは、母のためと言っても、明らかに
私自身のためなのは、言うまでもないでしょう。そんな思いにさせてくれた母
に、今更ながら感謝する私です。ありがとうお母さん。