元・義理の兄死去の電話が、今・義理の兄から入って、感慨深いものがあり
ました。元・義兄に会ったのは、姪(彼の長女)の結婚式が最後だったから、
もうかなり昔の話です。
若い頃は、家も近くで、お互いに、子ども達を我が子と一緒くたに見たり。
かなり偏食の、彼の食生活を目の当たりにしたものです。キュウリが食卓に
上るだけでも嫌な顔をしていた野菜嫌い。けれど、持病はなし。
親戚でも会わない人はいっぱいですから、元・親戚に会う機会はありません
でした。
業界で、知らない人は居ないという姪の仕事振りです。
彼女は前日、父親に仕事の嬉しい報告をしていたそうです。そして翌朝、
帰らぬ人になってしまった報告を受けたそうで、その衝撃はいかばかりかと、
察するに余りあるものがあります。再婚相手は、子どももない、突然の夫と
の別れにうろたえたそうです。当たり前ですね。前の晩まで元気でいた人で
したから。
「オイ、レイコ。俺だ」
って、電話でねいつも。
「俺って?ああ砂漠さんね」
男は「俺」、女は「あたし」って。身の回りのおれとあたしがどれほどいるか。
けれども水分の少ない声は、その中でも聞き分けられる独特な声でした。
今は懐かしい思い出です。
空を仰いで、
「やっちゃったわねぇ。ウン、見事な身の引き方かも知れない。あっちで
お母さんにでも会ってあげて」
って言ってしまいました。享年69才。この10月で確か「古希」だった筈。
まあ、現代にいたっては、「古来より稀なリ」っていう年令じゃあない70才
ですから、早いって言えば早い永遠の旅行への出立だけど。
「死んでも元気でいられますように!」風、不健康な健康志向の現代の中、
今・義兄からの報告に、思わず「やったわね!」って言ってしまったのです。
先頃の激痛(心筋梗塞発作)に見舞われた私は、私の意志ひとつで追い払い
ました。「消えろ!」って。
肉体の自己コントロールは出来ます。けれども、死に対しては、特別な関心
はありません。私の肉体コントロール力がなくなった時に生涯が終わる。それ
でいいじゃないって。医者にかかるつもりは皆無です、今のところ。
セニョール・ダンが義兄弟へ電話をかけながら言います。
「いいよなあ、彼みたいに死ねたらもう、今でもいいよ」
って。そう、セニョールも、生物としての役目を果たしたそれなりの達成感を
私同様持っているってことね。ですから、まあ、お若いのにって、もったいな
かったねえ、まだまだ若いじゃない等など。そんな陳腐な言葉は吐きません。
人は、なんて無意味な発言をしながら生きながらえるのでしょう。
ですから元・義兄の死に、そんな垢まみれの言葉は吐きません、思いも寄ら
ぬことです。意味のない、無重力な言葉は要らないって思います。
「キヨシさん、又ね!あっちで会おう」
で、おしまいです。それだって、全て心の(脳内の)出来事です。
娘2人は父親の死に、彼女達の対処をするのです。でも、寂しい別れです。
「結婚ってさ、僕はこう思うんだけど、10年は離婚は認めない。
あとは、毎年意志があるか否かで、更新するって。どう?」
「免許更新と同じ?」
「そうだよ。こんな世の中で、離婚が日常的までは言わないけれど、様変わり
した男女の関係でしょう?考えてもいいって思わない?」
「それは、グッドアイデアだわ。心変わりは常だしね。でもさ、制度の前に
子ども達がどれほど傷ついて生きていかなきゃならないか、そっちが基よ」
言い訳はいけません。そして、無意識の意趣返しが始まるのです。
「どうせ、親だってやってきたことじゃない!偉そうなこと言える?」
同じ轍を踏むのです。満たされない心は、やっぱり自分が露骨に最優先なので
す。私個人としては、離婚経験者を、子どもの心をずたずたにして、言い訳を
しながら生きる人を尊敬しませんし、人を踏みつけて自分の幸せを掴もうとす
る人を軽蔑するのです。シッシッシシ近寄るでない!ってね。
ウン、更新?結婚も免許制度?いいかも知れない。
はなからそういうものだって決まってたら、毎年更新で、引き締まるかも知れ
ないわね、気持ちが。この人と今年度も頑張れるか?愛していけるか?
でも、なんだかねえ~。もっとピュアな関係で、いえ、自身の生き方を子ど
ものような心で、真っ直ぐ世の中をみたいものです。損得じゃなく、有利不利
じゃなく、取引じゃなく、相対評価じゃなく、まっすぐこの人を愛した、を、
死ぬまで貫くって、それこそ自分を好きな人、人を大事に思える人しかできな
いことですし、それが何よりも大事で、多くの人に欠けている最重要事項です。
流行を取り入れるって、その分量だけ自分を捨てることです。嫌っているとい
うことです。そんな失礼なことを自身にしてはいけないのです。
「あのね~、そんな流行遅れでどうするの?」
「ウン、私はバカじゃない。だって、世界で一番好きな私を他人と同じになん
て、そんな失礼なことは出来ないのよ。私は私以外の何者でもないからね」
街娼のような格好の女の子。眉毛をそった男の子。ズボンを囚人スタイルで。
あ~~~イヤだ!薄汚い髭を生やしてイチロー?中身は真似ないの?
「表現の自由」って言葉をスペードのAみたいにちらつかせるけれど、
暗黙の内に下品にします、下品が大好きですっていってることに気付かない。
意識してなら確信犯よ。
高貴・高尚・上品・思慮深く・節度など等の言葉からも、いくらでも紡げる
表現でしょうに!世間を薄汚くしていくバカ垂れ達、被害者は子ども。
考えることを、誰かに委ねた所から腐敗が始まる。
自分を捨てた人は文句垂れです。気色の悪い生き物に成り下がります。
「~~が言ってた」って?そんなことはどうでもいいのよ。自分は、自分が、
どう思い、行動するか、したか、でしょう?
電話をくれた今・義兄に、
「中国行かない?やっとお神輿を上げようかと思ってね。中国語も少しわかっ
てきたし。ついでにモンゴルも行きたいのよ」
「モンゴルを味わいたいなら、中国自治区の内モンゴルだけでも充分味わえる
よ」
「う~ん、やっぱり7月のナーダムにするかなあ。チンギスハーンの蒙古へ
行きたいのよ。ところで、月2回レッスンで、発音の難しさだけはよーくわか
ったんだけど、通じるかなあ?」
「あのね、中国人が何人いると思う?13億人。その人たちがみんな同じ、正
しい中国語をしゃべってるなんて思う?みんなそれぞれ13億分の1で話して
るんだよ。レイコサンもその1人ってことだよ」
なんて説得力のある話し方でしょう!そうなのね?そうなのよね!
なら、いつもの「当たって砕けろ!相手は猛獣じゃない、人なんだから」で
いけるじゃない。
相手をその気にさせない一方的話術で、自分の説得力のなさは棚に上げて、
「ホントにわかんないんだから~!」って人が多いでしょう?
その点は、今・義兄日本生まれの中国人は、忍耐強く(姉と生活を共にする
ことで実証済み)、言葉の出し惜しみはしない穏やかな人物です。
ありがとう!なんて素敵な贈り物でしょう。私もアナさんへそう言うわ。
あなたはあなたの日本語を話せばいいのよってね。謝謝!
ました。元・義兄に会ったのは、姪(彼の長女)の結婚式が最後だったから、
もうかなり昔の話です。
若い頃は、家も近くで、お互いに、子ども達を我が子と一緒くたに見たり。
かなり偏食の、彼の食生活を目の当たりにしたものです。キュウリが食卓に
上るだけでも嫌な顔をしていた野菜嫌い。けれど、持病はなし。
親戚でも会わない人はいっぱいですから、元・親戚に会う機会はありません
でした。
業界で、知らない人は居ないという姪の仕事振りです。
彼女は前日、父親に仕事の嬉しい報告をしていたそうです。そして翌朝、
帰らぬ人になってしまった報告を受けたそうで、その衝撃はいかばかりかと、
察するに余りあるものがあります。再婚相手は、子どももない、突然の夫と
の別れにうろたえたそうです。当たり前ですね。前の晩まで元気でいた人で
したから。
「オイ、レイコ。俺だ」
って、電話でねいつも。
「俺って?ああ砂漠さんね」
男は「俺」、女は「あたし」って。身の回りのおれとあたしがどれほどいるか。
けれども水分の少ない声は、その中でも聞き分けられる独特な声でした。
今は懐かしい思い出です。
空を仰いで、
「やっちゃったわねぇ。ウン、見事な身の引き方かも知れない。あっちで
お母さんにでも会ってあげて」
って言ってしまいました。享年69才。この10月で確か「古希」だった筈。
まあ、現代にいたっては、「古来より稀なリ」っていう年令じゃあない70才
ですから、早いって言えば早い永遠の旅行への出立だけど。
「死んでも元気でいられますように!」風、不健康な健康志向の現代の中、
今・義兄からの報告に、思わず「やったわね!」って言ってしまったのです。
先頃の激痛(心筋梗塞発作)に見舞われた私は、私の意志ひとつで追い払い
ました。「消えろ!」って。
肉体の自己コントロールは出来ます。けれども、死に対しては、特別な関心
はありません。私の肉体コントロール力がなくなった時に生涯が終わる。それ
でいいじゃないって。医者にかかるつもりは皆無です、今のところ。
セニョール・ダンが義兄弟へ電話をかけながら言います。
「いいよなあ、彼みたいに死ねたらもう、今でもいいよ」
って。そう、セニョールも、生物としての役目を果たしたそれなりの達成感を
私同様持っているってことね。ですから、まあ、お若いのにって、もったいな
かったねえ、まだまだ若いじゃない等など。そんな陳腐な言葉は吐きません。
人は、なんて無意味な発言をしながら生きながらえるのでしょう。
ですから元・義兄の死に、そんな垢まみれの言葉は吐きません、思いも寄ら
ぬことです。意味のない、無重力な言葉は要らないって思います。
「キヨシさん、又ね!あっちで会おう」
で、おしまいです。それだって、全て心の(脳内の)出来事です。
娘2人は父親の死に、彼女達の対処をするのです。でも、寂しい別れです。
「結婚ってさ、僕はこう思うんだけど、10年は離婚は認めない。
あとは、毎年意志があるか否かで、更新するって。どう?」
「免許更新と同じ?」
「そうだよ。こんな世の中で、離婚が日常的までは言わないけれど、様変わり
した男女の関係でしょう?考えてもいいって思わない?」
「それは、グッドアイデアだわ。心変わりは常だしね。でもさ、制度の前に
子ども達がどれほど傷ついて生きていかなきゃならないか、そっちが基よ」
言い訳はいけません。そして、無意識の意趣返しが始まるのです。
「どうせ、親だってやってきたことじゃない!偉そうなこと言える?」
同じ轍を踏むのです。満たされない心は、やっぱり自分が露骨に最優先なので
す。私個人としては、離婚経験者を、子どもの心をずたずたにして、言い訳を
しながら生きる人を尊敬しませんし、人を踏みつけて自分の幸せを掴もうとす
る人を軽蔑するのです。シッシッシシ近寄るでない!ってね。
ウン、更新?結婚も免許制度?いいかも知れない。
はなからそういうものだって決まってたら、毎年更新で、引き締まるかも知れ
ないわね、気持ちが。この人と今年度も頑張れるか?愛していけるか?
でも、なんだかねえ~。もっとピュアな関係で、いえ、自身の生き方を子ど
ものような心で、真っ直ぐ世の中をみたいものです。損得じゃなく、有利不利
じゃなく、取引じゃなく、相対評価じゃなく、まっすぐこの人を愛した、を、
死ぬまで貫くって、それこそ自分を好きな人、人を大事に思える人しかできな
いことですし、それが何よりも大事で、多くの人に欠けている最重要事項です。
流行を取り入れるって、その分量だけ自分を捨てることです。嫌っているとい
うことです。そんな失礼なことを自身にしてはいけないのです。
「あのね~、そんな流行遅れでどうするの?」
「ウン、私はバカじゃない。だって、世界で一番好きな私を他人と同じになん
て、そんな失礼なことは出来ないのよ。私は私以外の何者でもないからね」
街娼のような格好の女の子。眉毛をそった男の子。ズボンを囚人スタイルで。
あ~~~イヤだ!薄汚い髭を生やしてイチロー?中身は真似ないの?
「表現の自由」って言葉をスペードのAみたいにちらつかせるけれど、
暗黙の内に下品にします、下品が大好きですっていってることに気付かない。
意識してなら確信犯よ。
高貴・高尚・上品・思慮深く・節度など等の言葉からも、いくらでも紡げる
表現でしょうに!世間を薄汚くしていくバカ垂れ達、被害者は子ども。
考えることを、誰かに委ねた所から腐敗が始まる。
自分を捨てた人は文句垂れです。気色の悪い生き物に成り下がります。
「~~が言ってた」って?そんなことはどうでもいいのよ。自分は、自分が、
どう思い、行動するか、したか、でしょう?
電話をくれた今・義兄に、
「中国行かない?やっとお神輿を上げようかと思ってね。中国語も少しわかっ
てきたし。ついでにモンゴルも行きたいのよ」
「モンゴルを味わいたいなら、中国自治区の内モンゴルだけでも充分味わえる
よ」
「う~ん、やっぱり7月のナーダムにするかなあ。チンギスハーンの蒙古へ
行きたいのよ。ところで、月2回レッスンで、発音の難しさだけはよーくわか
ったんだけど、通じるかなあ?」
「あのね、中国人が何人いると思う?13億人。その人たちがみんな同じ、正
しい中国語をしゃべってるなんて思う?みんなそれぞれ13億分の1で話して
るんだよ。レイコサンもその1人ってことだよ」
なんて説得力のある話し方でしょう!そうなのね?そうなのよね!
なら、いつもの「当たって砕けろ!相手は猛獣じゃない、人なんだから」で
いけるじゃない。
相手をその気にさせない一方的話術で、自分の説得力のなさは棚に上げて、
「ホントにわかんないんだから~!」って人が多いでしょう?
その点は、今・義兄日本生まれの中国人は、忍耐強く(姉と生活を共にする
ことで実証済み)、言葉の出し惜しみはしない穏やかな人物です。
ありがとう!なんて素敵な贈り物でしょう。私もアナさんへそう言うわ。
あなたはあなたの日本語を話せばいいのよってね。謝謝!