日々の生活から

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鈴木健二君に捧げる追悼文

2011-02-05 15:51:14 | 意味
1月9日の夜に、同級生から君の訃報をもらいました。
私が大学を卒業して住所が変わるのを機に、年賀状は途絶えてしまったけど、
卒業後も数回、会ったように覚えています。
会社に就職してからの君の経歴はJSTの研究者ページに出ていました。
高校のころから深い考え方をするとは思っていたけれど、
博士になって研究者をしていたと知りませんでした。

同じ大学を受験して、「受験が終わった記念に」と、名古屋駅から豊田まで
歩いて帰ろうとしました。あまりの遠さに千種で地下鉄に乗ったのですが、
いまでも、その周辺を通りがかると、そのことを思い出します。
そんなアホなことを一緒にしていたのに、20年も過ぎると随分違った
道をきたのですね。

卒業してから一緒にドライブに行ったときに話してくれたことです。
「たまたま中学校の体育祭をしている横を通ったとき、全体競技をしていた。
 そんな中、出席したくない生徒がいて先生に怒られていた。
 先生は『みんなやっているのに、なぜやらないんだ!』と言っていた。
 みんながやるからやれ!というのはおかしい。」
ずっと以前から反骨の人だったね。
周りとの協調に汲々としている私には、君がとてもまぶしかった。

1年強の闘病だったと思います。4月の研究室の写真に君がいましたから
最初の手術後、一度は復帰したのでしょう。
お通夜であった君は、闘病の厳しさを残していましたね。
お疲れ様。これが適当な言葉なのか、わかりません。
君にしてみれば、やりきれないことだらけで、どんな言葉も足りないでしょう。
それでも、今の私は、それを伝えたい。

お通夜の帰り道で、追悼文を書こうと決めてから、随分時間がたってしまいました。
申し訳ない。

君がいてくれから、今の私があります。ありがとう。

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