堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

多摩川でどんど焼き

2011年01月09日 | 日記

 今年も、錦町のどんど焼き。
 無風、
晴天、温暖、これがどんど焼き日和。この3条件を今日はすべて満たしていた。
 正月飾りも予想以上の集まり。
 毎年やっているが、かっこう良く燃すのは難しい。最初、煙が多いのは櫓に乗せる正月飾りのバランスの悪さ、不完全燃焼させてしまった。

     

 年が明けての、初めての地域行事。錦町はここから出発。
 子供からお年寄りまで家族連れで集まる。特に、子供たちが伝承行事を体験できる数少ない機会。
 三小、七小の校長、副校長も揃って参加。
 この行事、地域の様々な人の協力で大成功、錦町の底力の表れか。様々な問題も山積しているが、錦町は前途洋々。

     

 昨日、準備している時に感じたことだが、多摩川の自然も変わりつつある。
 以前、何年前になるのか、団子をさす篠竹がなくなり、河原に生えている「荻」をとってきて代用した。
 荻の茎は固くて光沢があり丁度長さもよく、篠竹の代わりとなった。
 ところが今では、どんど焼きをやる周りには全く生えていない。

 多摩川の植物相は、私が子どもの頃と比べると極めて貧弱なものとなってしまった。

 埋め戻した後に早速ハクセキレイが来て、餌をついばんでいた。

     
 


新年会・・・古き良き人

2011年01月08日 | 日記

 どんど焼きの準備を多摩川の河川敷で行った。
 錦町恒例の行事であり、伝承行事である。
 明日が本番無風を祈る。詳しくは明日。

     

 夜は、立川市体育協会の賀詞交歓会。

 今年、立川警察署の武道始式に続いて2回目。
 これからも新年会は続く。

 今年の予測と抱負が語られる。

 立川警察署の武道始式には、歴代の署長も参加される。
 立川駅周辺の環境改善パトロールを始めた時の鈴木元署長も見えていた。
 昨年はお目にかかれなかった、お話によると、同種の新年会や武道始式が重なり、多忙であるとのこと。
 転勤が多い職種なので当然であると思う。

 現在の立川駅南口の変化と重ね合わせ、感無量。
 年数を経るにしたがって当初のことが忘れ去られてしまう。
 中国の古いことわざに、おいしい井戸水を飲むときには、その井戸を掘った人の恩を忘れてはならないという意味の言葉があるが、共に苦労した人との邂逅は懐かしさひとしおである。
 南口のことについては、稿を改めて、書いてみたい。

 ともあれ、新年会、現職時代に共に現状を嘆き、勉強したり、情報を交換したり、時には激論を交わしながら一つのことを成就した、同志ともいえる人とお会いできることはうれしい。

 一つのことをやり遂げるには、様々な人、時には意見が真っ向から対立する人の存在も欠くことのできないもであったということを、お会いする中で実感する。
 


今年一番の花

2011年01月07日 | 日記

 どんど焼きのために河川敷に降りる所の車止めのカギの確認に多摩川に行った。
 その帰りに根川に回ってみた。
 いつもカワセミがいるところを通ったが、カメラマンたちもカワセミもいなかった。
 カワセミの生態をよく知らない。
 冬はカワセミがいないのか、いても寒いからカメラマンたちがいないのかはっきりしない。

 よく見ると小鳥が飛んでいた。
 川の傍まで降りて見入ると、メジロであった。
 メジロは何羽か群れていた。
 鳥を撮るつもりではなかったので、18から200のズームしかもっていかなかったので、あまりよく撮れていない。

     

 風があり、かなり寒かったが、メジロたちは水浴びをしていた。
 寒くはないのか気になった。

 2年続けて、年賀状にブログのことを書いたので、何人かの方から、賀状のなかに、見ているとの言葉があった。

 嘗て、柿の実に群れるメジロは見たことがあるが、根川では初めてである。

 こんな些細な事でも、前に立川で生活した人にとっては懐かしみを感じられるであろうと、賀状に書き、送らせていただいたわけである。

 植木屋の畑に梅が咲いていたのを思い出し、行くことにした。
 例年、年が明けてい一番先に撮る花は蝋梅であり、梅はその後である。
 かなりな大木であリ、自宅の傍なので、毎年咲いて、見ているはずであるが、今年は特に目に留まり、気になった。

     

 接写で撮ろうとし、中に入ると、蝋梅が咲きだしていた。
 ほとんどが蕾で、花は幾輪かしか咲いてはいない。
 まだ、七草である。
 あの香りは、まだただよってはいない。

     

 


続PDF

2011年01月05日 | 日記

 地域のHPを立ち上げている。
 まだまだ情報量が少なく、ご紹介するほどのものではなが、少しずつではあるが進んでいる。

 昨年、錦町五丁目親和会からワードで作られた「親和会だより」を送っていただいた。
 その前に、錦東和会から頂いた、同じくワードで作られた「東和会ニュース」を、先日このブログで書いた、CubePDFを使ってPDFファイルに変換し、GIFでアップしたが全く問題がなかった。「親和会だより」も同じようにした。

 ところが、先日、親和会の担当の人からメールがきた。
 HP上の「親和会だより」の一部に欠落した部分があるという内容である。
 確認してみると確かに消えてしまった部分がある。

 私はワードは正直良く分からない、従って、あまり使わない。
 多分、レイヤーで上書きした文字が、何らかの理由で読み込めなかったのだろう。
 CubePDFではワード文書をJPEGにも変換できるので、試してみたが、やはり同じだった。

 CubePDFをインストールした後、極めて単純なことに気が付いた。
 もう一台のPCは、ビスタで32ビットであるということである。メインで使っていないのでつい忘れていた。
 アクロバット7エレメントがインストールできるはずである。
 結果は、問題なくインストールできた。ただ、アクロバットリーダーは9だったので、一旦アンインストールしなければならない煩わしさはある。

 勿論、「親和会だより」はアクロバット7エレメントで問題なくPDF化でき、GIFでHPにアップできた。

 全く動かなかったり、変換できなければ、当然使えず、あきらめる。
 今回のように、ほんの一部だけにトラブルが発生した場合は、その誤りを発見するには、相当の注意力と労力を必要とする。

 CubePDFは今後使わないようにし。アンインストールした。
 今回の失敗はCubePDFの欠陥なのか、私の使い方の誤りなのかは判然としない。
 


どんこ汁

2011年01月04日 | 日記

 パソコンのインクが切れたので、ビックカメラに行った。
 三が日最後の食料品売り場はどんな品ぞろえになっているのかと思い、ルミネの地下の魚力に行ってみた。

 勿論、冷やかしのつもりで行った。
 ところが、陳列棚に「どんこ」の捌いたものが売っていた。
 近頃は、魚の調達には、本格的な魚屋の店先には行かず、スーパーで済ませている。
 そんな訳で、魚屋事情ははからないが、以前でもたまにしか売っていなかった「どんこ」にお目にかかり、思わず食指が動いてしまった。
 とっさに、今夜は「どんこ汁」で一杯と思い、カキと一緒に買ってきた。

 どんこは外見は黒くてぬめぬめしており、アンコウ同様グロテスクである。
 料理の方法はいたって簡単。
 肝だけ残して、内臓を取り、ぶつぶつと輪切りにして、頭も一緒にみそ味の鍋にする。
 後は白菜やネギなどの野菜と豆腐、味噌仕立てなのでカキもよろしい。

 今日のどんこは調理済みなので、肝がないのは残念。
 肝はアンコウ同様こくがあって旨い。

 一番最初にどんこにお目にかかったのは、一人で視察に行った時の三陸の気仙沼である。
 居酒屋でそろそろ帰ろうとしていた時に「今、どんこが来たので、仕上げにどんこ汁をどうぞ」と勧められ、食べてみて、その旨さに驚いた。

 現職だった頃の私には視察の流儀がある。まず一人で行くこと。

 それにはいくつか理由がある。
 一つは費用対効果である。
 5人で行くのと1人で行くのを比較すれば、1人で行けば同じ費用で5倍の効果がある。
 また、視察する内容も、一番知りたいこと、自分で調べても明確になっていない点を更に深く知る為に、質問項目を事前に送っておけば、効率的に聞ける。
 複数で行けば、既知の事実も他の人が聞いたり、関係のない質問をしたりして貴重な時間の無駄使いとなる。
 時間の有効利用という点でも費用対効果が優れている。時間も価値として考えられるからである。

 ただし、一人で行くことの問題点もある。
 聞くことを忘れることと、聞いたことを忘れることである。
 そのために、聞き忘れを防ぐためには、事前の調査の万全を図ること、それに基づいて質問事項を整理しておくことである。
 説明されたことを全て持ち帰るために、ICレコーダーを活用した。

 一人で行くことのメリットの二つ目は、効率的な行程管理である。
 一つの例であるが、大分県の臼杵市と兵庫県の尼崎市を視察したことがある。
 なぜ、こんなに離れた自治体を同時に視察したのか疑問に思うだろう。
 この時の視察項目は行政評価システムと公会計制度、両市とも違った角度で極めてユニークな施策の展開を図っていた。
 同時に話を聞き資料を取得する必要があった。

 余談になるが、今、民主党政権が行っている事業仕訳は10年も前から地方自治体では行われていたのである。
 臼杵市と尼崎市への視察目的は、正にこの事であった。
 一般的に言って、地方自治体の方が国よりも数段早く行っている政策・施策の事例は数えきれない。
 このことについては、後日、稿を改めて書きたい。


 しかし、この長距離を移動することは至難の業である。そこで、宿泊地を新幹線のダイヤ等をにらみながら、夜の9時ごろに広島のホテルにチェックインした。
 一人ならどんな強行軍も可能である。

 最後のメリットは、
 視察は地方に行くことが多い。その点での楽しみもある。
 視察でもアフター5が時々問題になる。
 視察の費用は公費・税金である。
 従って、自由時間であるから何をやってもいいというわけではない。当然、自ずから制約がある。

 視察という、当初の目的をしっかり果たした上で、その地方を楽しむということも大事である。
 目的市で発売されているすべての地方紙を買い、できるだけ読んで、視察に臨んだ。
 前にもこのブログで書いたが、一日だけの新聞だが、その地域で問題になっていること、話題など、わずかでも知ることができる。
 その結果、地方紙の題字も次第に集まった。

 視察に一人で行くことのメリットハまだまだ色々あるが、長くなるので、後日また書きたい。

 ここで、議会改革について一言。
 調査研究のための視察は、議員活動の一環として、極めて重要である。
 ネット上の情報や、印刷されてた雑誌や書籍で知りえない生の声を聴くことは現地に行って、その地域の特質や特性を感じた上で知るということは極めて大事である。
 従って、単純に視察は悪であり、必要ないという議論には組し得ない。

 ただし、本来の趣旨に反した視察が行われているのも事実である。
 極端な事例は夏で熱いので、涼しい北海道で適当なところを見つけて計画を作ってくれと、議会事務局に丸投げする例などである。こんなことは今はないだろうが。昔はあったみたいである。

 一人で行くことの利点を挙げたが、必ずしも複数で行くことを否定するわけではない、複数で行くことのメリットも当然ある。

 しかし、絶対にやめるべきものは、常任委員会の視察である。
 議会事務局員が随行し、政策や考え方も違う複数の会派や政党の多数の議員が同じ項目について視察して、何の効果が期待できるのであろうか、速やかに中止すべきである。

 


日本辺境論

2011年01月03日 | 読書

 内田樹著「日本辺境論」は昨年来、本屋に平積みされていた時から、気になっていた本の一冊である。
 年末にとっておいたビデオ・週刊ブックレビューを見て、更に気になった。
 古本屋の店頭にあったので買ってきた。

 日本人論、日本文化論は前から興味がある。

 自分が日本人である以上、日本の或いは日本人の特質とか特性を知りたいと思うのは、ある意味で、当然かもしれない。
 そのことは当然に日本以外の外国や外国人、外国の文化との比較の上に成り立つことである。

 そのことが端的に表れるのは言葉であると思う。
 森本哲郎も翻訳ができない日本語があることを例を挙げて指摘している。
 無理やり訳した場合に、やはり、その国の特徴が出るという。
 例えば、擬声語、擬態語を中国語に訳すと、説明的、論理的表現になると言う。

 一人称は日本語では様々ある。
 週刊ブックレビューでも言われていたが、「僕」と「私」の違いである。著者も最初は「僕」で書いたが、それでは意を尽くすことができず、「私」に書き直したと。

 「辺境」という地理的観点からの「日本文化(人)論」がどのようなものか楽しみである。
 確かに、日本は北東アジアにあり、極東(far east)である。

 早速読みたいが、ビデオもだいぶたまってしまっている。


ICレコーダー

2011年01月02日 | 日記

 昨年、臨時収入があったので、ICレコーダーを買った。

 ICレコーダーは現職の頃使っていた。
 主に調査活動に使用していた。
 特に視察の時には重宝した。
 性能的には大分問題があり、声が小さかったり、言葉が不明瞭な場合は何回聞き返しても意味不明なこともあった。
 視察報告書は相当丁寧に書いたつもりなので、その内容の正確性を期すために、電話で担当者に不明確なところは再度確認したことを覚えている。

 ソニーのICレコーダーを買ったが、買ったばかりなので、その機能は十分把握できていない。
 以前持っていたものから想像し、十分であろうと思う。

 ボランティア活動の中での会議や上部団体や東京都との打ち合わせ等で正確にその内容を把握しなければならないケースが度々ある。
 そんな場合大いに役に立つと思う。
 

          

 以前と比べ、メモを取る能力は格段に低下している。
 嘗て、私の周りには、メモ魔と言われる人が何人かいた。当時でも、それほど完全にメモをとれたわけではない。
 PCを使うようになってからは、例にもれず、漢字が書けなくなった。勿論、それだけではなく、年齢のせいかもしれない。

 記憶力も相当低下してきている。
 「情報は一冊のノートにまとめなさい」に倣い、様々な情報は手製のノートに記している。

 NHKのBSやハイヴィジョン放送では、マイケル・サンデル教授のハーバード大学における講義に代表されるように、長時間の密度の濃い番組が多く放映されている。
 集中して聴いていても、全てを正確に理解し、記憶することは不可能に近い。時がたてばなおさらである。全てが忘却の彼方に置き去られてしまう。

 そこで、録画し、嘗ての学生時代に戻って、ノートをとっている。
 減退したメモ能力の回復にもつながるという、副産物も生まれる。
 やはりカタカナやひらがなが多くなる傾向はやむを得まい。


暦年と年度・・・人生の時

2011年01月01日 | 日記

 新年明けましておめでとうございます。

 もういくつ寝るとお正月、子供の頃と違い、年末の慌ただしさ、あっという間に来てしまう正月。
 これも、やらなければならないこと、やるべきことがあまりにも多いためなのであろうか。

 少し理屈っぽくなって恐縮ですが、平成22年12月31日明けて平成23年元旦、一日違いでなぜお目出度いのか。
 人生区切りが必要です。
 新たな決意、新た出発、ある意味でのリセット、正月は正に区切りであり人生のアクセントです。
 過ぎ去った一年を振り返り、新たな一年に立ち向かうわずかな安穏、休息、その狭間の数日を残り少ない人生を絶対に残してはいけない悔恨、その為にこの一年な何をすべきか、真摯に考える。
 一人の人間としてどう生きるにかという問題である。
 古希を迎える今日、今までの正月とは少し異なる。

 人間生きていく上、目に見える姿でで社会や家庭で様々に振る舞う、しかし、目に見えないところはどうか。
 それは、人としてどう生きるかという形而下の問題と社会や地域や家庭でどう貢献するかという形而上の問題とともにある。

 正月は、それらを考えるまたとない機会である。特に、この年になると。

 話な現実的になる。

 正月がかつてと違ってきている。
 正装する人も少なくなった、正月気分も違ってきている。家庭での大掃除もやらない家庭が増えた、正月飾りもやらない。
 正月の雰囲気がだいぶ違ってきた。
 正月気分は、単にコマーシャリズムの中にしかない。

 このことはなんなんだろう。

 社会や地域での仕事で考えれば、3月が締めくくりの月であり年度の区切りである、1月は経過の月にしかすぎず、年度途中である。
 あえて言えば、新年度に向かっての助走の月にしかすぎない。
 私自身も、暮れにやり残した仕事が山積している。正月休みが終わるまでかたずけなければならない。

 嘗ては、経済活動も暦年で動いていた、しかし、企業の会計年度の関係や様々な要因の変化で暦年の意味も失会われ、希薄になったような気がする。一方、人の生き方や人生観も変わり、正月の意味も変わったのかもしれない。
 

 現実が優先される、この現実の為に、人生を顧み、新たな人生の出発の時である正月が変貌してしまったのではなかろうか。
 12月31日に出る太陽と元旦のそれとの違いは。現実にはないだろうが、それを初日ととらえる知恵を忘れてはならないのであろう。