堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

2011年12月18日 | 日記

 今年の流行語大賞に「絆」という言葉が選ばれた。
 昨年は「無縁社会」がノミネートされた。
 人々のつながりを、大震災で見直したという点で救われるような気もするが、問題提起をし解決に向けて模索をするという点で、
 昨年の無縁社会は意味があったような気がしないでもない。
 先日、毎日新聞に精神科医の斎藤環氏が「絆」の連呼に違和感を感じると書いている。
「絆」はもともと馬や犬など、動物をつなぎとめる綱の意味である。(広辞苑①)どちらかと言えば人を縛り付けるという意味のほうが強い。
 それが段々、「断つにしのびない恩愛、離れがたい情実」(広辞苑②)というような使われ方になり、束縛の意味が薄くなってきている。
 斎藤氏は、「ピンチはチャンスとばかりに大声で連呼される、絆を深めようについては、少なからず違和感を覚えてしまう。」と書いている。
 ちなみに三省堂発行の新撰漢和辞典(昭和24年8月新修版)には、①馬の足をつなぎとめるもの、転じて、すべて人の行動を束縛するもの②つなぐ、ほだす、繋ぎ止めるとあり、現在使われているような肯定的な意味は記されていない。
 従って、家族の絆、親子の絆、地域の絆などと使われだしたのは、つい最近のことだと思う。明確な検証をしているわけではないが、
 マスメディアで使われだし、一般化したもののような感じがする。正に流行語大賞の対象として納得する。
自分自身、この言葉に若干の違和感を感じていた気分が理解できたような気がする。

 人と人との関係、地域と人の関係、組織や団体との関係は目に見えない信頼や心と心の結びつき等、内面的な非条理(不条理ではない)な関係であると考える。
 「絆」に表されている様に、糸や紐で強制的に結び付けられたものではないと思う。例えれば、磁石のNとSが引き付け合う磁力線のようなものだと思う。

 単に理屈であり、言葉遊びと感じる人もいようがそうではない。
 表面的には大差ないと思うが、事がより本質的なものに迫った時、その差が現れる。
 一例をあげれば、親子関係である。親がエゴや権威と言う紐だけで子どもを育てていれば、何もなければ平穏におさまるであろう。しかし、子供が自立し、主体性をもって行動を起こそうとするとき、その紐だけに頼れば、子どもは反発し、紐を噛み切って親から離れてしまう。身体的にも精神的にも。
 紐には握るものと、縛られるもの、主と従の関係が出来てしまう。そこに問題がある。
 「絆」と言う言葉の語源はまさにそこだからである。

 ともあれ、人間関係が希薄になり、隣の人は何する人ぞという風潮が強くなりつつある現在、振り返るきっかけとして、この言葉が注目されたことには意味があると思う。

 蛇足になるが、言葉の意味を考えるとき、初版が昭和12年、新修版が昭和24年の三省堂の「新撰漢和辞典」を引く、少なくとも50年の歴史の隔たりがあり、言葉の変遷もある。
 この辞典は、病気で日光への修学旅行に行けず、その小遣いで買った、我が人生で最初の本格的な本である。愛着があリ、座右に置く。

 流行語大賞は阪神・淡路大震災の年に始まった。その年は「震」だった。
単に物理的現象を表す言葉から、心の働きを表す言葉に変わったことは、同じ大震災の年の流行語大賞としては、社会がより良い方向に進んできたとも感じられる。


太平洋戦争を知る本

2011年12月17日 | 読書

 昭和16年12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争は始まった。
 その戦争を知る為に、岩波新書のシリーズ日本近現代史の第6巻吉田裕著「アジア・太平洋戦争」と文春文庫、ドナルド・キーン著「日本人の戦争-作家の日記を読む-」を買ってきた。

 オリオン書房のノルテ店に行ったところ、岩波新書の近現代史の第6巻だけ売り切れていた。12月8日が過ぎたばかりなので、私同様、太平洋戦争に興味を持った人が買っていったのかもしれない。
 ルミネ店にはあるかもしれないと言う事なので、行った。
 ルミネには近頃あまり行っていないので、意外に大きい店舗なので驚いた。

 岩波新書のタイトルは「アジア・太平洋戦争」となっている。戦争当時は大東亜共栄圏を目指していたことから「大東亜戦争」と言われていたが、今はこの呼称はなじまないことは言うまでもない。一般的には太平洋戦争と言われている。著者である吉田裕は、「太平洋戦争」では、日米戦争本位になってしまい、中国戦線やアジアの占領地の問題が欠落してしまう恐れがあるので、「アジア・太平洋戦争」と呼ぶ、と言っている。
 すでに、岩波講座「アジア・太平洋戦争」全8巻も出ている。

 この本は、開戦前の日米交渉から無条件降伏までの5年間について書かれている。

 ドナルド・キーンの「日本人の戦争-作家の日記を読む-」は、日米開戦の昭和16年から占領下の昭和21年までの文学者の日記で構成されている。
 登場する作家は永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、吉田健一などである。
 作家と言ういわゆる知識人が戦時中、戦争をどのように感じていたか、興味深い。

 この本は、大分昔に出版されたものだと思った、しかし、意外に新しく、2009年に文学界に載り、今年の12月10に文芸春秋社で文庫化されたものだ。
 この時期に書かれたと言う事は、今日的課題として著者が感じたからだと思う。

 ドナルド・キーンと言えば、今年日本国籍を取得し、日本永住を発表したことで話題となった。
 以前から、年間三分の一は日本に滞在していたと言う事であるから、生活はそんなに変わらないのかもしれない。

           


1941年12月8日

2011年12月12日 | 日記

 今年は太平洋戦争に突入してから70年。
 私の生まれた年である。
 日本の現代史の中でも最も重い年であろう。
 何故あのような無謀な戦争をしてしまったのか。
 阻止する考えも動きもあったのであろう。にも拘らず、悲惨な戦争に突入してしまった。
 その原因は何なのか、指導者も国民もメディアもどう考えどう動いたのか。真相を知ることが今後の日本にとって極めて重要であると思う。
 東日本大震災が今年日本を襲った。政治も混迷している。TPP、沖縄普天間基地の問題なども含め、国際関係も重要な瀬戸際にある。
 「温故知新」ではないが、太平洋戦争へと突き進んだ当時の真相を知ることは今後の日本にとって極めて大事であると思う。

 何冊か本も買った、年末から年始にかけ読んでみたい。新たな年の日本を考えるためにも。

 余談だが、今年、古希を迎えたと思っていたが、思い違いと言うか無知であった。還暦は満60歳であるが、古希は数えの70歳、私の古希は昨年であった。年末に初めて知った。

 12月10日は皆既日食であった。
 寒い中、写真を撮ったが大失敗。
 太陽は撮ったことはあるが、月は初めて。月の明るさに驚いた。恥ずかしくてデーターは言えない。
 満月の翌日、三脚なしで部屋の中から改めて撮った。
 参考までに撮影データーは、ISO200、絞り11、シャッタースピード125分の1である。
 レンズは450㎜。
 少しは良くなったが、まったくよくない。恥ずかしい限りである。カメラとレンズのせいにはしたくない。

     

 失敗作です。次の皆既月食が何時かは知らないが、その時はもっとまともなものを載せたい。

     

     

 


元気だ状

2011年12月04日 | 日記

 2、3日前に、NHKのあさイチをちらっと見た。この時間じっくりとTVは見られない。
 年賀状についてやっていた。
 東日本大震災があった今年、「おめでとう」や「謹賀新年」等は被災地の人々には勿論のこと、他の人にも使いずらい感じはする。
 番組では、「おめでとう」や「謹賀新年」などを使わず、平和や幸せを願うメッセージを添える年賀状が発売されていることや、学生たちが考案した、被災地から感謝や近況を伝えるためのハガキ「元気だ状」が紹介されました。

 新年になると、年賀状だけではなく、「おめでとう」の挨拶を交わす。
 年が明けると、おめでたい。何故なのか。数え年の頃は、一つ年を取ったからとも考えられる。大変なことや、厳しいこともあったが、無事新年を迎えられたからか。
以前にも考えたことがある。

 その時に「予祝」と言う言葉があり、豊作を祈る予祝儀礼があることを知った。
 年賀状や正月の挨拶は、正にこの予祝が一番妥当ではないかと思う。
 年賀状の文章でも「今年が良い年でありますように」とも書く。
 年頭に当たり、今年が良い年であるように祈り、決意し、新たな出発をする。正におめでたい事である。

 今年は、「賀正」や「おめでとう」と言う慣用句ではなく、予祝の意味が明確にわかる言葉は何か、考えてみたい。

 先日、昭和記念公園で、ユズリハの実を見つけ、写真に撮った。
 正月飾りに使うので、年賀状と無関係でもないので、写真を載せてみた。
 「譲葉」とも書く。
 名前の由来は、春に枝先に若が出たあと、それを見届けて、古い葉が譲るように落葉することから。その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りに使われる。
 イチョウと同じように、雌雄異株なので、実をつけたユズリハを今まで見なかったのかもしれない。

     


昭和記念公園の紅葉

2011年12月03日 | 日記

 11月の半ばに、昭和記念公園の傍まで用事で出かけた。時間が中途半端だったので、どうしようかと考えた。
 丁度カメラを持っていたので、今年もチャンスを逃してしまってはと思い、入った。
 案の定、日本庭園まではたどり着けなかった。
 従って、紅葉は少なく、全体的に黄色と茶色の色調となってしまった。
 イチョウも若干遅すぎの感じ。
 帰りは、日の入りに間に合わず。駅前のイルミネーションがきれいだった。
 今年は暖かそうなので、何年振りかで昭和記念公園のイルミネーションを撮りたい。

 写真を撮ってから、忙しい日々が続き、大分時間が経過してしまったが、年を越さないうちにと思い、写真を載せた。
 ご覧ください。