ウォール・ストリート・ジャーナルに、金(ゴールド)は安全資産ではなくなったと書かれているから、これからも一番の安全資産なんだろう。
大腸癌や大腸の閉塞などでオストメイト(人工肛門)になっている人の数は25万人くらいなのか、その日常に使っている装具類は、ほとんどが輸入品となっている。
俺なんかは最初から激しい登山と海での遠泳を再開するつもりでいたから、まずは激痛の残る術後の早い時期にベッドの上で男根をしごいて、精子ではなくって鮮血が飛び出したのを確認して、ヨッシャ!! まだ使える!! とほくそ笑んで、世界中の装具を取り寄せては実地に使って判断していたが、普通は病院などで紹介されたものを、皆さんは疑問も持たずに使っている。
これが酷いモノで、その対応や使い方までキチンと教えてはおらず、アクシデントやトラブルの対応となると、又聞きや受け売りの安易なアドバイスばかり、結局は各自が自分で試行錯誤しているのが実際の話だ。
外科医や病院は手術から人工肛門設置まではキチンとやってはくれるだろうが、その後のケアは別の公共サービスがいろいろあるからと放り投げられるのが常だ。
看護士なんかもおなじように適当な受け売り又聞きの知識のレベルで、なんの役にも立たないアドバイスを繰り返すのが常だ。
いままで、大病院や看護士とどれほどの口論をしてきたことか、わかりゃ~しない。
その協会や関連団体にしたって、狭い市場の中でも儲けばかりに走り、やってる風だけ、高速道路のオストメイト・トイレひとつとっても、無駄な箱物作り、便座を大きくしなければ、オストメイトには無意味な長物。
そうしてこのコロナ下で、製造粗悪品がいろいろと出始めておって、後進国やらで製造させている海外のメーカーにも、文句や苦情を言うことが多くなっている。
俺の生きている楽しみを奪うことになる粗悪品は、これは徹底的に戦うしかない。
外観や格好だけで生きてる連中には、ホンモノの謝罪では許さない怒りは、中身の無さに向かって行く。
それで相手がガタガタになろうとも、大人社会とはそんなもんだ。
テレビドラマや映画や小説のようなオシャレな結末にはなりようもない。
はったりや煽りや恫喝なんざ、屁にもならないお子ちゃまの駄々でしかない。
メディアを使わない営業を繰り広げている者には、メディアの攻撃などなんの役にも立たない。
そういうホンモノの世界があることを、教えてあげたいと想ってる。
気が付いた時には、すでに手遅れ、謝罪もお詫びの品も、な~んにも通用しない。
仮想の、架空の、メディアの世界なんざ、ホンモノの優しい一言で吹っ飛んでしまうものさ。。
チマチマ裏で姑息に蠢いておっても、真正面から仕掛けて行ってやる。
同じように生きている者は意外に多いし、利口者の一匹狼ばかりだから、困った社会になって行くんだろう。
ジワジワと、真綿で首を締め上げられてることなど気が付かないうちに、足元が丸見えになってしまってる。
恥ずかしい守銭奴の裸の姿が、これからあちこちで見れることだろう。
仕方が無いんだよ、ずっと衆の中で甘い汁を吸って生きてきた報いというもんだ。
社会の事件事故の加害者や被害者なんて、みなまとめて淘汰されて行く。
おなじ根っこで生きているからさ。
そういう世界人類の価値の大転換期にすでに入っている。
いつまでも平和ボケしておっては、姥捨て山で自分の墓穴を掘ることになる。
死ぬほど頑張るから、そういうセリフは逃げ口上に先送りではよく使われるが、俺の場合は本当に、他人や社会を相手にしてそんな窮地に陥ったことばかり多くって、若い頃は何度も死んだ方がエエか? と、そんな現場は多かった。
甘ったれた大人社会を見ていると、無表情になって行くのも、仕方が無いことなんだよ。
生きて行くのなら、地獄で閻魔と戦ってやろうか? そんな気持ちになって来たのは、40歳を過ぎた頃だった。
空の色や、街の景色が一変するような、そんな窮地を経験したこともない奴らには、言葉ではわかんね~だろうな。
早朝から爺様を病院に連れて行くので、もっと早朝から起きて準備をして迎えに行くと
・・・きょうは、なにするんじゃったかの~?
・・・はいはい、病院に行って腸の癌の具合を見てもらうんだろう
・・・おうおう、そうじゃったの~
車に乗せて動き出すと、おなじことをまた聞き出すから、丁寧に答えてやること5回、40分くらいで着いた。
車寄せでガードウーマンに車椅子をお願いすると、素早く持って来てくれた。
・・・これに乗るんか?
・・・そう、まず立って、しばし重力の方向を確認して、それからゆっくり乗る
・・・いつもすまんの~
あの世で暮らしていた認知症から現世に引き戻してやっていらい、よく感謝の言葉を言うようになった。
93歳で、杖があれば腰も曲がっておらず、独りで歩行も出来るが、初めての大病院はウロウロすることになるから、最初から車椅子に乗せて動いた方が無駄が無い。
88歳の婆さんは・・・歩かんとダメじゃないの?!
相変わらずに元気いっぱいに大きな声で喋りまくっている。
・・・病院の費用くらいは持って来たんだろう?
・・・お爺さんの財布にはいつも10万円くらい入ってるよ
・・・なんでそんなに現金を入れてんだ? 塩飴を買うくらいしか使い道が無いだろう?
・・・落ち着くんだって
・・・ほかにたいして金も持ってない癖に、ナニを考えてんだ? 逆に怪しい奴に盗られるぞ
そんなこんなで4時間は大病院でウロウロさせられて、帰りの車では爺様は夢の中。
俺に家の片づけから売却、昔は住宅ローンの残債まで肩代わりさせといて、呑気な世代だと大笑い。
親に金がかかって、子らにも金がかかって、俺の生涯はそんな上や下の世代の尻拭いばかりで、それでも他人にやらせる訳にもゆかず、それ以外にもいろいろと金がかかってるから、バブルを毎年作って行ってるようなもんだ。
俺一人ならば、なんとでもなるし、気楽で悠々と生きて行ける。
3所帯4所帯くらいは暮らせるくらいに、いつも稼いではいるが、それでも俺の持ち物は質素なもんだ。
いつも身体ひとつと言っても良い。
必要なだけ稼いだら、それ以上は仕事はせずに、山や海へと出掛けている。
いつでも山に登れる恰好で、億円単位の契約・決済に登場している。
背負う荷物は登山の時に担ぐザックとおなじで、どんどん重くなって行ってるが、それに合わせて自分自身の気力に体力・精力もどんどん強くなっていたもんだが、60歳を過ぎて急速に落ちて来てる。
やる気が失せて来たという方が当たっている。
メンドクサイ、すべてがメンドクサイ、生きてることもメンドクサイ、それでも面倒を見なければいけない者が多すぎて、止められない止まらない、馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、守銭奴相手に戦闘のフリをし続けている。
それさえも、可笑しくなって笑ってしまう。
こういうことすべてが、俺の生きている意味だろうとも思っている。
その代わりに好き勝手、自由自在に奔放なオスとして生きさせてもらってる。
あっちこっちに子供が出来て、笑って育てて、何十年。
ナニが良いとか悪いとか、いまではナ~ンにも無くなってる。
みんな、良いことだ。
みんなで仲良く生きて行って欲しい。
身勝手なオスの、願いではある。