オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

経験の差は、知識や偏差値を葬る

2022-09-16 10:50:27 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 いまや、ツイッターやなにやらのSNSによる書き込みや発言の多くが、AIロボットを使った偽人間の発するものだったりは当たり前の時代。

 ニュースや記事に対する書き込みや、読者のコメント・感想にしても、同じようにAIロボットに反応させて瞬時に書き込みをさせてみたり、各種のアンケートや統計にしてもAIロボットが都合の良い回答をしていたり、それで総数を調整し、そのうちの何パーセントは常にAIロボットに回答させるとか、色んなことがメディアでは自在に出来るようになっていることを、皆さんは知らないんだろう。

 AIロボットの集団に、皆さんはそそのかされて、煽動されて、踊らされている。

 それを知らない愚かな人たちは、批判したり文句を言ったりして踊ってるが、相手はロボットだという事実を知れば、どうするんだろうね。

 ここは、笑っていいところだ。

 癌の手術だって、AIロボットがすることもある訳だから、よくよくメディアの裏側を考えるべきだ。

 喧嘩を売って来て、言い争う相手がロボットだった、馬鹿な話さ。

 

 日銀や財務省が、行き過ぎる円安に介入して対応するとかほざいているが、世界のギャンブラーは手ぐすねひいて待っているだけの話で、短期的には円高に振れたとしても、がっつり飲み込まれてしまうだろう。

 こういう間抜けな連中が中央銀行や政府にゴロゴロいる訳だから、旧統一教会に染まっていないのも居るとは言っても、どっちもどっち、お里は知れている。

 日本とは、そういう哀れな国だと、国民は肝に銘じて、自分たちの日々と未来を、自分たちで考えて生きて行く癖をつけることがナニよりも肝要。

 国家は守ってはくれず、万が一に国家は滅びても、民はそこで生きて行かなければいけない、これが大事。

 俺はガキの頃からそう生きて来た。

 

 美談や英雄談、成り上がりや成功物語には、ワザと語らない、隠して見せない悲劇や、陰湿な残酷話や創作詐欺は、必ずと言ってもいいほどたくさんある。

 キレイごとの表の部分だけで、スターや英雄になっているのは勝手だが、嘲笑して距離を置いて見ている者もいる。

 しょせんは消費者誘導、奴隷管理、利益搾取の仕組みだから、二匹目のドジョウなどいるはずもない。

 最初から作り物の大メディアを使って煽っている話なんて、すべてが作り物で終わってしまう。

 銀座の小料理屋の女将や、高級クラブのママ連中の、夜と昼の顔の激しい違いを知っておれば、酔って口説く気も失せるのと同じ話だ。

 有名芸能人らのチンチクリンさや、政治家先生のドブネズミのような夜走りや、世に言う著名人やスターやらの日常生活の間抜けな姿を知っておれば、メディアに振り回されることなどナニも無い。

 

 コロナ騒動で大メディア群に毎日登場しておった珍獣博物館の陳列物とも言える専門家や政治家や医療関係者たちは、そろそろお払い箱になりつつある。

 そんなチマチマした話題作りや詐欺に加担するような民衆・視聴者もまた、お払い箱の中に放り込まれる。

 無駄な時間、無駄な喜怒哀楽、無駄な行動、こういったモノを大量に作ることが資本主義の要諦ならば、最初から無視を決め込んで、自分の生の時間に専念しているに限る。

 俺は、そう生きている。

 

 大腸癌があちこちに転移してステージ4の称号を頂いていた身内の患者が、半年で癌を消してしまい、直腸癌で閉塞が酷くなってきた爺様には大腸ステントを勧められていたんだが、これもオストメイトを拒絶したのと同じように、試行錯誤をした挙句に、現状のまま、消化の良いモノを喰い、今まで通りの生活を続けることで延命を図ることになりそうだ。

 現状の、日本でのトップクラスの大病院を渡り歩いても、新しい知恵は出てはこなかった。

 基本は自然に、余計な薬や医学の世話にはならず、ごく自然に生命を全うすること。

 笑いの絶えない日常で、明るくおおらかに過ごして終わりを迎える。

 俺自身もオストメイトだが、健常者よりも早く排便は済ませるし、毎週のように高い山に登り、海で遠泳し、一年中温水プールで泳いで、セックスも出来る。

 なにも変わらない日常を送れるのは、なんでも自分で出来て、器用でグタグタ神経質に考えない性癖のおかげ。

 二つの病院から共に紹介された大病院に爺様を連れて行って来たが、振出しに戻るではないがステントの話をしていると、いずれはオストメイトにするしかないという結論になっていた。

 これを高齢者に今からやれと言っても、簡単にはいかないだろう。

 90歳にもなると、1週間の入院でも認知症が再発するリスクの方が高い。

 田舎の広い実家を片付けて、売却し、銀座から歩ける場所に引っ越しさせて、この1年で毎日の会話だけで認知症を治して見せたことが、すべて無駄になることになる。

 外科医は患部の手術を成功させれば終わりだが、日々のケアは自分たちでするしかない。

 訪問看護や公共のケアのサービスがあるからと簡単には言うが、現実はオストメイトの装具ひとつとっても輸入品ばかり、専門分野以外の現状のことをナニも知らないエキスパートのアドバイスは、なんの役にも立たない。

 どこの大病院でも、退院後の話になると、俺の方が詳しくて、ベテラン専門医でも言い負かしてしまう。

 これが縦割り社会の弊害か、人間のことを全体として見る癖がまるで無い。

 良い外科医とは、切って削除してくっつけて、その退院後のケアについても解りやすく話せる医者のことを言う。

 温和で楽しい日常まで、キチンと筋道を立てて話が出来る医者や医療関係者なんて、いないのかも知れないね。

 ダメだね。

 素人の患者の前で、小難しい専門用語や専門知識をひけらかしてるような医者は、クイズ番組で東大や京大の卒業生だとほざいてる猿とおなじことだ。

 役立たずの馬鹿、この一言でカタがつく。

 医者や薬屋や関係者たちは、もっと人間の日常全般のお勉強を、経験を積んで身につけるしかないだろう。

 

 ホンモノが道を歩くと、偽物は脇に避けていたって、その胡散臭いボロが出る。

 堂々と、笑いながら道の真ん中を歩いて生きて行ける自分を、絶え間ない日常の努力の積み重ねで、身につけた者の方がはるかに豊かな生の時間を満喫できる。

 これは知識や偏差値で身につく安易なモノではない。

 簡単なことなんだが、なかなかね。

 

 今週末の山歩きについて、天気図を描きながら考えているが、これもまた、難しい。

 天気や空には必ずや隙間が出来る、そこをピン・ポイントに見つけるのも、楽しみではある。

 



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