パワハラだとか、セクハラだとか、弱者の口封じをするメディア煽動に洗脳だとか、昭和の時代から普通に日常に溢れ返っていたことだが、米軍を置いていた植民地ならではの歪な国民支配の大元が壊れ始めている。
大きな傘の力を借りて権力やゼニカネで島国の支配を続けている連中は変わり身が早いから、すでに中国やロシアにも陰では貢物を送り、良い子奴隷植民地を管理する立場の保持に躍起になっている。
大メディア群は、その洗脳・煽動部隊でしかない。
日本のメディアの腐りきってしまってる所以は、芸能・スポーツ興行で国民を酔わせて洗脳し、それを使って正義の服を着てしまってることにある。
自省することもなくなって、胡坐をかいて過ごしている。
世界の大転換が始まっているが、日本の国内はどう変わって行くのか? 国民の側も含めて、眺めているよ。
あんまり、愉快な未来は見えてはいないがね。
島国で情報を封鎖して偏向報道を繰り返していたモノを、解放するとどうなるのか? 見てみたいもんだが、見えないフリをして、見なかったことにして、群れに隠れてしまう国民ばかりなんじゃ~ないのかね。
いま、アメリカのワシントンを訪問して、バイデンに会ったと喜んでる国は、韓国か、日本か、台湾か、そんな程度になりつつある。
衰退一途なバイデン・アメリカは、アジアでの拠点を残して置きたいだけの話で、軍は撤退せざるを得ない状況にと向かっている。
日本のメディアの間抜けな植民地報道では、朝から晩までアメリカ、アメリカ、大リーグ、スカンピンのド阿呆か。
すでに我が国の医療の現場では、腕の良い臨床医は生き難く、マニュアルに従順なロボット・エリート医の方が使い道があって重宝されるような間抜けな状態になっている。
これは腕の良い医者の先生たちとの交流が、あちこちであるからはっきりしていることだ。
この国は、糞みたいな世の中社会に国民自らが進んで成り果てているとは、いつも思って大笑いしてやってる。
国民の側が演芸猿そのもので、オツムがカラカラになってしまってるミーハーばかりだから、変われない。
ならば腕の良い臨床医ばかりで縦割りの社会でも横に繋がって、頑張って行くしかない。
それを続けている偉い先生たちもたくさんいる。
ところが国民の側は、朝から深夜までメディア奴隷の淫乱気質、酒飲んでセックスして薬物摂取、猿そのもの。
自分たちの可愛いとほざく子供や孫やの未来を悪魔にでも売り飛ばして、幸せゴッコに余念がない。
毎週毎週、一年中、車を運転して3~500キロの往復、そんな日常を半世紀近く続けていると、身体もボロボロになってくるのは当たり前で、目も衰えてくる。
そんな衰えが激しい目の検査に出掛けて行ったが、これといって対応も出来ない状況では、致し方無い訳だ。
老いた両親の介護に走り回り、古女房の癌ステージ4からの根治に付き合って、やっと最近、自分の身体のメンテナンスとは思っても、仕方の無いことばかりでは、仕方ない。
右目の視力が左目の半分、これでは頭痛や肩こりや眩暈も起こる訳だ。
それでも休息安息はするつもりもなく、仕事でもアチコチを走り回っている。
馬鹿馬鹿しい世の中社会への、当てつけのようなことになってる。
去年末に大往生した爺様は、銀座の近くに引っ越しさせて、酷かった認知も毎日の会話で治してやって、進行もたいしてなかった直腸癌の治療も、俺の意志と意見を先に関わる最先端の医療機関では話して置いて、それに沿った医療行為を希望すると自己主張しておいて試行錯誤、最期まで医者や病院とは敵対するような立場を貫きながら、自宅で俺と婆様で面倒を見て最期まで送ってやった訳だが、亡くなってからはお世話になった有能な先生方にはひとつの命を守る務めいがいに他意はなかったことを御礼とともに伝えてまわり、先生方もそうさせたいと仰ってた通りの見事な最期でしたと、逆に手を合わせていただいて、感謝の気持ちは深くなったものだ。
貴方任せの医療行為は決してさせない、これが一番にある。
この怪しいコロナ下では、入院や手術は大変な労力を使い、それが原因で高齢者には命の危険すらあった。
酷かった認知が治ったばかりで、面会できないことで再発することもあったし、その感覚は毎日会話を続けていた俺しか解らないことでもあった。
いきなり癌ステージ4を宣告された古女房の、転院やその後の治療方針にしたって俺の意志を貫き、まず俺が言った以上のことをして見せて、コロナ下だったために色んな余計な動きはしなければならなかったが、これもひとつの命を守る為、それ以外には他意はなかった。
患者や真剣に守ろうとする者が、どれほどに色んな細々したことを考え続けているのかを、理解できる医者や看護師がマニュアル医療の現場にいるのかどうか? ずっと疑問に思いながら生きて居た。
くどいくらいに俺の意志表示と主張を強硬に繰り返していたおかげで、どこの大病院でも最先端の医療を受けながらも、その命の終わり方の希望を強く伝えていたことが幸いして、その通りの医療を受けることが出来た訳だ。
病院や医者との付き合い方は、最初に生き方や価値観や命の終わり方の希望まで先に伝えること、それに沿ったフォローをお願いすること、これが良い結果を生む。
病気のことはわからない、医者の言う通りがいい、これではひとつの命は弄ばれて玩具になってしまう。
介護や看護を仕事の中でもずっと続けていると、痛感することでもある。
そうしてマニュアル通りに対処しようとする現代医学の罠にはまらないようにするためには、それを自覚することも必要なことだ。
社会や国家や時代を言う前に、ひとつの命が先にある。
それを守り抜くことが生きて居る者の務めだろうに、世の中社会はダラダラと、言われるがまんま、流されて、とんでもない殺人社会となり果てている。
あなたがたひとりひとりが、肝に銘じておくことだろうね。
後悔する生は生きない、俺はそう生きて居る。
幸いにも、爺様は眠るように自宅で皆が見守っている時に93年の生を閉じ、古女房は癌ステージ4から半年で根治した。
徹底的に生きる、俺の希望通りの結末を迎えている。
未来のことはナニも解らないが、ナニが起きてもその場で即断即決できる知識や経験も身についてる。
そうして生きるとは? その答えもはっきりと持って日常を過ごしている。
煩雑なシステム化された社会では、人間をみな十羽一絡げにして、管理しようとしている訳だが、それに逆らってひとりひとりの個を大事にして関わり合っている俺なんざ、おなじ一日でもその濃さはぜんぜんに違う。
こんな時代だからこそ、そう、生きてみるべきだと想うがね。
アメリカの銀行破綻はまだまだ続くだろうし、サブプライムのような怪しい破綻も始まるだろう。
新しい日銀の総裁は、アメリカのペット猫の黒田から、一段小さなネズミになり、円安が進み、円建て金(ゴールド)は上がらざるを得ないとは哀しい話だが、ドル建ても上がってくれば経験則も破綻、残念ながら本業の稼ぎを超えてしまう展開、あんまり嬉しくもないがね。
国民が利口にならなければナニも変わらないわな。
この週末は、ゴールデン・ウイーク恒例のお猿渋滞を避けながら、どこぞの高い山へとまた普通に登ってくるわさ。