いましがたまで夢を見ていた かって40才~50才ちかくまで東京で 働いていたというより自分的には遊んでいた
ときの夢 何年ぶりかの夢
そこは精神的な困難さをもっているひとたちが毎日通いながら
社会参加、社会復帰を目指すところだった
離婚して2年目ぐらいだったろうか 自分自身の転機でもあったのだろうか
ふと目にした市報の求人欄にそこのことが載っていた
応募して面接を受けた 面接官は5人
合否は後日連絡しますとのこと
その日友人が遊びにくることになっていた
その友人に「ここで働くことになるよ」 と言った
別に自信があったわけではない
意味もなくここで働くことになる確信があった
生まれて初めての確信であった
自分がここに呼ばれている まねかれているという確信
何日かして採用の通知がきた
べつにうれしくはなかった 自分のなかではもうわかっていたことなのだから
働きだして ここが自分にとってドンピシャリの場所であることがわかった
自分という人間がただいるだけでなにかたりえる場所だった
利用者にとって自分という存在がいるというただそれだけのことでなにかたりえる
場所だった
働くという意識が消えてしまった 自分の中ではみんなと一緒に遊んでいるという
意識に変わってしまった 一日24時間がまるごとプライベートの時間になって
しまったかのようだった
そして利用者のことしか考えていなかった
もし自分が利用者だったらどんなスタッフがいてほしいかを考え模索した
最初のころは心の中で みんなに逆転満塁ホームラン打たせてやるみたいな
いま思いだしても恥ずかしい思いあがったことを考えていたが
半年もすると バントヒットでもいい 相手のエラーでもいい なんでもいいから
みんなでわいわいいいながら塁にでようぜという気持になっていった
自分が働きだした最初のころみんな黙々と簡単な作業をしていて笑いがすくなく
そんなに楽しそうでもなかった
長年鍛えてきた笑いの腕の出番がやってきた
最初はあまり通じなっかったが あまりにくだらぬふざけたことを言い続けるので
諦めたのか笑ってくれるようになっていった
よく話していた利用者の一人からスタッフなんだからもっと真面目にやれ
とか言われ はいはいと返しながら内心やったーと思っていた
利用者に陰口を言われるスタッフはいるけど 利用者に堂々と忠告されるスタッフ
なんてそういるものではない
スタッフらしからぬスタッフにどんどんなっていった
スタッフの権威もなにもあったものではない
<この間何時間か経ってしまったので気持的に文体が変わります>
難病で長期入院していた所長が退院して現場復帰してきたときもともと他の
スタッフとおりあいがついていなくてなんじゃらかんじゃらあったみたいで
自分は永世中立国みたいな立場だったんだけど またなんじゃらかんじゃらあって
結局やめていってしもうた
おいらに白刃の矢が当たってしまい おいらすかん そんなんすかんと逃げ回って
いたんだけど 結局現場責任者になるはめになってしまった
おいら実務的なこととか対外的なことには全く不向きで すみっこのほうで
好き勝手に遊ばしてもらうほうが どう考えてもいいやんとか思ってたんやけど
なんもせんでいい好き勝手にしちょっていいという言葉にのせられて
名ばかりの責任者やってやった
そのころはバブルで毎年補助金は上がっていくし 使い切れんで返したことも
あったけど 市から返されてんいろいろめんどくさいから何かに使っちょくれ
みたいなこといわれて なんじゃそらと思うたけど
ああー こんなことだらだら書くつもりはなかったのに
今朝みた夢のこと書きたかったのに横道にそれてしもうた
夢なーけっこうスリルあったんでー
一緒にやってたスタッフに脳天かち割られる夢
なんでこんな夢みたんやろーってところをやりたかったんやけど 疲れたけんやらん
この場所はおいらにとっていわば運命的な場所だったので倒れるまでやることに
してたので話はいっぱいあるけど きょうはやめる
ただ 全くプライベートなことで おいらの心が壊れ ひとの言ってることの意味が
わからんようになってしもうて なんちゅうか いまだにその後遺症がある
思いだしたらなんか胸が痛んできた
えんにいってみんなに抱きしめてもらおうっと
なので これできょうは お し ま い
ときの夢 何年ぶりかの夢
そこは精神的な困難さをもっているひとたちが毎日通いながら
社会参加、社会復帰を目指すところだった
離婚して2年目ぐらいだったろうか 自分自身の転機でもあったのだろうか
ふと目にした市報の求人欄にそこのことが載っていた
応募して面接を受けた 面接官は5人
合否は後日連絡しますとのこと
その日友人が遊びにくることになっていた
その友人に「ここで働くことになるよ」 と言った
別に自信があったわけではない
意味もなくここで働くことになる確信があった
生まれて初めての確信であった
自分がここに呼ばれている まねかれているという確信
何日かして採用の通知がきた
べつにうれしくはなかった 自分のなかではもうわかっていたことなのだから
働きだして ここが自分にとってドンピシャリの場所であることがわかった
自分という人間がただいるだけでなにかたりえる場所だった
利用者にとって自分という存在がいるというただそれだけのことでなにかたりえる
場所だった
働くという意識が消えてしまった 自分の中ではみんなと一緒に遊んでいるという
意識に変わってしまった 一日24時間がまるごとプライベートの時間になって
しまったかのようだった
そして利用者のことしか考えていなかった
もし自分が利用者だったらどんなスタッフがいてほしいかを考え模索した
最初のころは心の中で みんなに逆転満塁ホームラン打たせてやるみたいな
いま思いだしても恥ずかしい思いあがったことを考えていたが
半年もすると バントヒットでもいい 相手のエラーでもいい なんでもいいから
みんなでわいわいいいながら塁にでようぜという気持になっていった
自分が働きだした最初のころみんな黙々と簡単な作業をしていて笑いがすくなく
そんなに楽しそうでもなかった
長年鍛えてきた笑いの腕の出番がやってきた
最初はあまり通じなっかったが あまりにくだらぬふざけたことを言い続けるので
諦めたのか笑ってくれるようになっていった
よく話していた利用者の一人からスタッフなんだからもっと真面目にやれ
とか言われ はいはいと返しながら内心やったーと思っていた
利用者に陰口を言われるスタッフはいるけど 利用者に堂々と忠告されるスタッフ
なんてそういるものではない
スタッフらしからぬスタッフにどんどんなっていった
スタッフの権威もなにもあったものではない
<この間何時間か経ってしまったので気持的に文体が変わります>
難病で長期入院していた所長が退院して現場復帰してきたときもともと他の
スタッフとおりあいがついていなくてなんじゃらかんじゃらあったみたいで
自分は永世中立国みたいな立場だったんだけど またなんじゃらかんじゃらあって
結局やめていってしもうた
おいらに白刃の矢が当たってしまい おいらすかん そんなんすかんと逃げ回って
いたんだけど 結局現場責任者になるはめになってしまった
おいら実務的なこととか対外的なことには全く不向きで すみっこのほうで
好き勝手に遊ばしてもらうほうが どう考えてもいいやんとか思ってたんやけど
なんもせんでいい好き勝手にしちょっていいという言葉にのせられて
名ばかりの責任者やってやった
そのころはバブルで毎年補助金は上がっていくし 使い切れんで返したことも
あったけど 市から返されてんいろいろめんどくさいから何かに使っちょくれ
みたいなこといわれて なんじゃそらと思うたけど
ああー こんなことだらだら書くつもりはなかったのに
今朝みた夢のこと書きたかったのに横道にそれてしもうた
夢なーけっこうスリルあったんでー
一緒にやってたスタッフに脳天かち割られる夢
なんでこんな夢みたんやろーってところをやりたかったんやけど 疲れたけんやらん
この場所はおいらにとっていわば運命的な場所だったので倒れるまでやることに
してたので話はいっぱいあるけど きょうはやめる
ただ 全くプライベートなことで おいらの心が壊れ ひとの言ってることの意味が
わからんようになってしもうて なんちゅうか いまだにその後遺症がある
思いだしたらなんか胸が痛んできた
えんにいってみんなに抱きしめてもらおうっと
なので これできょうは お し ま い