自分のこころの中に起きる気持 思い 感情を
正当化することなく そのまま 見続けるというのは
ことの他むつかしい
自分を守るために 意識の隅々にまで正当化作用がほどこされている
その正当化を あえてはずして観ていこうとするのだから
なまやさしいことではない
生身として この地球に生きていて 遥か彼方
起源の起源へ思いをはせたり
この世の意識では計り知れない意識へ馳せ参じようとする意識を垣間見ると
なおさら この世が この地球が この生身が
まじかにいる一人一人が
なぜか いとおしく感じられてならない
相対の世界に身を置きながら 絶対の世界ともいえる体験 視点から発信している
意識を無視はしない
地球上で今の科学がたどりうるかぎりでは なかなか認知 承認されない存在
見える意識体 見えない意識体を その存在があたりまえのこととして
受け入れられる段階になるには まだまだ時間がかかる気がする
およびもつかない意識があること 存在があること
地球はまだまだ とても若い意識体なので
その若い生身を体験していくプロセスが必要なのだと思う
ふるさとへ
わがやへ還る日が いつになるのか わからないけど
とりあえず いま ここで 右往左往しながら
けっして視点を固定させずに
わかっていることは何もないよという思いを込めながら歩いていく亀
この世にいるかぎり この生身を手放すことはない
身体感覚として事実性を帯びている
それも幻想だよという視点は成立するけど
その視点を自分なりに理解しながらも
あえて 生身であることを楽しみたいと思えるようになった亀
自分が今 本当に どこにいるのか
果てしない旅のどこにいるのか
全体像が見えないなかで
それでも
いまを ここを 楽しんで 舞い 歌い
笑ったり 泣いたり しみじみしたり 苦しんだり 辛かったり
喜んだり 祈ったり
いま が プロセス
果てしないいまというプロセス
