ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

お笑い中心のおバカなブログです

旅の途中で

2011-10-12 13:27:34 | 無題
 
 
かって 何度となく
 
耳が切ないよ~
眼が切ないよ~
胸が切ないよ~
 

 
悲鳴をあげ続けていた時期がある
 
 
いまでもそれは
瞬間的にであれある
事と次第によっては長期に及ぶこともある
 
亀が覚悟しているのは
いつでもそんなことは起こりうるし
自分の今の思い方、感じ方、視点からだけでは
うまくしのげないことだっていっぱいある
 
そんなことは生身をいきているといっぱいある
えっと思うことが次々やってくる
自他の内外にやってくる
 
例えばだよ マザーテレサだって最後は 延命処置をやめてほしいと
頼んだという
 
主体的な精神とかいっても 生身の苛酷さには悲鳴をあげてしまう場面なんて
いくらでもあると思う
 
脳内出血で倒れて4ヶ月あまり経つ母を身近な人間として関わっていて
本当にそう思う
母はいまでも亀のことを自分の息子だと認知出来ていないと思う
母の表情をみていてそう思う
母が母自身を認知出来ているのかそれさえもあやしい
 
でも亀は思う
どう言えばいいのだろう
 
この生身で生きていて右往左往しジタバタしている
それが それが奇跡でもあると思えている亀がいる
 
現代医学がさししめす地平は一体なんだろうという思いはあるけれど
それでも母の生身は生きている
 
亀にとってはまごうことなき 新しき母なのである
母は亀に何かを伝えようとしている
そう思うしか今亀のとるスタンスはない
 
母の魂が今どこにいるのかわからないけど
この世で生身で生きるってことは
こういうこともあるんだよって伝えてくれている
 
身近な人間がそれぞれの思い関わりの中で想定外の出来ごとに
遭遇することがある
自分自身でさえ遭遇する
 
みんなそれぞれの現場で必死の思いで生きているのだと思う
 
これ以上ない思いの地獄から生環した人でも
人にはポジティブメッセージだけを伝える人でも
24時間まるごとそんな状態にいるわけがないし
いられるわけがないと亀は思っている
 
あるのは どっかの時点で気がついたのだと思う
ネガティブメッセージは何よりも自分に還ってきてしまうことを
何よりも自分を傷つけてしまうことを
 
無意識の闇の中で生きることをやめることを選んだのだと思う
 
生身で生きている限り 疲れたり 体調がおもわしくなかったり イライラしたり
誰かのことが心配になったり 重い病気になったり ひとりぽっちだと感じたり
することはいっぱいあると思う
 
そこに焦点をおき続けたら 自分が苦しいだけ 自分が辛いだけだよってことが
わかっちゃったんだと思う
 
人や状況に焦点をあてることは生身で生きている人間にとっては
ときには避けられないことなのではあるけれどチャンスでもあるといえる
 
生身の個体はどうしても自己都合や自己正当化の意識からまぬがれることは
難しい
 
というか亀的にいえばそれが人間として生まれた最大のプレゼントだと思っている
そのプレゼントを活用してどこまで羽ばたけるか
地球ではあらかじめ与えられている一人一人固有のアイテムだとおもえてならない
 
自由意思という固有のアイテム  もろ刃の刃ともなる
 
今回の生の中にも宿っているであろう魂(まだちゃんとご対面はしていないのだが)
本来の自分を探す旅 生きる旅 思いだす旅はまだまだ続く
 
 
 
 
 
 
 
 
おまけ
 
 
 
ちゃらんぽらん亀大星雲
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1万光年のところにある亀のふるさと    (鶴は千年亀は万年ていうでしょ)
 
 
 
 
か、亀星人
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ん?  近所に住む姉の冷ややかな視線を感じるのだが 気のせいか?