鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

55 半眼と機械眼

2018-09-20 14:22:38 | 日記
スマホのカメラのお陰か写真を撮る人が増え、SNSには世界中の素晴らしい作品が溢れている。
一方で実景には感動したのに自分で撮った写真にはがっかりと言う人も多いだろう。
そんな人はきっと眼は優秀なのに写真の技術が稚拙なところが原因だ。
技術は勉強すればすぐ身に付くが、心の眼やイメージを鍛えるのは難しい。

(半眼開唇のイメージデッサン 甲士三郎筆)
心眼と言うか世界を見据える眼を鍛えるには「半眼」から入ると良い。
半眼とは仏教で言う「半眼開唇」の半分閉じたような開いたような眼差しだ。
試しに薄眼で世界を見渡せば、ぼやけてディティールが見えない代わりに大まかな存在感がつかみ易く、現実に囚われずに想いも込めやすくなるだろう。
半眼で秋の灯の街角を滲ませて見ていると、若かりし頃の自分や親しかった人達まで現れる気がする。
こんな感じで世界の見え方が少しづつ違ってくる。

一方で現代のカメラはますます高精細になり、動画も4K画質が当たり前になった。
この秋カメラメーカー各社が競ってフルサイズの超高画質ミラーレスカメラを発売する。
そこに我が三美神から「機械眼を聖別せよ」との御告げが降った。
つまり「幻想を追うのは良いが、現実もしっかり把握しろ。その為には最新の高画質機を買うべきだ!」と、隠者の物欲が神懸かったのだ。
隠者の心の眼は世界を限りなく美しく捉え、カメラの機械の眼は濁世を克明に写し出す。
両者の眼を合せ持てば最強だ、と強弁しつつ今もネット上で各社カメラの聖別(性能比較)で楽しんでいる。

(二十世紀の名機、ハッセルブラッドとローライフレックス 著者蔵)
人間は全ての知覚の内、およそ七割を視覚情報に頼っているそうだ。
PCの操作で最もマシンパワーを必要とするのも、やはり画像情報の処理だ。
書類一枚分の文章と一枚の画像とを比べると含まれる情報量は桁違いで、文章よりはるかに膨大な視覚情報を人生の一瞬一瞬どう認識して処理してゆくか、といった能力はかなり重要なのだ。(念押しになるが単純な視力の話ではなく、視覚情報の処理能力の話)

©︎甲士三郎