鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

85 耽美の雨道

2019-04-18 13:58:26 | 日記
この1週間は曇りや雨で花冷の日が多く、花のスケッチは出来なかった。
その代わり写真の方は去年購入した防塵防滴の最新鋭高画素カメラが大活躍だ。
このカメラがあれば雨でも返って普段撮れない光景に出会えるのではと、夜明も待たずに出掛ける気にさせてくれる。
新しい道具を買うとモチベーションが上がってくれるのは良い事で、お陰で私のフォトライフは数十年間飽きずに楽しめている。
日本画や詩歌には最新鋭の用具など出現する余地も無いのだから、その点では機器の進化で表現も進歩できる写真家が羨ましい。
さらに写真の場合は特に明と暗のどぎつい晴天下より、雨か曇りの光線の方が花の色調と陰影が柔らかく撮れるし、植物自体が瑞々しく潤って生命感が増す。

---夜雨に散り朝日に朽ちる花びらの 刹那を前に透けてゆく白---

(春愁の花屑)
雨の夜明の蒼ざめた光の中で朽ちゆく花屑は、隠者をゴシックロマンの耽美世界に誘ってくれる。
19世紀ヨーロッパでは日本種の椿が珍重され各地のローズガーデンにも植えられていたそうで、私の大正風和洋折衷の暮らしには丁度良い花だ。
そんな種々の落花を眺めながら寂寞と日を送り、花時の孤絶感を噛み締めてこそ美しき晩生というものだ。
たぶん19世紀末ヨーロッパ人も大正時代の耽美派も、今の作家の方法論のような発表前に一度冷めた目で自己客観視するという作業はしていないと想う。
せっかく良い気分で夢幻の作品世界に浸っているのに、わざわざ冷めて現実世界のマーケティングを考えるなど愚の骨頂だ。
皆も己れの失われた青春を慈しみ、行く春の感傷に思いっきり浸れる至福の時を大事にして欲しい。
そんなシーンに最適のBGMには先日亡くなった巨匠フランシス レイの「ある愛の歌」をお勧めしよう。
自分と重ねて往時の名画を偲べば、またどっぷりとノスタルジーに浸れる。

ついでにこの季節限定の桜チップで焙煎した某カフェチェーンの珈琲が、行く春の名残の香で格別良かったので推奨しておこう(すでに完売だと思うが)。

(右端がその桜チップの珈琲)
鎌倉文士達も珈琲好きが多かったようで、この写真も大正時代の雰囲気が出るように色温度を一工夫してみた。
百年前の耽美に迫るには現代の色調よりも一段深い陰翳と重厚感が必要だ。

一度上がった雨が夕方の買物に出た時にまたぽつぽつ降って来た。
雨の買物時のBGMはフランシス レイ続きだが「シェルブールの雨傘」以外有り得ない。
傘を差しながら水路の花筏を撮影しようと身を乗り出した時に、何かを落とした水音がしたのだが、ポケットもバッグも調べて失くした物は思い当たらない。
分からないままだと得体の知れぬ喪失感だけが残って仕方ないので、十円玉でも落とした事に自分で決め付けた。
---水底に銅貨の錆びる花筏---


©︎甲士三郎