古の隠者は「家のつくりやうは夏をもて旨とすべし(徒然草)」と教えている。
冬の寒さは火や布団で何とか凌げるが、エアコンの無い時代の夏の暑さはどうしようも無かっただろう。
文人達の遺した詩書画には涼しげな水辺の草庵が頻繁に出て来る。
(復一楽帖画譜部分 田能村竹田 大正時代 ガラス皿杯 昭和初期)
河畔の門に使いの童子が友人を迎えに出て、左奥の草葺きの庵に書見の主人が見える。
この竹田の名作画帖は完成後直ぐに親友の頼山陽が気に入って強奪し賛を入れ頼家に伝わっていたものが、その後の第二大戦の空襲で焼失してしまった。
従って写真原版としてもこの大正版しか無い。
計12枚の絵にそれぞれ題語の詩が書いてあり、12枚中6枚が四季の水辺を描いている。
日本では風景画とは言わず山水画と言うように、水に清浄感を抱く国民性なのだろう。
我家のすぐ傍にも瑞泉寺から流れ来る細い川があって、常に微かな水音が聴こえ日々の暮しに潤いを与えてくれる。
次の絵は竹田の一番弟子だった高橋草坪の飛切り夏向き(題語の詩は晩春)の小品。
(漁父図 高橋草坪 江戸時代 古九谷酒器 幕末〜明治 李朝燭台)
草坪は天賦の才を惜しまれつつ早逝してしまった悲運の画家だ。
岸辺の葦に小舟を寄せて漁夫が足を水面に浸けて涼んでいる。
月下の漁火図や舟上で寝ている図など色々あって、当時は釣人漁夫の絵柄は人気が高かったらしい。
我が画室でも置き床に掛けたこの画中から、水面を渡る涼風が吹き出して来るようだ。
帆柱に干してある蓑笠が、詩も合わせた構図のバランスとして利いている。
我家には彼の作品が3点あるが、短命だったために作品数は少なく入手に苦労した。
その分推奨できる良作揃いなので、この秋にはまたお見せしよう。
もう一つは蕪村の弟子で応挙と共に円山派の祖となった呉春の水上書屋の軸。
(書窓届魚図 松村呉春 江戸時代)
我国でも数多く描かれた水上に張り出した庵の画題は、中国の大リゾート洞庭湖の古画が下敷きとなっている。
呉春のこの図は文人が書屋の窓越しに漁夫から魚を受け取っている図だ。
湖畔の緑が実に爽やかで、せめて1週間でもこんな水辺のリゾートで過ごしたい。
ーーー漣も風も光も止めどなく 寄せ来る岸に涼しく老いぬーーー
鎌倉は海辺で東京よりはだいぶ涼しいが近年の気候変動で夏が長くなり、暑さに飽きずに過ごすには精神的な拠り所が欲しい。
古の文人達はこのような絵の中に移転して清浄なる水辺の夢幻の暮しを楽しみつつ、酷暑の濁世を耐え忍んだのだろう。
©️甲士三郎