8月14日は旧暦の七夕、星祭りだ。
そして遂に我が書架に宮沢賢治のファンタジー3部作初版本が全て揃ったので、そのお祝いも兼ねての祭典にしよう。
宮沢賢治コレクションの最難関は、やはり「銀河鉄道の夜」だった。
(グスコーブドリの傳記 銀河鉄道の夜 風の又三郎 全て初版 宮沢賢治)
「銀河鉄道の夜」は古書店が集まったショップサイトで思いがけず格安の物を見付けて飛び付いた。
古書店を1軒1軒歩いて探していた頃を思うと、ネットで検索できる今は猟書家には極楽だ。
長年かかったがこれで念願の宮沢賢治と星祭りを合祀できる。
七夕や星祭りをどう楽しむかだが、現代ではほとんどの家で小学校並みの事しか行っていないと思う。
夢幻の星界を観想するようなこの行事本来の意義はすっかり失われてしまった。
ーーー世を捨てて星に願ひを掛ける術 宮沢賢治以降失伝ーーー
思えば我が初学の頃(40余年前)にも似たような句を作っていて進歩が無い。
ーーー賢治なら星蒔くやうに麦を蒔くーーー(旧作)
まあ隠者なので進歩も発展も御無用に願いたい。
ますむらひろしの猫版コミック銀河鉄道とグスコーブドリが、これまた原作に輪を掛けて極上のファンタジーだ。
(グスコーブドリの伝記 銀河鉄道の夜 共に初版 ますむらひろし)
ますむらひろしの「アタゴオル物語」を読むと、彼のセンスオブワンダーはかなり宮沢賢治と通じ合う所がある。
この本を映画化した「銀河鉄道の夜」は昭和のアニメ映画を代表する名作で、そのDVDと細野晴臣のサウンドトラックCDは当然確保してある。
若い頃見たこの映画の解釈を拒絶する不思議感は、その後の隠者の良き手本となっている。
カンパネルラもジョバンニも何故猫なのか、世界中の誰一人として説明出来ないのだ。
鎌倉では新暦と旧暦両方で七夕祭りをやる神社もある。
ひと月前の笹飾りをそのまま使い回したりするが、子供達の願いの短冊は使い回しとは言うまい。
今は海辺に出ても光害が酷くて天の河はほとんど見えないが、昔の鎌倉文士達には良く見えていただろう。
ーーー七夕や水豊かなる鎌倉の 七つの谷戸の文士等の裔ーーー
昭和初期はまだファンタジー小説を解する人は少なく、宮沢賢治も生前に出版された単行本は自費で出した詩集「春と修羅」だけだった。
その後の文壇でもファンタジーは童話のジャンルに封じ込められ、真っ当な大人の文芸では無いとされて来た。
隠者などは純文学よりは神話の方が、リアリズムよりファンタジーの方が好みなのだが…………。
©️甲士三郎