お陰様で当ブログも連載300回を真近に控え、これまで気ままに語って来た珈琲の話を少しは筋立ててまとめてみようと思う。
諸賢も日常のコーヒーブレイクとは別に、週1度くらいは離俗の珈琲座を設け夢幻の世界に浸って頂ければ幸いだ。
室町〜桃山の茶の湯(茶道)での露路や茶室や床飾りなども、全ては客を市塵を離れた清澄な境地に誘なうためにあった。
我が珈琲もまずは茶の湯の精神に習い、必要最小限の離俗の座(茶席)を設えよう。
(張果仙図 英一蝶 江戸時代 小代焼カップ 美濃焼ポット 昭和前期)
濁世を断つ聖なる結界を張るには、何かしら精神的なアーティファクト(聖遺物)が欲しい。
その人なりに信じられる聖性を持つ物ならコミックアートでもフィギュアでも良いのだ。
写真は置き床(文机)に英一蝶(はなぶさいっちょう )の神仙境の軸を掛け、画中の夢幻世界に移転できる隠者流の珈琲座を設けた。
この文机の前に座せば少なくとも俗事些事は忘れられ、幽境夢幻界では己が本然の魂の清浄を取り戻せるだろう。
より手軽にやるなら時節の花を飾るだけでも、市塵を避けた美の結界となる。
(宗全籠 古瀬戸ポット 益子カップ 大正〜昭和初期)
花を選び花器に活ける作務のうちに、自ずと超俗の気分になれるものだ。
己れ一人の珈琲座の花なら、古の文人茶のように何の作法も要らない。
元々貴人客をもてなすために発達した茶の湯の礼法作法に対し、江戸中期に起こった文人茶は自娯独楽の自由さを眼目とし、基本は独喫でたまに理解し合える友とだけ席を共にした。
後世の「道」になってしまった煎茶会と違い詩宴の一部として行われ、茶を飲み詩書画を語る風雅の士の集いと言った趣だったようだ。
隠者の珈琲もそのような文人茶を参考にして楽しんでいる。
加えて我が珈琲座には詩歌と音楽が欠かせない。
(詩の本 初版 佐藤春夫 黄瀬戸皿碗小徳利 江戸時代)
「詩の本」は佐藤春夫が最晩年に出した、彼の詩に対する想いの集大成だ。
私には彼の戦前の口語自由詩より、「佐久の草笛」以降の文語定形に戻った詩の方が格調と深い想いが感じられて好ましい。
この老詩人に似合うBGMはベートーヴェンの交響曲「田園」、珈琲と菓子は抹茶用筒茶碗に饅頭が相応しいと思う。
俗事を離れ珈琲と音楽と古書に浸る時間は、この隠者にとってこの上ない喜びとなっている。
次週へ続く。
©️甲士三郎