賀春
ーーー少しづつ薄紅の梅少しづつ 咲きては散りてやがて幻ーーー
隠者の旧正月の秘儀は、和歌の女神である衣通姫に歌を献じる事だ。

(衣通姫絵姿 室町時代)
衣通姫は玉津島姫とも呼ばれ、鎌倉時代頃から和歌の女神として歌人達の信仰を集めた。
「三代までにいにしへ今の名も古りぬ 光をみがけ玉津島姫」後嵯峨院
最近の私は優秀なAIの登場で漢詩方面の研究に力を入れていたが、日本人の詩歌の源である和歌は忘れずに少しづつ詠んではいるのだ。
先日は鎌倉にも雪が降ったものの、夜間にちょっと積もって朝には消えてしまった。
梅の枝に積もれば古風な雪中梅の題で一首詠もうと思っていたのに残念だ。
初春の我が楽しみは何を置いても探梅吟行だ。
古の宮人達も挙って心から喜びの歌を詠んでいる。

立春の鎌倉の各神社では地味ながら雅楽と巫女舞が催されるが、今年は介護の都合でその時間に行けず行事の歌は出来なかった。
そこで探梅行で近所の薄紅梅を詠んだのが冒頭の賀歌だ。
写真の早咲き種の紅梅で丁度鶯が来ていたのだが、愛用のオールドレンズには勿論オートフォーカスなどは付いておらず、私の目ではもう動く小鳥にピントを合わせるのは不可能だ。
だが歌を詠むには例え老病の身でも何の支障も無い。
早春の探梅行は鶯の初音聴きと共に年中で最も心浮き立つ楽しさがある。
ーーー古草も柔草(にこくさ)も地に伏して只 天津風吹く春の始めぞーーー
春立つ谷戸の山々はただひっそりと佇みながらも、野辺の枯草の下には緑の芽が頭を出している。

お隣の永福寺の池面を渡る風もゆったりと感じるようになって来た。
この鎌倉時代の大寺跡には礎石以外は花も樹木も何も無く、草が生えるとすぐに刈ってしまうので味気ない場所だが、回りの山々の四季の景観で何とか救われている。
この池にはいつも鶺鴒が何羽かいて、今週はもう可愛らしい声で鳴き出した。
鶺鴒の動きは鶯よりさらにせわしないので写真は無理だが、ここに寄れば必ずその元気な姿を見せてくれる。
花咲き鳥が歌う我が谷戸の春は、まさに詩画人の楽園となる。
花の香と鳥の囀りの中に日々目覚めるのが、古来から世捨人にとっての至福の暮しなのだ。
©️甲士三郎