戦後間も無く出た桑原武夫の「第二芸術論」は、私の知る限り日本文化に対する最も悪意に満ちた愚書である。
風雅の友と詩論芸術論を闘わすのは隠者に取って最も高級な娯楽だが、この書はあまりに愚劣で議論にもならない。
それでも敗戦後の衆目を集めるインパクトはあったのだ。
(現代日本文化の反省 初版 第二芸術論 桑原武夫)
写真はその第二芸術論の初出本とその後の文化論をまとめた文庫版で、結構売れたようだ。
戦後間もない頃に日本人自らが日本文化に対する自信を失っていたのに乗じ、日本の伝統文化を全否定しフランス文化こそ手本にすべきと言うのだ。
仏文学者の我田引水も大概にせよと思うほどの厚顔無恥さで、特に俳句に対してはただの消閑の具だと言って貶している。
他の所でも曰わく五七五は古い、曰わく季語は手垢塗れだ、現代人の苦悩を描け等々、挙句の果てには芭蕉まで要らないと言う。
この暴論に対して大人虚子は「ほう、二十番目位だと思っていたら二番まで上がりましたか」と笑っていたらしい。
「第二芸術論」に対して俳人側からは大した反論も見られなかったが、この暴論は一般世間や当時の若者達に対しての感染力はかなりあったのだ。
(純粋俳句 初版 山本健吉 古備前角瓶 明治時代)
俳句の方から出たのはこの「純粋俳句」くらいだが、この本では要約すると俳句は五七五で季語があると言う事しか言っていない。
しかし「純粋」と言う表題が受けてこれも結構売れ、我が亡父も初学にこの本を読んでいたようだ。
山本健吉の友人だった石田波郷や中村草田男らの人間探究派についてだけは、さすがに真っ当に論じている。
ただ稀代の悪書「第二芸術論」の後に比較的穏当でごく普通の俳句論が売れた事は、その後の俳句に取っては良い事だったろう。
俳句はすでに古人達の詩情がたっぷり染み込んだ季語を必ず使うので、例えその古風で閑寂な風情に安住していても、俳句をやらない人よりは十分深い人生が送れる。
元より西洋の芸術概念とは全く別の生活詩で、高浜虚子の花鳥諷詠とはそんな暮し方の薦めでもあるのだ。
(俳句はかく解しかく味ふ 初版 高浜虚子 黄瀬戸大鳥香炉 江戸時代)
この虚子の小さな書には似合いそうだと、栗鼠が齧って庭に落ちていた蜜柑を添えてみた。
戦前に書かれた俳論だが、古俳諧に始まり色々な例句を具体的に取り上げて解説してあり大変わかりやすい。
虚子の言葉は簡明でしかも深い示唆に富んでいて、この隠者も若い頃に感銘を受けた本だ。
この本で俳句は短い分作者が省略している部分を読者が感じ取るべき、コール&レスポンスの文芸だと言う事を教わった。
従って俳句の背後に隠されている所を感じ取れない桑原武夫には、現代には不要な文芸と言われても仕方ないだろう。
しかし戦後の日本文化の欧米化は止めようも無く、日本人は自然に根差した古き良き生活習慣まで捨ててしまった。
私は現代の洋風の都会生活で日本人の精神性が豊かになったとはとても思えない。
©️甲士三郎