鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

324 昭和歌謡の詩人達

2023-11-23 13:15:00 | 日記

今振り返ると戦後昭和に抒情を否定してしまった現代詩よりも、歌謡曲の歌詞の方がずっと隠者の好みには合う。


第二芸術論と同じように戦後の日本の伝統文化排斥の風潮に乗って出て来たのが荒地派だった。

荒地派の中には良い所もあるのに、傍から出た小野十三郎の愚かな詩論で大無しだ。



(荒地 詩と詩論 詩論続詩論 小野十三郎 初版)

彼の唱えた「短歌的抒情の否定」は詩論としては出鱈目な物だったが、何故か俳壇歌壇詩壇とも揃って古株を出し抜きたい連中の合言葉となり、その後長らく猛威を振るったのだ。

世界中の詩の名作の78割は抒情詩なのだから、当時の詩歌壇の無知蒙昧さには絶望するしか無い。

それにより戦後昭和の抒情詩は須く歌謡曲界から出る事になった訳だ。

まあ大衆歌謡だから品格を求めるのは酷だし、品位格調の無さなら荒地派も現代詩も似たような物なのでそこは大目に見よう。


こうして戦後の抒情詩は歌謡曲の作詞家達の天下となる。



(西條八十 なかにし礼 松本隆 歌詞集 初版)

大正時代から大作詞家だった西條八十が戦後の明るい世相に乗って書いた歌詞は連続して大ヒットとなり、その後に続く昭和歌謡の作詞家達の良き規範となった。

そもそも歌謡曲で当たれば詩集の数倍の収入になるので、詩才がある人の多くはそちらに流れただろう。

松田聖子が歌って大ヒットした松本隆の「赤いスイートピー」の中の「春色の汽車に乗って〜」は我が鎌倉の江ノ電の事だ。

またなかにし礼はお隣りの逗子在住で鎌倉ペンクラブ会員でもあり、地元では外せない詩人だ。

彼は戦後間も無くシャンソンの訳詩から始まり、やはり昭和世代には忘れられない名曲の数々を書いている。

ここに挙げた人以外にも綺羅星の如く良い作詞家が出た時代だった。


戦後昭和を代表する作詞家で私が最も好きなのは阿久悠だ。



(阿久悠 自選詞集 初版)

本人はこの本の中で西條八十の詩に感動し、強く影響を受けたと言っている。

「雪が舞う 鳥が舞う 一つはぐれて夢が舞う」

「北の蛍」の歌詞は、森進一の歌唱により昭和歌謡の金字塔となったが、残念ながらこの詩集のすぐ後に書かれたのでここには載っていない。

他にも世に知られた名曲ばかり並んでいて、私のカラオケのレパートリーにも阿久悠の歌は多い。

こうして戦後昭和の詩短歌俳句界から排除された抒情は、歌謡曲の作詞家達にしっかりと受け継がれ国民に親しまれて来たのだ。


昭和歌謡はちょっと歌える人なら誰でもが絶唱の高揚感を味わえたが、年末恒例だったカラオケも疫病禍で中断し復活出来ないのが残念だ。


©️甲士三郎



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