ここ数ヶ月は和歌の古筆や古書の価格の高騰が凄まじく、もう私には手の届かない物になってしまった。
どうもTV雑誌などで紹介された茶道書道方面での需要らしく、和歌自体の人気では無いのが残念な所だ。
一方で相変わらず不人気で安値安定なのは文人画や俳画だ。
(華茶清友図 田能村竹田 江戸時代 古萩宝瓶湯呑 明治時代)
文人画俳画の軸は以前に話した通り和室の減少で掛軸自体が不要となった上に、絵も墨中心の地味な色だし一般人には読めない古い書体で何が書いてあるのかさえわからない物だ。
日本でも東洋でも文人画は最も精神性の高い芸術と言われているが、古今東西高尚なる物には大衆人気は無いのが常だ。
この軸を掛けて文人茶の始祖とも言える竹田や頼山陽らの詩宴茶宴の画中に私も入り込み、古人らと共に文雅を語り合うのは至高の時なのだ。
まあそんな絵が人気が無いお陰で安く入手出来るのだから、僥倖とすべきだろう。
江戸時代の文人画の巨人浦上玉堂は、画の署名にも玉堂琴士と入れるほどの琴好きだった。
(隠士弾琴図部分 池大雅 江戸時代)
詩書画と茶と音楽は私に取っても欠かせない物だから、彼の気持ちは良くわかる。
脱藩後の玉堂は春琴秋琴と名付けた二人の息子を連れ古琴を持ち、長い放浪の旅に出ていた。
自身や友人の詩に良く出て来る「抱琴」とはそんな姿を詠んだ物で、彼の人生は常に琴と共にあったようだ。
晩年の京住まいでは大雅とも行き来があり、この大雅の絵も玉堂をモデルに描いた物だと思う。
この画も一般的に見て上手いとは言えないが、幽陰の士の清雅な風情が十全に伝わって来る隠者好みの一枚だ。
古人達がこの絵のような幽境の暮しに憧れたのと同じように、私も音曲をかけ古画を眺めては離俗の浄界に想いを馳せるのだ。
秋深き床の間に掛けたのは取って置きの蕪村の名作だ。
(月天心句画軸 蕪村 江戸時代 李朝燭台大小)
「月天心貧しき町を通りけり」蕪村
日本俳句史上に燦然と輝くこの名句の軸も、例によってオークションでは誰も読めなかったのだろうか、私如きの予算で呆気なく落札出来た。
専門業者なら作者名は流石に判定出来るだろうが、彼等は句の内容や良し悪しは全く関知しないのが常だ。
この句は江戸俳諧の研究者だった亡父がよく愛唱していたのを思い出す。
ただ日本人として情け無いのは、私の知る俳人歌人達でさえ二束三文で買える古句歌の軸を集めるような者はこれまで一人も居なかった事だ。
こんなにも高雅な詩情に満ちている文人画だが、その詩自体が読めない現代人には当然不用の物だ。
そして文人も賢人高士もまた現代大衆社会では無用の存在となって行くのだろう。
ーーー厨灯(くりやび)に今年最後の虫鳴けりーーー
©️甲士三郎