明治時代の第1期「明星」を先週ようやく手に入れた。
例によって傷みがあり格安の物だ。
明星とスバルは日本の浪漫主義を語るには必読の書で、ひと昔までは雑誌類は安かったから油断していたら近年倍以上に値上がりしている。
しかも蒲原有明や薄田泣菫らの、今に残る新体詩の名作が載った号だ。
(明星 明治時代 古瀬戸小瓶 ポット 明治時代 珈琲器 昭和初期)
「明星」は与謝野夫妻や吉井勇北原白秋らが集い、日本の浪漫主義を牽引した雑誌だ。
一回発行が途絶えた後に大正末から昭和初期に第2期明星が出ているが、第1期より勢いはだいぶ衰えている。
大正時代になると日本の文芸界は自然主義(現実主義)に移ってしまうので、この明治の終り頃が最も浪漫主義華やかなりし時だった。
新体詩もこの時をピークに大衆的な口語自由詩に押され衰退して行く。
まさに日本の詩と短歌の黄金期だろう。
その時代の詩集では先週横瀬夜雨を紹介したので今週は伊良子清白だ。
(孔雀船 初版 伊良子清白 明治時代)
先週の「花守日記」もこの「孔雀船」も古書界では幻の名作となっていて、現在ではなかなかお目に掛かれない流麗なる文語韻律の実に美しい詩集だ。
しかし敢えてこれらの新体詩の弱点をあげるなら、詩としては長すぎて散漫になっている点だろう。
一編が4行X20もの長さではいくら何でも冗長に過ぎる。
同時期の新体詩で比較的短めなのは有明泣菫くらいだろう。
何で明治は皆してこんな長編詩を書いていたのか私にもわからない。
今頃の散歩路では疎林の間から見える冬麗の空が美しく見える。
葉が落ちて明るい陽射しが山肌まで届き、萬枝の隙間から浅葱群青の空が透けている。
数多の冬芽の苞で赤味を帯びた枝枝が空の色と好対照をなすのだ。
野辺の枯れ尽くした草の黄金色もまた、柔らかな浅葱色の空との対比で美しく見える。
そう言えば鎌倉文士だった永井龍男も随筆で同じような事を言っていた。
この樹々と空の色だけは明治時代から現在まで変わらず、浪漫主義者の散歩を味わい深い物にしてくれる。
寒中の自然界は一見物寂しく変化に乏しく思うかもしれないが、週毎にも表情が変わり立春へ近づいて行く。
その表情がわかるようになると歳歳に待春の情も深まり、花咲く春の嬉しさも一段と増すようになるのだろう。
©️甲士三郎