鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

343 歌苑闌春

2024-04-04 12:12:00 | 日記

雨後の花曇りの柔らかな光は花の写真には好適で、種々の小花も咲き揃った野辺の散歩にもお供の小型カメラが大活躍だ。

ーーー夜雨明けて微塵に光る玉雫 花野の春は乱れしままにーーー


咲花哥鳥、妙音秀詩、春の野はあらゆる物が燦めいている。

我が谷戸の楽園をぶらつきながら、この春に習得した歌学の成果も試したい。



(古九谷徳利盃 江戸時代)

私も糖質ゼロの酒なら少し飲めるので、徳利盃を持ち出して野の花精達と小さな宴を開こう。

踊子草や紫豆花が咲き乱れる野辺で、隠者も地に座し小さな花々と風光にしばし戯れたい。

BGMはファンタジックなエンニオモリコーネとヨーヨーマの共演アルバムが闌春の夢に誘ってくれる。

ーーーうつつ無き夢の中にも風吹きて 花のこころを揺すりてやまずーーー


昔から隠遁歌人の常として色々な歌学を知るほどに、みな俊成や定家の語る和歌の奥義であろう幽玄体や麗様に耽溺する。



私も今日の大きなバッグの中に幽玄なる中世の新続古今集も入れて来た。

「春の夜の有明の月に棹さして 川よりをちの宿やからまし」宗尊親王

をち()の宿は別天地を意味する。

宗尊親王は幕府の6代将軍で長年に渡り鎌倉に下向しており、続古今集の中では式子内親王と共に幽玄体の名手だった。

私もこの鎌倉ゆかりの幽玄の皇子に習い、別世界の夢幻の春野を詠んでみよう。

ぽちぽち春雨が降って来たので、家へ帰ってからじっくり仕上げた。

ーーー雨烟る荒れ野に仄と花の丘 我が魂極(たまきわ)る遠の奥津城ーーー


家に帰り着くと、迂闊にも我家の玄関に掛かっていたのは和歌ではなく原石鼎の俳句だった。



(直筆短冊 原石鼎 古萩茶碗 江戸時代 鎌倉彫小皿 明治時代)

「うれしさの狐手を出せ曇り花」 石鼎

曇り花は花曇りの間違いではないかと確かめたが、句集でも曇り花だった。

如何にも楽しげに春に浮かれる狐の姿だ。

ここで私も微笑ましい春の一句でもと思ったのだが、この春狐の名作にはとても敵わない。

すっかり歌学に浸っていた事もあり、句の不出来さは御容赦願おう。

ーーー晩学の口に鶯餅の粉ーーー


冬場は漢詩を春は和歌をかなり集中して勉強し直せたので、この夏には古俳諧をと思うものの俳句は俳文学者だった亡父の影響で最も若い頃からやっていて、また古書も沢山読んで来たので今更進歩の余地があるかどうかは疑わしい。


©️甲士三郎



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