ーーー金色の凍気を纏ひ富士明けりーーー
今週から寒の入りで我家の旧正月はまだまだ先だが、来客の為に玄関だけは正月らしき飾りにしてある。
幽居への入口の清浄なる結界として我が先師達の書画を並べた。
先ずは奥村土牛師の玲瓏たる冬富士の絵だ。
(聖 リトグラフ 奥村土牛 柿右衛門徳利 シノアズリの兎)
簡明かつ格調高い土牛師の富士は、如何なる時も我が心を浄化してくれる。
思えば昨年は師の富士がリトグラフながら四季揃った幸運な年だった。
晩生に衰えるどころか、ぐんと深化して行った師の心境に学びたい。
俳句も嗜なまれた土牛師に早速年頭の献句を。
ーーー暁闇に凍富士の根の深くありーーー
次なるは我が俳句の祖師に当たる高浜虚子の軸。
(直筆書軸 高浜虚子 柿右衛門花入)
「手毬唄悲しきことを美しく」高浜虚子
この句は虚子五句集の中でも隠者が殊に感じ入った句で、たまたま見付けて手許金で入手出来た日の嬉しさは鮮明に覚えている。
表装も句意に合った裂を使っていて趣味が良い。
ここにも拙句を献じておこう。
ーーー玄冬に美(は)しき歪みの虚子墨戯ーーー
鎌倉宮恒例の雅楽と巫女舞を観てお守札を買って帰れば、上の絵の反対側にやはり奥村土牛師の書が掛かっている。
(直筆書額 奥村土牛)
土牛師の直筆の絵は隠者には高価過ぎて到底無理だが、直筆書の方は昨年めでたく我が幽居を飾る事となった。
しかも語は隠者好みの寂光浄土の「寂光」涅槃寂光の「寂光」で、枯淡幽玄たる筆致は池大雅ら古の文人達にも通じる書体だ。
師の書画の運筆の特徴は極端な遅さにあり、正にその画号の示す通り(土牛石田を耕す)なのだ。
巫女達の清しき舞を見た後だからか、墨痕もゆったりと青海波の二人舞を見るような書だ。
ーーー巫女舞の杜の無数の冬芽かなーーー
ここ2〜3年は疫病禍の文化芸術不要論で古書画が大量に投げ売りされ、私や美術愛好家には一生一度の購入好機が来ていた。
昨年末はその波もさすがに終わったようで品数は減り価格は上がり当方の懐も素寒貧となったが、今後数十年は収蔵した作品の鑑賞と書見が我が精神生活の糧となってくれるだろう。
鎌倉は比較的温暖とは言え皮下脂肪を病で無くしてからは殊に寒さが骨身に沁みるが、そんな寒さを耐え忍んでこそ旧暦迎春の真の喜びが実感できよう。
ーーー寒濤に向かひて古都の不滅の灯ーーー
©️甲士三郎