コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

東海道に王手がかかりました。

2013-10-12 20:34:28 | 東海道
いよいよ大詰めとなりました東海道ウォークを今日歩きました。
先月滋賀県湖南市のJR草津線の三雲駅で終わっていますので、今日は三雲駅スタートです。
三重県の柘植駅前に車を置いて三雲に向かいます。

8時30分頃スタートしました。駅前を歩いてすぐに田園風景に変わっていきます。
天井川が現れます。大沙川が流れていますが、トンネルの上に弘法杉があります。樹高26m、周囲6m、樹齢約750年という大木です。
この道にはもう一本天井川がありました。

三雲駅前。大津目指してここからスタートします。

 
大沙川のトンネル。


弘法杉。


もう一つ天井川のトンネル。由良谷川トンネル。

このまま進み甲西駅を越えたところに吉姫神社があります。境内には南北朝時代作の木造狛犬や万病に効能あらたかな宮前の湧き水があるようなんですが見に行ってもわかりませんでした。
この先はいよいよ石部宿になっていきます。

吉姫神社。道中の安全を願って参拝しました。

石部宿の町並みは特に古い建物がある事もなく普通の町並みですが、途中に「石部宿えき」という無料の休憩所があり休憩させてもらいました。三雲駅を出てから1時間半丁度休憩にはいい時間でした。
町並みを歩いて石部駅に通ずるあたりで石部宿は終わりになります。

この後は草津宿に向かいますが、JR草津線沿いを歩きます。この道センターラインが無い狭い道の割に交通量が多い。抜け道となっているのかかなりのスピードで車が駆け抜けていきますのでとっても歩きにくい状況です。自分も車を運転していますが今日は歩行者の気持ちが分かりました。今後の運転には歩行者に対する気使いを更に考えて運転したいともいます。

この道沿いからぽつんと浮き出たような山が見えます。富士山のようにすそ野を長く持った山ですが、以前から名神高速を京都方面に向かった時に気になっていました。後で調べたら三上山(別名:近江富士)というそうです。


歩きにくい道が終わり市域も湖南市から栗東市にいつの間にか変わり、再び街道の様相を呈して来たときに古い建物が現れます。和中散本舗です。ここは家康が腹痛を起こした時、この薬を服用し快復したところから「和中散」と名付けたようです。道中薬として広く普及しました。建物は小休本陣、シーボルトも立ち寄ったようです。国の指定重要文化財となっています。


この後は暫らく住宅街の中を歩くという変化のない道が続きます。
公園の中に一つの石碑が現れます。「釣の陣跡」の碑です。将軍足利義尚が陣を張ったあとです。この碑の向こう側は池になっていて釣池と呼ばれています。
 

ここから先も住宅街が続きます。
目川立場があった場所になりますが、元伊勢谷跡には田楽発祥の地の碑がります。ここで共された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で、独特の風味を有し東海道の名物となったようです。同じく田楽を名物としているのは愛知県の豊橋でこちらの田楽は食べた事があります。


ここから進むと新幹線の高架下を抜けます。その先に草津市の標識です。もう少しで草津宿ちょっと元気が出ます。


草津川の堤防を歩く道になり、対岸に渡る橋を渡ると常夜燈の着いた道標があります。日野の豪商中井氏の寄進によって文化13年(1816年)3月に建てられたといいます。竿には「右 金勝寺志がらき道」「左 東海道いせ道」とそれぞれの行き先を刻んでいます。なお、道標はかつて道を挟んで北側にあったようです。


この道標から下り坂になり坂を下りきった所に再び道標が現れます。これは追分道標で東海道と中山道の追分となっています。かつて草津は交通の要衝だった事を物語っています。多くの旅人が道に迷わぬよう、また、旅の安全を祈って文化13年(1816年)、江戸大阪をはじめ全国の問屋筋の人々の寄進によって建立されたものです。この道標の道を挟んで高札場跡があります。
 追分道標。

 高札場跡

ここを左折すると草津宿のメインになります。ここで有名なのは本陣跡です。全国に残る本陣遺構の中でも、ひときわ大きな規模を有しており、延4726平方メートルにのぼる敷地内には、かつての本陣の姿を髣髴とさせる数々の建築物が残され、関札・大福帳・調度品ほか、貴重な資料も数多く保管されているなど、近世交通史上、きわめて重要な文化遺産です。
 本陣跡。

 現在の草津宿。

草津宿から今日の目的地大津宿に向かいます。ペースとしては悪くないです。
この後も道は住宅街の中を進みます。街が都会に近くなり田園風景から住宅に景色を変えて行きます。

小公園の中に「野路の玉川」跡があります。日本六玉川の一つの名勝だったようです。現在は小さな公園の一つの水辺だけが残っています。
 野路の玉川跡。

いつの間にか市域も草津市から大津市に変わってきました。
地名も瀬田の地名が出てきます。瀬田と言えば瀬田の唐橋が有名ですが、道は狭めの変化のない道が続きます。

建部神社という由緒ある神社の近くを通りいよいよ瀬田の唐橋が前方に見えてきました。久々に交通量のある道になります。
橋の横にある公園から橋を眺めていました。
日本三名橋・三古橋の一つだそうです。均整のとれた橋ですので見ていて落ち着きを感じます。
 

さて、瀬田の唐橋を渡ったあとせっかくですので近くの石山寺に行くオプショナルツアーを組みました。
唐橋から南へ向かいます。しかし歩いてみると結構距離があります。途中、京都大や竜谷大のボート部のクラブハウスがありました。瀬田川をみるとボートの練習をしている姿が見えました。

距離で2Kmから3Km位でやっと石山寺に着きます。紫式部がここで源氏物語を書いたと伝えられています。
ゆっくり見たかったのですが、この先大津市街まで行かなければならないのでサラッと見てきました。
 東大門(重要文化財)

 蓮如堂(重要文化財)

 硅石灰(天然記念物)
硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものですが、石山寺のように雄大な 硅灰石となっているのは大変珍しく、国の天然記念物に指定されています。「石山」という名称はこの硅灰石に由来しています。

 本堂(国宝)
滋賀県最古の木造建造物。紫式部が源氏物語を起筆した源氏の間があります。

 経蔵(重要文化財)

 多宝塔(国宝)
源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された日本最古の多 宝塔。

 鐘楼(重要文化財)

 
芭蕉庵付近から見た瀬田川・琵琶湖方面。湖北の山々が見えます。

ざっと見て石山寺をあとにしましたがロスタイムが多くなったので唐橋までバスで戻りました。

唐橋に戻り東海道の再開です。
夕方になってきたので急ぎたいのですが、オプショナルツアーの代償で足の疲れが出てきました。でも今日は大津までは歩かなくてはいけません。

石山の商店街の中を歩き、石山駅を越え琵琶湖方面に向かいますが風が強くなってきました。
篠津神社という神社の前を通りますが、この神社の門は膳所城の大手門を移築したものです。
 篠津神社。

 石坐神社 

石坐神社というちょっと大きめの神社を越えて義仲寺があります。源義仲の塚もありますが、芭蕉の墓もあります。
ここも寄って行きたかったのですが時間が押しているので行かずに前に進みました。


だんだん街中にさし掛かってきましたが、今日は大津は大津祭が行われていましたので大きな山車を見る事が出来ました。途中滋賀県庁も見えました。
 滋賀県庁。

 大津祭の山車。

大津駅が近くなったところで今日は終了しました。
次回、残すは大津→三条大橋(約10Km)だけとなりました。遂に東海道ウォークにも王手がかけられました。
最後の一区間しっかり歩きたいと思います。
今日はここまでです。です。