年末の押し迫った今日でしたが、父の四十九日の法要を行いました。
早いもので父があの世に旅立って行きました。
父が亡くなってから生前の思い出を呼び起こす事がよくありますがそのひとつに、中学二年の時に2人で長野県に旅行に行きましたが2日間で何を語り合ったという訳でもありませんでしたが、2日目の朝急に「名古屋に出て帰ろう」と言い出して松本から名古屋行きの急行に乗ったのを思い出しました。名古屋が近くなって春日井付近で「ここも家がいっぱい立つようになったな」と感慨深げでした。戦争中にここにいた事があったようです。それが見たくて名古屋経由で帰ろうとしたのか今になってやっと分かる事も出てきました。意思の伝え方が不器用な人でしたのでちょっと時間が掛かる時もありますが、理解できなかった自分も相当不器用な人間だという事を痛感しています。
これも父のDNAを引き継いだのかもしれませんね。
納骨も終え、一段落ついたかなと思います。
あの世では母も待っていたと思います。仲良く暮らしてほしいと思います。
いよいよ色々な事の整理も進めて行かなければなりません。
整理していく度に父や母との思い出に出くわしていく事と思います。思い出は大事に心にしまって生きて行きたいと思います。
早いもので父があの世に旅立って行きました。
父が亡くなってから生前の思い出を呼び起こす事がよくありますがそのひとつに、中学二年の時に2人で長野県に旅行に行きましたが2日間で何を語り合ったという訳でもありませんでしたが、2日目の朝急に「名古屋に出て帰ろう」と言い出して松本から名古屋行きの急行に乗ったのを思い出しました。名古屋が近くなって春日井付近で「ここも家がいっぱい立つようになったな」と感慨深げでした。戦争中にここにいた事があったようです。それが見たくて名古屋経由で帰ろうとしたのか今になってやっと分かる事も出てきました。意思の伝え方が不器用な人でしたのでちょっと時間が掛かる時もありますが、理解できなかった自分も相当不器用な人間だという事を痛感しています。
これも父のDNAを引き継いだのかもしれませんね。
納骨も終え、一段落ついたかなと思います。
あの世では母も待っていたと思います。仲良く暮らしてほしいと思います。
いよいよ色々な事の整理も進めて行かなければなりません。
整理していく度に父や母との思い出に出くわしていく事と思います。思い出は大事に心にしまって生きて行きたいと思います。