コヤチン、さまよい日記

静岡県内を東へ西へ行ったり来たりしています。
応援している清水エスパルスの試合の感想もお伝えします。

蔵前屋(浜松市北区)に行きました。

2013-10-27 18:55:23 | グルメ
今日のお昼に浜松市北区にある「蔵前屋」のラーメンを食べに行きました。
聖隷病院三方原の北側の通り(舘山寺方面に抜ける通り)にあります。道沿いの餃子屋の裏にありますので走っていて見逃しがちですが人気店です。

11時オープンという事ですので、その頃行ってみました。既に何人かの人達が待っています。オープンするとだいたい席が埋まる程度になります。
今日初めてなのでラーメンと味玉にしました。
麺の堅さ、油の量、味の濃さをお好みで注文する事が出来ます。こってりし過ぎるのが苦手な世代にはありがたいです。

約5分から8分位で出てまいりました。
家系ラーメンって感じのラーメンが出てまいりました。
麺は太縮れ麺です。

スープは濃厚系ですがあっさりして飲みやすいです。です。麺はスープによく絡んでいました。

この蔵前屋さん2001年に浅草でオープンし2009年に浜松に移転して来たそうです。
又、機会があったら寄ってみたいと思います。


明日はダービー。

2013-10-26 23:25:21 | 清水エスパルス
今日は久々にJのない土曜日でしたので生活のリズムがくるいますね。
明日はいよいよダービーがヤマスタで行われます。昨日になってバックスタンドフリーゾーンがアウエイにも一部解放されるとの発表がありました。遅いですよもうチケット無いし…
例年通りエコパでやってほしかったな。

ジュビロはいよいよ追い詰められてきました。ダービーの前に行われるヴァンフォーレVS FC東京で甲府が勝利しますとジュビロの降格に王手が掛かってしまいます。ジュビロの不運は明日がダービーだったって事でしょうか。手心を加えたくてもダービーだけは別物です。絶対に負けられない試合ですからエスパルスもいつも以上の闘志をもって臨むはずです。
プレッシャーが掛かっているのは当然ジュビロです。平常心で試合できる精神状態ではないはずです。確かにこの何試合かはジュビロは「らしくない」試合が続いています。
かつてあの憎らしい位にしたたかで冷静な試合運びをする勝負強いジュビロからは想像できないチームになってしまいました。明日のダービーには切り替えて臨んでくるのでしょうか。

エスパルスも相手を心配してあげる程余裕がある訳ではないのですが、前節残留を決めているという点ではプレッシャーを感じずに試合できるかと思います。
縁あって明日の試合が往時とは違った意味でとっても大事なダービーになります。
エスパルスも相手の事を気遣った試合はしないと思うし、どんな場面でも精一杯の力でぶつかるというのが相手に対してのマナーだと思います。

明日は色々な事を思いながらテレビの前で集中して見たいと思っています。

三方原古戦場碑。

2013-10-25 22:10:13 | 日記
今日は仕事で三方原方面を走っていました。電話が鳴ったので三方原霊園の駐車場に止めました。要件が済み周りを見ると「三方原古戦場」の碑がありました。
この合戦元亀3年(1572年)、武田信玄率いる武田軍と、徳川家康率いる徳川・織田同盟軍が激しく戦った場所です。

後に天下を獲る事になる徳川家康が唯一大敗した戦いです。
正常作戦を始めた武田信玄が青崩峠から遠江に入り犬居上城・二俣城と落とします。家康は籠城覚悟で浜松城に戻りますが、信玄は浜松城を通らずに城北方面に行軍します。家康は籠城をやめて出城し12月22日に三方原に到着。待ち受けていた武田軍と戦う事になります。武田2万5千に対し徳川は織田の援軍を含め1万1千。結果は徳川の大敗に終わり、家康は命かながら浜松城に逃げ帰りました。
そのみじめな姿を絵師に描かせたのが「顰(しかめ)像」と呼ばれる絵で、その絵を飾り後々まで人生の教訓にしたという話が知られています。

武田軍の兵力も高かった事もありますが戦術も優れていたようです。この前に上杉謙信と戦術の限りを尽くして戦った信玄の作戦勝ちだったのでしょう。
この後信玄は東三河に侵攻した後に志半ばで病死してしまいます。無念だった事でしょう。

 三方原霊園駐車場内にあります。

                         


プロ野球ドラフト会議が行われました。

2013-10-24 22:15:18 | プロ野球
今年のプロ野球ドラフト会議が行われ、各球団が指名をしました。
1位指名は3名の選手が競合となり抽選となりました。
もっとも多く5球団の指名を受け抽選となったのは神奈川桐光学園の松井君で楽天・中日・ソフトバンク・横浜・日本ハムの指名を受け楽天が交渉権を獲得しました。
大学ナンバーワンの呼び声高い大瀬良君(九州共立大)は阪神・広島・ヤクルトの3球団が指名し、抽選の末広島が交渉権獲得しました。
東京ガスの石川君は巨人・ロッテの指名を受け、抽選でロッテが交渉権を獲得しました。

昨日も書きましたが、コヤチン的に注目している聖隷クリストファー高校の鈴木翔太君は中日が外れ1位で指名。外れ1位ながら静岡県から1位指名選手が出た事は嬉しく思います。
素質は素晴らしいものがあるので早く1軍のマウンドに上がれるように頑張ってもらいたいと思います。特に彼は憧れの甲子園のマウンドに立つ事が出来なかったのでプロの選手として甲子園のマウンドに立つ日が来る事を願っています。

その他、静岡県出身の選手で指名された選手は、浜松工出身でセガサミーの浦野選手(投手)が日本ハムから2位指名されました。
清水東出身で国士舘大の岩崎選手(投手)が阪神から6位指名されました。日々努力した結果が認められたと思います。

今日指名された選手の皆さん入団の可否はこれからですが前向きに考えて日本プロ野球の為に頑張って下さい。
ドラフトの選から漏れてしまった選手の皆さん努力を続ければ又、チャンスはあります。これからも頑張って下さい。

次郎柿原木。森町

2013-10-24 21:50:10 | 日記
仕事で森町に行きました。いつも通る道から路地に入った所に「次郎柿の原木」があります。
この路地入った事がなかったのですが今日行ってみました。車1台がやっと通れる幅の道にこの原木があります。

次郎(治朗)柿は森町が原産です。江戸末期の 弘化年代(1844~47)に 森町村五軒丁の百姓「松本治郎」が太田川の川原で柿の幼木を見つけ、これを持ち帰り自宅に植えたのがはじまりのようです。その後、明治2年(1869)の火事により焼失。しかし、翌年に芽を出し成長して、数年後には再び実をつけました。ところが、その実は焼失前に比べて肉質はきめ細やかで 甘味 あまみ も 豊潤 ほうじゅん 、加えて種も少なくとてもおいしい柿でした。他に比類無き卓絶する良品種であったと伝えています。
当時人々は、「治郎さの柿・じんろうさの柿・じん郎柿・治郎柿」と呼称し、戦後は「次郎柿」と書かれるようになりました。(森町HPより)

皇室に献上している柿です。その原木を守り育てる町民の心を感じます。

 

次郎柿原木がの隣に「一木系早生次郎柿原木」があります。
一木藤太郎は、より良い献上柿をつくろうと努力を重ねました。生産農家の中から改良するにふさわしい枝を探しだし、自分の家の柿木に接ぎ木して工夫を繰り返した結果、大正10年頃、その中から形状がよく、しかも色づきの早い柿を発見しました。これが、一木系早生次郎柿で、全国で生産されている早生系次郎柿の原木です。
一木系早生次郎柿原木は、一木賀文氏から町に寄附され、平成17年12月20日に次郎柿原木の隣に移植されました。(森町HPより)


この2つの原木が各地でつくられている次郎柿の原木です。これからは次郎柿を食べる度にこの木を思い出したいと思います。
昔住んでいた愛知県の豊橋市も次郎柿の産地でした。「次郎柿の里」という大きな看板があったのを覚えています。ルーツはこの木だったんですね。