般若心経

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般若心経

2018-08-31 | Weblog
1941

 いつもの生活
   災害ボランティアで感じたこと

ボランティアの人たち
 ボランティアは、ボランティアセンターまでの交通手段、滞在中の宿泊、食事などすべてが自己解決である。それにもかかわらず関東、東北、九州をはじめ全国各地から多くの方々が来ていた。
福島から夜行バスを乗り継いで来たという人がいた。
東日本大震災や熊本地震にも行ったという人もいた。
テントに泊まりボランティアに参加するという人もいる。
水島工業地帯の工場へ滋賀や岐阜から出張に来て、その間の休日にボランティアに参加したという方がいた。私が話した人が2人だから、全体ではかなりの人が水島への出張中にボランティアに参加されていたのだと思う。

作業をしていて
 少しでも軽い作業をとか、手を抜こうとか、世俗的なサボるとかいう考えは微塵も感じられない。
業務成績に関係する訳でもないし、昇進に影響する訳でもなし、周りから認められる訳でもない、それでもみんな炎天下で埃にまみれ、大汗を流している。愚痴はでてこない。
 一応リーダーは決めているが、どこの作業場所でも一切指示や命令がない。みなが平等の立場で相談と協力のもとに作業がスムーズに進んでいる。この統制がとれた行動は、初めて出会ったグループとは思えないほどである。作業をしていて気持ちがいい。
 毎回ほんの数時間の出会いであったが、ボランティアに参加してよかったと思った。

本当に捨てていいものかどうか
 ボランティアセンターのオリエンテーションで「ものを捨てるときには、捨てていいものかどうか、よく確認するように」と注意を受けた。
 長時間水につかった家具、寝具、冷蔵庫、洗濯機、食器、箪笥の中には大量の衣服、着物、被災された方はあの時のいまわしい記憶から逃れたい気持ちもあるのか、「すべて捨ててほしい」と言われる。書籍、アルバム、学習教材、ミュージックCD、赤ん坊のおもちゃなどもある。
 「すべて捨てて」と言われても、品物によっては本当にいいのか念のために確認するのだが、被災された方にとってはその都度聞かれることが辛かっただろうと思う。
 食器類や新品のまま箱に入っている什器など水で洗えばまだ使えると思えるものは、被災された方にとっては二度手間になったかもしれないが、問うことなく傍によけておいた。

本当に困っていたのだ
 土壁が水で崩れ落ち畳の上は泥の山、天井板がぶら下がり、冷蔵庫は倒れ、70歳を超えた女性ひとりでは箪笥の引き出しひとつ開けることができなかっただろう。被災して一週間以上の間、途方にくれていたのではなかっただろうか。
 どのようにして手に入れたのか発泡スチロールの箱に氷を詰めてアイスキャンデーをいっぱい買ってきてくれた。財産のほとんどを水につけてしまいこれからの生活に不安が山のようにあるだろう。それでもボランティアに気を使ってくれる。作業の制限時間を延ばしてもらってでも片付けたい気持ちになった。
 帰りに一万円を差し出してきた。とんでもないことだとお断りした。

いつもの生活
 ある日突然、予告もなく無残にいつもの生活が断ち切られた。
もし私がこのような状況に置かれたら、今回出会った被災された方々のように気丈にふるまうことができるだろうか。
 朝、いつものように布団の上で目が覚め、食事を取り、新聞が来て、スイッチを入れれば、明かりがつき、冷房が入り、テレビを見ることができる。風呂に入り冷蔵庫の中からいつでも冷たい飲み物を手にすることができる。
このいつもの生活がかけがえのないすばらしいものに思える。

ボランティアに参加して感じたことです。



広報くらしき9月号