般若心経

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2021-08-11 | Weblog

 風 鈴

亡き人のかけし風鈴鳴りつづく 大串 章

先日の新聞に載っていました。



軒先に吊るした風鈴の音が涼しさを呼び、夏の暑さを和らげます。

 これは風鈴にまつわる失敗談です。
テレビで水戸黄門を観ました。再放送ではないので、相当前のことです。
 ドラマは
姫路城下で有名な明珍火箸風鈴をお殿様に献上することになり、 根のまじめな鍛冶屋と悪代官の息のかかった鍛冶屋が競い合い、まじめな鍛冶屋の風鈴が選ばれ、悪代官が黄門様に懲らしめられるという話でした。
このとき初めて姫路に明珍火箸風鈴があるということを知りました。
 その後、デパートでこの明珍火箸風鈴を展示販売していました。ガラスや瀬戸物、鋳物の風鈴とは違った澄み切った清らかな音がしていました。これがテレビで見た火箸風鈴なのか、軒先にひとつ欲しいと思ったのですが、確か数万円と工芸品並みの値段が購入をあきらめさせました。
 しかし、この程度のものならば私にもできるのではないかと思い作ってみました。鉄の丸棒を切断し焼きを入れ、リングにぶら下げました。和音になるように長さも計算しました。ぶら下げて叩くと確かにいい音がします。しかし中の振り子が小さいと音が小さく、かと言って振り子を大きくすると少々の風では揺れません。大きな短冊にするとよいのですが、少し強い風になるとバタバタとおよそ風鈴とは思えない風情をかもしだします。
デパートで見たものは歯車状の振り子を使っていました。同様のものを作ろうといろいろやってみましたが、できませんでした。
 今、その風鈴は物置のドアチャイムになっています。



ドアチャイムとしての機能は十分に持っています。

 余談ですが、姫路の明珍火箸風鈴についてネットで調べると
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 明珍家は平安時代より続く甲冑師の家系であり、戦乱の世を経て江戸時代に姫路藩のお抱え甲冑師として姫路へ移り住むこととなりました。明治時代の廃藩置県により甲冑の需要がなくなり、千利休のために火箸を作ったという故事にならい火箸製作で起死回生を図ります。戦時中は鉄の入手が困難になり、さらに戦後の高度経済成長期には火箸の需要が低減するなど何度も危機に見舞われます。伝統の技を途絶えさせないため、52代明珍宗理が試行錯誤を重ね、昭和40年ついに「明珍火箸風鈴」が誕生しました。
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ということです。(明珍本舗ホームページより)
ですから、江戸時代、黄門様の頃には「明珍火箸風鈴」は存在しなかったことになります。