1917
豪雨災害
昨日13日、災害ボランティアとして真備町に行ってきました。
ボランティアセンターは真備町の南、峠ひとつ隔てた職業訓練大学校の体育館に設置されています。センターで受付をして被災場所へ派遣されます。私が派遣された場所は最も被害が大きかった箭田という地区の美容院でした。木造の建物は2階まで完全に水没し、洪水から1週間がたち水は引いているのにまだ2階には水が残っています。1階は家具などかなりのものが運び出されていましたが部屋の中は泥沼状態です。1階の残った家財を外に出し、泥を搬出し、2階から大量の衣類、寝具、電気器具、書類、書籍などを運び出し、水をかいだしました。
1階の壁に掛けられている時計は4時37分で止まっています。深夜から警報が発令されていたとはいえ、照明の切れた真夜中かなりの恐怖をおぼえられたことだと思います。そして一日にして一切の家財をなくされた無念さは察するに余りあります。
我々は予定の15時までに作業を完了して引き上げましたが、地元の方々にはまだまだ終わりはありません。
豪雨災害
昨日13日、災害ボランティアとして真備町に行ってきました。
ボランティアセンターは真備町の南、峠ひとつ隔てた職業訓練大学校の体育館に設置されています。センターで受付をして被災場所へ派遣されます。私が派遣された場所は最も被害が大きかった箭田という地区の美容院でした。木造の建物は2階まで完全に水没し、洪水から1週間がたち水は引いているのにまだ2階には水が残っています。1階は家具などかなりのものが運び出されていましたが部屋の中は泥沼状態です。1階の残った家財を外に出し、泥を搬出し、2階から大量の衣類、寝具、電気器具、書類、書籍などを運び出し、水をかいだしました。
1階の壁に掛けられている時計は4時37分で止まっています。深夜から警報が発令されていたとはいえ、照明の切れた真夜中かなりの恐怖をおぼえられたことだと思います。そして一日にして一切の家財をなくされた無念さは察するに余りあります。
我々は予定の15時までに作業を完了して引き上げましたが、地元の方々にはまだまだ終わりはありません。