1月28日(木曜日) 寒い日に戻った。
雑学しらべをしていたら
県名と県庁所在地名が同じ県とそうでない県がある。
なぜでしょう? 前から疑問であったが・・
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●現在県名と県庁所在地名が異なっている
都道府県は「18」もあるって知っていましたか?
●そして現在県名と県庁所在地名が同じなのは、残りの「29」です。
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県名と県庁所在地が違うのはなぜだろう?
上のオレンジの都道府県が県庁所在地が違う所です。
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●明治政府は忠勤藩と朝敵藩で県をランク分けした?説に
ビックリです。WEB上のコピーをする。
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県名と県庁所在地名が一致しない県を調べていくと、
明治維新のときに最後まで江戸幕府に味方して
●政府に反抗した朝敵藩や
●曖昧な態度をとっていた曖昧藩が多いことがわかります。
例えば、盛岡藩(岩手県)や仙台藩(宮城県)などです。
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一方、薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)などは、
明治維新に大変貢献したので忠勤藩と呼ばれ、
県名と県庁所在地名は一致しています。
薩摩藩の正式な名前は鹿児島藩、長州藩は山口藩なので、
これらの藩は藩名がそのまま県名と県庁所在地名両方に残されています。
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ところが朝敵藩の中には、大きな藩であったにもかかわらず
統合の過程で消されたり名前が変えられたりして、
県名にも県庁所在地にも名前が残されなかったところがあります。
徳川の御三家のうち名古屋藩や水戸藩も県名には残っていませんね。
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では朝敵藩なのに県名と県庁所在地が一致しているところはないでしょうか。
会津藩(福島県)や米沢藩(山形県)は朝敵藩ですが県名と県庁所在地名が一致しています。
でも、両藩とも県名にも県庁所在地名にも藩名は残されず、変えられてしまいました。
明治政府は自分たちに反抗した藩の名前を、混乱の中で抹殺していったのでしょうか。
もちろん、県名と県庁所在地名の取り決めについてはこの他にもいくつか理由はあるようですが、
明治政府に何らかの意図があったのではと考えられています。
県名と県庁所在地名が同じかそうでないかという単純な事柄のなかに、
当時の人々の思いが見えてきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これが正しいって訳ではないようですが、
忠勤藩か朝敵藩を分け、烙印を押す意味で朝敵藩の県名&県庁所在地名を変えたのかも?って
説にビックリでした。
本当かは良くわからない。・・詳しくは、下記の本で・・
「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎」
(光文社知恵の森文庫)
=================
上記の様なことも近現代史を知る必要がある。
最近は以下の本と番組が面白い。気楽に聞ける。
激動の明治がまんべんなくわかる
もし自分もそうだという人がいたなら、
ぜひ本書『関口宏・保阪正康の もう一度!
近現代史 明治のニッポン』を手に取ってほしい
~~~~~~
本書の“実況&解説”はぶっ通しの全47講。構成はとてもシンプルだ。
「大政奉還」(慶応3年)から「明治天皇崩御」(明治45年)まで、
ほぼ半世紀にわたる激動明治のエピソードや出来事を、
1年ごとに時系列に並べて取り上げていく編年体スタイル。
==============
学校ではあまり詳しく説明はなかったと思う。
雑学しらべをしていたら
県名と県庁所在地名が同じ県とそうでない県がある。
なぜでしょう? 前から疑問であったが・・
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●現在県名と県庁所在地名が異なっている
都道府県は「18」もあるって知っていましたか?
●そして現在県名と県庁所在地名が同じなのは、残りの「29」です。
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県名と県庁所在地が違うのはなぜだろう?
上のオレンジの都道府県が県庁所在地が違う所です。
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●明治政府は忠勤藩と朝敵藩で県をランク分けした?説に
ビックリです。WEB上のコピーをする。
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県名と県庁所在地名が一致しない県を調べていくと、
明治維新のときに最後まで江戸幕府に味方して
●政府に反抗した朝敵藩や
●曖昧な態度をとっていた曖昧藩が多いことがわかります。
例えば、盛岡藩(岩手県)や仙台藩(宮城県)などです。
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一方、薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)などは、
明治維新に大変貢献したので忠勤藩と呼ばれ、
県名と県庁所在地名は一致しています。
薩摩藩の正式な名前は鹿児島藩、長州藩は山口藩なので、
これらの藩は藩名がそのまま県名と県庁所在地名両方に残されています。
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ところが朝敵藩の中には、大きな藩であったにもかかわらず
統合の過程で消されたり名前が変えられたりして、
県名にも県庁所在地にも名前が残されなかったところがあります。
徳川の御三家のうち名古屋藩や水戸藩も県名には残っていませんね。
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では朝敵藩なのに県名と県庁所在地が一致しているところはないでしょうか。
会津藩(福島県)や米沢藩(山形県)は朝敵藩ですが県名と県庁所在地名が一致しています。
でも、両藩とも県名にも県庁所在地名にも藩名は残されず、変えられてしまいました。
明治政府は自分たちに反抗した藩の名前を、混乱の中で抹殺していったのでしょうか。
もちろん、県名と県庁所在地名の取り決めについてはこの他にもいくつか理由はあるようですが、
明治政府に何らかの意図があったのではと考えられています。
県名と県庁所在地名が同じかそうでないかという単純な事柄のなかに、
当時の人々の思いが見えてきます。
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これが正しいって訳ではないようですが、
忠勤藩か朝敵藩を分け、烙印を押す意味で朝敵藩の県名&県庁所在地名を変えたのかも?って
説にビックリでした。
本当かは良くわからない。・・詳しくは、下記の本で・・
「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎」
(光文社知恵の森文庫)
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上記の様なことも近現代史を知る必要がある。
最近は以下の本と番組が面白い。気楽に聞ける。
激動の明治がまんべんなくわかる
もし自分もそうだという人がいたなら、
ぜひ本書『関口宏・保阪正康の もう一度!
近現代史 明治のニッポン』を手に取ってほしい
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本書の“実況&解説”はぶっ通しの全47講。構成はとてもシンプルだ。
「大政奉還」(慶応3年)から「明治天皇崩御」(明治45年)まで、
ほぼ半世紀にわたる激動明治のエピソードや出来事を、
1年ごとに時系列に並べて取り上げていく編年体スタイル。
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学校ではあまり詳しく説明はなかったと思う。