7月25日 (火曜日) 曇り
今日も曇天で蒸し暑い日
今日も平尾さんの記事を・・・
亡くなった平尾昌晃さんがある時テレビを見ていると、
「〇は世につれ世は〇につれ」の
〇は何かを・・・若い芸能人らが答えていた。
「金」「男」「服」「親」などが飛び出たが、
最後まで「歌」はなかった

~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲最初は驚いた平尾さんだが、
様変わりした平成のヒット曲事情を思い浮かべ納得した。
年齢にかかわらず誰もが口ずさめるヒット曲がなくなり、
時代の記憶を歌で表せなくなって久しい。
「歌」と「世」のつながりが失われたのである。
▲紅白歌合戦の視聴率が80%を超えた年もある昭和後半だった。
歌謡曲といわれた「歌」のエネルギーは「世」を巻き込んで沸騰した。
ロカビリーの人気歌手から、昭和歌謡を代表する楽曲の作曲家へ。
その熱の中心にいた平尾さんだ。
▲最初の自作曲「ミヨちゃん」も、作曲家として自立した「霧の摩周湖」も、
行きあたりばったりにギターをつまびきながらの自己流作曲という。
「ぼくらの音楽はスポーツなんだ」。
体を張って「かっこよさ」を追い求めた時代だった。
▲作詞家の山上路夫さんと期日だけをうち合わせ、
別々に作詞と作曲をしながら「サビまでピッタンコだった」のが「瀬戸の花嫁」である。
奇跡のような合致も、「歌」が個々人を超えて
「世」へとつながっていた時代だったからなのか
▲「歌は多くの人が声を出して歌ってこそ『歌』だと思う」
。
「うた先案内人」を名乗り、
皆で歌うコンサートを重ねた晩年だった。
送る言葉はタメ口でも許していただけよう。「かっこよかったよ、忘れない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 最近は歌を聴かせるのではなくなって
踊りと強烈な音を映像と一緒に聞かせるパフォーマンスショウだなあ~!
歌詞の内容など全然わからない!
”しっとり”などという 文言は吹き飛んでいる。
そういえば 高校1年の時。
前の席の原x君が
”俺さあ!平尾昌晃が好きなんだ”と告白した。
運動部でキンキンしていた時の。私にはなんて軟弱な奴と思った・・。
その少々女性ぽかった彼は今どこに・・・
何しているのやら・・・平尾氏が映像に出るたびに思い出す。
================
今日はこれから
敬老会の打ち合わせ資料等のコピーや
3会長で明日の会合準備の打ち合わせだ!


今日も平尾さんの記事を・・・

亡くなった平尾昌晃さんがある時テレビを見ていると、
「〇は世につれ世は〇につれ」の
〇は何かを・・・若い芸能人らが答えていた。
「金」「男」「服」「親」などが飛び出たが、
最後まで「歌」はなかった


~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲最初は驚いた平尾さんだが、
様変わりした平成のヒット曲事情を思い浮かべ納得した。
年齢にかかわらず誰もが口ずさめるヒット曲がなくなり、
時代の記憶を歌で表せなくなって久しい。
「歌」と「世」のつながりが失われたのである。
▲紅白歌合戦の視聴率が80%を超えた年もある昭和後半だった。
歌謡曲といわれた「歌」のエネルギーは「世」を巻き込んで沸騰した。
ロカビリーの人気歌手から、昭和歌謡を代表する楽曲の作曲家へ。
その熱の中心にいた平尾さんだ。
▲最初の自作曲「ミヨちゃん」も、作曲家として自立した「霧の摩周湖」も、
行きあたりばったりにギターをつまびきながらの自己流作曲という。
「ぼくらの音楽はスポーツなんだ」。
体を張って「かっこよさ」を追い求めた時代だった。
▲作詞家の山上路夫さんと期日だけをうち合わせ、
別々に作詞と作曲をしながら「サビまでピッタンコだった」のが「瀬戸の花嫁」である。
奇跡のような合致も、「歌」が個々人を超えて
「世」へとつながっていた時代だったからなのか

▲「歌は多くの人が声を出して歌ってこそ『歌』だと思う」

「うた先案内人」を名乗り、
皆で歌うコンサートを重ねた晩年だった。

送る言葉はタメ口でも許していただけよう。「かっこよかったよ、忘れない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 最近は歌を聴かせるのではなくなって
踊りと強烈な音を映像と一緒に聞かせるパフォーマンスショウだなあ~!
歌詞の内容など全然わからない!
”しっとり”などという 文言は吹き飛んでいる。

そういえば 高校1年の時。
前の席の原x君が
”俺さあ!平尾昌晃が好きなんだ”と告白した。

運動部でキンキンしていた時の。私にはなんて軟弱な奴と思った・・。
その少々女性ぽかった彼は今どこに・・・
何しているのやら・・・平尾氏が映像に出るたびに思い出す。
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今日はこれから
敬老会の打ち合わせ資料等のコピーや
3会長で明日の会合準備の打ち合わせだ!