齢(よわい)を重ねますと、引き際が大事です。しかし、我がこととなりますと、どこが引き際なんでしょうか、決断できません。
プロ競技の場合は、自分でそれを決断できる少数の恵まれた人(惜しまれて辞める大選手)を除いてほとんどの人が解雇を通知される。サラリーマンのほとんどは、定年です。
一方、自営的な文筆業や多くの弟子によって支えられている俳人はどうでしょうか。
「鷲谷七菜子」(1923/01/07~)83歳、俳人が、断筆を決意した。「質の下降許せず」とのことらしい。「野にて裂く 封書一片(ひとひら) 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」
小説家や画家は、書けなくなったり、描けなくなって、筆をおくのであって、「断筆」はあまり聞かない。(例外的に信条で筒井康隆さんが断筆宣言した)しかし、俳人は17文字に込める思いが、写らなくなるのでしょうか、記憶にあるだけでも数人いる。
「中村苑子」(1913~2001/01/05)は、1997年84歳で断筆を宣言。84歳でした。その墓石に刻まれた句は「わが墓を 止まり木とせよ 春の馬」断筆の4年後没。
「飯田龍太」(1920/07/10~)あの飯田蛇笏の4男。1992年72歳の時より断筆。「去るものは 去りまた充ちて 秋の空」
プロ競技の場合は、自分でそれを決断できる少数の恵まれた人(惜しまれて辞める大選手)を除いてほとんどの人が解雇を通知される。サラリーマンのほとんどは、定年です。
一方、自営的な文筆業や多くの弟子によって支えられている俳人はどうでしょうか。
「鷲谷七菜子」(1923/01/07~)83歳、俳人が、断筆を決意した。「質の下降許せず」とのことらしい。「野にて裂く 封書一片(ひとひら) 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」
小説家や画家は、書けなくなったり、描けなくなって、筆をおくのであって、「断筆」はあまり聞かない。(例外的に信条で筒井康隆さんが断筆宣言した)しかし、俳人は17文字に込める思いが、写らなくなるのでしょうか、記憶にあるだけでも数人いる。
「中村苑子」(1913~2001/01/05)は、1997年84歳で断筆を宣言。84歳でした。その墓石に刻まれた句は「わが墓を 止まり木とせよ 春の馬」断筆の4年後没。
「飯田龍太」(1920/07/10~)あの飯田蛇笏の4男。1992年72歳の時より断筆。「去るものは 去りまた充ちて 秋の空」