「おふくろさん」(作詞:川内康範 作曲:猪俣公章 )の歌手森進一が、歌詞を付け加えたことで、作詞者と大揉めです。どちらが「いい、悪い」と言えば、圧倒的(100%)に森進一が悪いです。ただ、川内康範先生は大御所(大先生)ですから、「森よ!それはダメだよ」と、軽く意見をすれば良かったと思うんですが・・・。87歳の先生は頑固になっているんでしょう。
そこで、われらの時代を駆け抜けた「水原弘」を思い出した。
水原弘:(1935/11/01~1978/07/05) 42歳で酒に溺れ、肝硬変で逝った。東京江東区生まれ。
当時、大流行の「ジャズ喫茶」で歌っていたところを、渡辺美佐(ナベプロ)にスカウトされる。1959年、デビュウー曲の「黒いはなびら」(作詞:永六輔 作曲:中村八大)が大ヒット。子供まで喉を絞ったような声で歌ったほどだった。髪型やしぐさは石原裕次郎をまねていた。しかし、後続の曲がなく、長い低迷があった。そして、8年もの「どさまわり」(地方興行)が続いた。
そして、突然の復活劇がありました。その曲が今、問題のコンビだったことを思い出した。
「君こそ我が命」(作詞:川内康範 作曲:猪俣公章)です。長い低迷期を脱するきっかけが、お二人だったんですが、当時から、いやずっと前から大御所でした。水原弘の独特の声と詩、曲がピッタリで、長い低迷を知っているファンの判官びいきも相まって、大ヒットの奇跡の復活劇でした。そして、その後、巡業先の北九州市で吐血、42歳で駆け抜けた短い生涯でした。同年齢の時代を生きたものとして、いい思い出もほろ苦い思い出もある時代でした。(残日禄です)
追記:「ちあきなおみ」さんが、リバイバル(今の言葉ではリメイク?)で水原弘の持ち歌だった「黄昏のビギン」を歌い、その歌がテレビの画面からコマーシャルで流れてきたときに、えも言われぬ郷愁を覚えたのは、うれしい出来事でした。・・・その、「ちあきなおみ」さんも、引退して久しい。・・・
そこで、われらの時代を駆け抜けた「水原弘」を思い出した。
水原弘:(1935/11/01~1978/07/05) 42歳で酒に溺れ、肝硬変で逝った。東京江東区生まれ。
当時、大流行の「ジャズ喫茶」で歌っていたところを、渡辺美佐(ナベプロ)にスカウトされる。1959年、デビュウー曲の「黒いはなびら」(作詞:永六輔 作曲:中村八大)が大ヒット。子供まで喉を絞ったような声で歌ったほどだった。髪型やしぐさは石原裕次郎をまねていた。しかし、後続の曲がなく、長い低迷があった。そして、8年もの「どさまわり」(地方興行)が続いた。
そして、突然の復活劇がありました。その曲が今、問題のコンビだったことを思い出した。
「君こそ我が命」(作詞:川内康範 作曲:猪俣公章)です。長い低迷期を脱するきっかけが、お二人だったんですが、当時から、いやずっと前から大御所でした。水原弘の独特の声と詩、曲がピッタリで、長い低迷を知っているファンの判官びいきも相まって、大ヒットの奇跡の復活劇でした。そして、その後、巡業先の北九州市で吐血、42歳で駆け抜けた短い生涯でした。同年齢の時代を生きたものとして、いい思い出もほろ苦い思い出もある時代でした。(残日禄です)
追記:「ちあきなおみ」さんが、リバイバル(今の言葉ではリメイク?)で水原弘の持ち歌だった「黄昏のビギン」を歌い、その歌がテレビの画面からコマーシャルで流れてきたときに、えも言われぬ郷愁を覚えたのは、うれしい出来事でした。・・・その、「ちあきなおみ」さんも、引退して久しい。・・・