54年も前の、1953年のボストン・マラソンで優勝した大館市出身の山田敬蔵さん(79)が18日、台湾中部の雲林県で行われた第1回台湾国際マラソンで42・195キロを4時間半かけて完走した。
左ひざの痛みから足を引きずるようにゴール。「最後の4キロは遠かったが、何とかゴールを、と頑張った」と話し「来月のボストン・マラソンでも走る」と意欲満々だ。
今も毎日、多摩川沿いを30キロ走る山田さんの通算走行距離は今年1月に35万キロを達成。次の目標を「地球から月までの距離とされる約38万キロに定めた」。
なんという鉄人でしょうか。79歳にして毎日30Kmを走っているんですから、恐ろしいくらいの鉄人です。38万Kmといえば、フルマラソンで9000回を越えますから、毎日フルマラソンを走っても、なんと24年8ヶ月もかかります。比べるべき記録はないでしょう。競技を退くと、なにも運動をしないとか楽な競技に目を向け勝ちですから、若い時分の「意気」と「情熱」を持ち続けるなんて「奇跡の人」という他ありません。王監督(この人も偉大すぎて形容詞はいらない)も死ぬまで監督を公言していますから、山田敬蔵さんは死ぬまで「ランナー」でいて下さい。あなたは、あなたの足は偉大です。あなたは、日本の誇りです。kunio_nikkiより一世代上の世代ですから、例えようのない偉大さです。
【山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年11月30日 - )は、日本のマラソン選手。秋田県大館市出身。
1952年、戦後の日本が初参加となったヘルシンキオリンピックに、マラソン日本代表として出場。25位。 翌1953年4月20日ボストンマラソンにおいて優勝。記録は2時間18分51秒。当時世界最高記録とされた(のちに距離不足が判明している)。】
左ひざの痛みから足を引きずるようにゴール。「最後の4キロは遠かったが、何とかゴールを、と頑張った」と話し「来月のボストン・マラソンでも走る」と意欲満々だ。
今も毎日、多摩川沿いを30キロ走る山田さんの通算走行距離は今年1月に35万キロを達成。次の目標を「地球から月までの距離とされる約38万キロに定めた」。
なんという鉄人でしょうか。79歳にして毎日30Kmを走っているんですから、恐ろしいくらいの鉄人です。38万Kmといえば、フルマラソンで9000回を越えますから、毎日フルマラソンを走っても、なんと24年8ヶ月もかかります。比べるべき記録はないでしょう。競技を退くと、なにも運動をしないとか楽な競技に目を向け勝ちですから、若い時分の「意気」と「情熱」を持ち続けるなんて「奇跡の人」という他ありません。王監督(この人も偉大すぎて形容詞はいらない)も死ぬまで監督を公言していますから、山田敬蔵さんは死ぬまで「ランナー」でいて下さい。あなたは、あなたの足は偉大です。あなたは、日本の誇りです。kunio_nikkiより一世代上の世代ですから、例えようのない偉大さです。
【山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年11月30日 - )は、日本のマラソン選手。秋田県大館市出身。
1952年、戦後の日本が初参加となったヘルシンキオリンピックに、マラソン日本代表として出場。25位。 翌1953年4月20日ボストンマラソンにおいて優勝。記録は2時間18分51秒。当時世界最高記録とされた(のちに距離不足が判明している)。】