法華津 寛(ほけつ ひろし)さんが、北京オリンピックの馬場馬術代表に決定した。
略歴【法華津 寛(ほけつ・ひろし)林間学校での乗馬経験がきっかけで馬術を始めた。64年東京五輪で障害飛越個人40位、同団体12位。馬場馬術に転向して84年ロサンゼルス五輪は補欠。88年ソウル五輪代表に選ばれながら直前の輸送で馬が検疫に引っ掛かり、出場せず。86年アジア大会の馬場馬術で個人、団体とも2位。88年から全日本馬場馬術選手権5連覇。外資系会社社長を辞め、03年からドイツが拠点。コンビを組むのは牝馬ウイスパー。慶大、デューク大大学院(米国)出。66歳。東京都出身。】
66歳での出場は、自身44年ぶりのオリンピックです。途中88年の不運があったが、その経歴でも解るとおり「お金持ちのスポーツ」ですが、そのことを考えても、絶賛の拍手を送らずにはいられない。
一方、「若い世代の人はどうしているんだ」との心配もある。やはり、高価な馬を手に入れ、一緒に成長しないといけないのでしょうか。
64年といえば、新幹線開通に代表される、建設ブームがあって、「三丁目の夕日」のような景色が衰退していく境目の年でした。ダンスホールさえ「ツイスト」になり、社交ダンスは片隅に追いやられ、銀座は、「みゆき族」が、黒いビニールを身にまとう異様な集団に占拠され・・・。それまで吹き荒れた「安保反対闘争」さえ、忘れさられていく年になりました。
そんな、大昔の選手が、蘇って、今、オリンピックの代表となる66歳ですから、「ガンバレ~!青春」と声を張り上げます。~同世代のよぼよぼより~
略歴【法華津 寛(ほけつ・ひろし)林間学校での乗馬経験がきっかけで馬術を始めた。64年東京五輪で障害飛越個人40位、同団体12位。馬場馬術に転向して84年ロサンゼルス五輪は補欠。88年ソウル五輪代表に選ばれながら直前の輸送で馬が検疫に引っ掛かり、出場せず。86年アジア大会の馬場馬術で個人、団体とも2位。88年から全日本馬場馬術選手権5連覇。外資系会社社長を辞め、03年からドイツが拠点。コンビを組むのは牝馬ウイスパー。慶大、デューク大大学院(米国)出。66歳。東京都出身。】
66歳での出場は、自身44年ぶりのオリンピックです。途中88年の不運があったが、その経歴でも解るとおり「お金持ちのスポーツ」ですが、そのことを考えても、絶賛の拍手を送らずにはいられない。
一方、「若い世代の人はどうしているんだ」との心配もある。やはり、高価な馬を手に入れ、一緒に成長しないといけないのでしょうか。
64年といえば、新幹線開通に代表される、建設ブームがあって、「三丁目の夕日」のような景色が衰退していく境目の年でした。ダンスホールさえ「ツイスト」になり、社交ダンスは片隅に追いやられ、銀座は、「みゆき族」が、黒いビニールを身にまとう異様な集団に占拠され・・・。それまで吹き荒れた「安保反対闘争」さえ、忘れさられていく年になりました。
そんな、大昔の選手が、蘇って、今、オリンピックの代表となる66歳ですから、「ガンバレ~!青春」と声を張り上げます。~同世代のよぼよぼより~