日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

うらやましきかな人生!

2008年02月22日 20時45分52秒 | 残日録
「露姫」の遺書が見つかった。

遺書は雲龍寺住職の大井大摂さん(51)が、寺の引き出しの中からほかの古文書と一緒に偶然見つけた。(日本海新聞2008/02/08)

江戸時代の中・後期の鳥取藩の支藩「西舘池田家」(若桜(わかさ)。播磨(兵庫)との国境)領地はなく、禄米の支給を受けていた。2万石)の「池田定常」の時代、江戸藩邸に生まれるも、天然痘によってわずか5歳で死亡するも、その死は、多くの政治家や文学者1500人もから追悼の書や絵画が送られた程の才能であった。
池田定常は、数々の著作を残す著名な文学者であったが、露姫の才能を高くかっていたので、その遺書を直筆の通りに木版刷りにして、関係者に配ったものらしい。

「捨女」(田ステ)だって、6歳での「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」を歌い、父親にその才能を見出されている。

では、200年の時を経て、発見された才能豊かな5歳の露姫の遺書とは・・・。

父、定常に宛てたものは「おいとたから こしゆあるな つゆがおねがい申ます」(お年だから(56歳だったので、本当に晩年の子)、こしゆ(お酒)を控えて下さい。つゆのお願いです)
母、「たえ」にあてた遺書には「まてしはし なきよのなかの いとまこい むとせのゆめの なこりおしさに」(あっという間の暇乞いですが、6歳(数え年)の夢があったのになあ)
兄への遺書には、桜の絵のしたに「つゆほとの はなのさかりや ちこさくら」(わが身を稚児、桜の儚さとに例えて絵に残している。
侍女の「たつ」、「とき」の二人に「ゑんありて たつとき われにつかわれし いくとしへても わすれたもふな」(縁あって、発ときに(死ぬ)私のそばにいたのですから、いつまでも忘れないでね)

5歳で死に招かれても、多くの人に惜しまれて、父母の愛に包まれて・・・「うらやましきかな人生!」です。



余談になりますが、kunio_nikkiの時代には、「露」が名前に・・・、と言ったら、石原裕次郎の「露子に逢いたい」につきる。(詞:丸山 環)

誰が付けたか あんな良い名を持ちながら
いつも露子のまつげは濡れた
親も知らないみなしごなのに
石で追われて村から逃げた

変わる姿を 去年東京のうら街で
ちらり見たとの噂を聞いた
旅の役者の一座に混じり
汽車に乗るのを見たとも聞いた

以下略・・・。